【阿部勇樹】佐藤寿人と勇人から影響を受けたこと

1998年、16歳333日でJリーグデビューを果たした阿部勇樹。翌年には高校3年生ながら、J1リーグを戦い、ひと世代上のユース代表や五輪代表に選出されるなど、若くしてその高い才能を評価されてきた。そんな阿部がジュニアユース、ユースと中高時代からのチームメイトである佐藤寿人、勇人ともにプロ契約を結んだのが2000年だった。


結局僕ら3人が同じピッチに立つことはなかったが……

2000年2月6日、シーズン開幕を前にジェフ市原の新加入選手たちによる会見が行われた。場所はこの年オープンした千葉県市原市姉崎のクラブハウスだ。それまでは浦安市舞浜の練習場を使用してきたが、ホームタウンである市原市に拠点を移したことになる。敷地内に他企業があった舞浜と違い、姉崎は専用施設。クラブハウスだけでなく、照明つきの天然芝のグラウンドのほかに、人工芝のピッチもあった。

僕はすでに、高校生のアマチュア選手として、1999年シーズンを戦っていたけれど、プロ契約選手として、ジュニアユースからともにプレーしてきた佐藤勇人、寿人と並んだ加入会見は、晴れがましい気持ちでいっぱいだった。3人がプロとして同じピッチに立つ日が待ち遠しかった。

僕らのほかにも他クラブからの移籍選手や外国人選手など、総勢11選手がこの年ジェフに加入している。

先制点を決められると、また今日も負けるのかもしれない……チームにはどうしてもネガティブな空気が漂ってしまう。そうなるとどうしてもプレーも消極的なものになってしまうし、結果もついてはこない。

敗戦後はメディアやサポーターからの厳しい声を耳にすることになる。もともと、強がるタイプでもないけれど、僕は子どものころから、負けず嫌いの性格だから、そういうネガティブな声に対して、折れることもなかった。しかし、プロは結果がすべての世界でもある。負けを認めたくはなくとも、現実を受け入れなくてはならない。もちろん、それは年齢を重ねるたびに身に着いた感覚でもある。

2002年、同期の佐藤寿人がセレッソ大阪へ期限付き移籍することが決まった。

移籍するというのは、非常に大きなチャレンジだ。簡単に決断できるものでもないだろう。環境を変えることにはチャンスと同じくらい、またそれ以上のリスクも当然はある。それでも、寿人には「試合に出られるチームへ」という強い思いがあったに違いない。試合に出られなくとも、今いる場所で頑張ろうとする選手もいる。勇人がまさにそういう選手だった。

もし、自分が同じように試合に出られなくなったら、どう考えるのかと思った。

今は試合に出ているけれど、これがずっと続く保証はない。監督が代わったり、新しい選手の加入で環境は変わってしまう。よく、監督交代時に、選手たちは「イチからのスタートだ」というけれど、それは、監督交代のときだけの話ではない。選手間の競争は毎日行われているのだから、いつも、イチからのスタートという気持ちで練習に取り組むべきだ。

あるクルマに乗ると、移籍するというジンクスがあった

ジェフは移籍する選手が多いクラブだと思う。だから、これまでも移籍する先輩たちの姿を見て、プロチームでの生存競争というものを見てきたつもりだけれど、同期の寿人が移籍したことで、改めて、そういう気持ちを強く抱いたことを覚えている。

そういえば、当時、ジェフではある外国車に乗る選手の移籍が続いていた。そのメーカーのクルマに乗っていると「移籍する」というジンクスみたいなものだ。実は僕もそのクルマに乗っていた。もちろん、自分が移籍するなんて、考えてもみなかったし、言われてみて初めて「同じだったね」という感じでしかなかった。そして、僕は2007年、浦和レッズへ移籍することになる。そのときもクルマのことなんて考えはしなかったけれど、今、ふと思い出した。

2008年、今度は勇人が京都サンガへ移籍する。2010年にはジェフへ復帰する。そして、今季いっぱいでの現役引退を発表した。寿人もジェフへ戻ったけれど、結局僕ら3人が同じピッチに立つことはなかった。

それでも、僕にとって、彼らは特別な選手だ。移籍という大きなチャレンジをした寿人、ジェフで戦い続けた勇人。どちらの存在も僕のキャリアに影響を与えてくれた。それを今、しみじみと実感している。未来のことはわからない。だから、今日を大事に生きる。そういうプロサッカー選手としてのキャリアの歩み方を彼らは僕に教えてくれたような気がするから。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 Photograph=杉田祐一


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