【阿部勇樹】大事なことは正しいタイミングで決断を下すこと!

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~16】。

ACL、国内大会、A3、クラブワールドカップ、日本代表……超過密だった2007年を振り返って

10月20日 第29節 Jリーグ千葉戦 4-2
10月24日 ACL準決勝セカンドレグホーム 2-2 PK戦勝利
10月28日 第30節 Jリーグ名古屋戦 0-0
11月7日 ACL決勝戦ファーストレグアウェイ 1-1
11月11日 第31節 Jリーグ川崎戦 1-1
11月14日 ACL決勝戦セカンドレグホーム 2-0
11月18日 第32節 Jリーグ清水戦 0-0
11月24日 第33節 Jリーグ鹿島戦 0-1
11月28日 天皇杯愛媛戦 0-2
12月1日 第34節 Jリーグ横浜FC戦 0-1

2007年シーズン、終盤の浦和レッズの戦績を見ると、あらためて当時の過密日程を思い出す。この年は、ACLや国内大会のほかに、A3という中国、韓国のクラブと対戦する大会にも参加し、中国遠征している。それに加えて僕は代表での活動もあった。シーズン最終盤にはクラブワールドカップ(以下CWC)にも出場している。リーグ戦は出場停止での1試合以外すべてに出場し、およそ50試合に出場した。僕のキャリアのなかで最も多忙なシーズンだった。

Jリーグで21節に首位に立つと、24節に1敗しただけ。第30節終了時点で2位との勝ち点差は7に開いていた。しかし、ここから2試合を引き分ける。間にACL優勝という結果を残せたが、逆にこれで大きな達成感によって、ホッとした一面があったのかもしれない、と今なら思える。

第33節、鹿島アントラーズ戦。鹿島は前節ガンバ大阪が引き分けたことで、2位へと浮上していた。レッズとの勝ち点差は4差だ。レッズにとっては、この試合を落としてもまだ最終節の結果で優勝の可能性が残されている状態。しかし、鹿島は優勝のためには勝利が絶対条件。その違いがあったのかもしれない。

42分に退場者を出しながら、鹿島は66分に野沢(拓也)がゴールを決める。89分にも退場者を出した鹿島から、僕らは得点を挙げることができなかった。1-1にすれば、優勝が決まった試合だったのに。

そして、最終節にも敗れて、鹿島がリーグ優勝を飾る。

ACL優勝を決めたあとの難しさは確かにあった。決勝戦がもっとあとならば……ということも思った。けれど、ACLと国内のタイトルを獲ることの難しさを当時は痛感した。

12月のCWCでは、セパハンとの再戦が待っていた。ここで勝てばACミランとの対戦できる。「CWCでセパハンに負けたら意味はない」とチームが再結束したことを思い出す3-1と快勝し、ACミランとの準決勝に挑んだ。

カルロ・アンチェロッティ監督率いるACミランは、錚々たる選手が名を連ねていた。

前年のワールドカップドイツ大会で優勝したイタリアを代表する選手たち(アレッサンドロ・ネスタ、パオロ・マルディーニ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アンドレア・ピルロ、マッシモ・アンブロジーニ 、クラレンス・セードルフ、フィリッポ・インザーギ)に加えて、ブラジルのカフーにカカ、エメルソン。そしてGKのジーダ。

スコアは0-1。そんなミランを最少失点で抑えたいい試合だったと思う。ただ、後半に入ってからの一瞬のスピードの変化などは、経験したことのないものだった。それを知ると、「前半は、僕らを舐めていたのか」とも感じた。だけど、正直楽しかった。こういう相手と浦和レッズとして戦えることの面白さがあった。代表ではなく、クラブとして、海外のチームと対戦できる。それはCWCに限らず、ACLも同じだ。時には過酷といわれるアウェイ、いつもと違った環境での試合、最高だった。

浦和レッズの選手として、背負う重圧やサポーターの厳しい眼が自分を成長させてくれると信じて移籍した。

そんな、2007年は、とにかく濃い1年だった。緊張感がずっと抜けないシーズンでもあった。

埼玉スタジアムの大観衆のなかでのプレーは、ワクワクとした面白さと難しさが同居していた。どちらの比重が大きいのかはケースバイケースだけど、面白さが消えることはなかった。

4月1日アウェイでの大分トリニータ戦。僕は2ゴールを決めた。試合は2-2の引き分けで終わったけれど、その試合以降、サポーターからのコールが始まったように記憶している。この試合で、チームの一員として認めてもらったような気がした。

今、考えても、浦和へ移籍していなければ、どうなっていただろうかと考えることがある。もうサッカーをやめていたかもしれない。レッズへ来たから2010年のワールドカップ南アフリカ大会出場に繋がり、レスターシティ(英国)への移籍もできた。ジェフ(千葉)が悪いという話ではなくて、僕は正しいタイミングで、移籍という決断を下せたと思っている。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子