【連載】石原慎太郎 男の業の物語 第二十一回 『男の気負い』


人間には誰しも愚かさなるものはある が、男と女ではいささか違うところがあ るような気がする。 

「分かっちゃいるけど やめられねぇ」という歌の文句があるが、男の所行にはそれが多い。何故そんなことをするのかと問われ、 そこに山があるからだと答えて魔の山エベレストに消えたマロニーにしても、冬季単独初登頂後、これも魔の山のマッキンレーに消えた無類の冒険家植村直己にしても同 じことだ。生前仲間たちとつくったキイ クラブで親しかった彼になんで次から次 へと危ない冒険を繰り返すのかと質したら「僕は都会にずっといるとなんだか怖いんですよ」と答えたものだったが、どんな女も都会が怖いとは言いはしまい。 かつてアルプスの三大北壁の厳冬期単独登頂を成し遂げた日本の代表的登山家の長谷川恒男氏は遭難して、なんと手足の指十三 本を無くしていたが、私との対談の中で 「たとえ遠くて深い山の中での単独登頂でも誰かが見てくれている。目には見えなくても人間の社会との心の中での繋がりがあれば寂しくもないし不安もありません」と言っていたものだったが、この 心境はやはり男ならではのもののような気がするが。

とは言ってももちろん女性の優れた登山家もいるにはいるが、やはり無類の冒 険家が男に多いのは男の方が女よりも愚鈍、鈍感ということか。

 しかし私は人生の中の趣味として、女から見れば愚かだろうが私にとってはスウェルな男たちが好きだ。彼等の多くが誰しも同じことを言うものだ。「冒険が始まった時いつもすぐに還ることをしか考えない。還るためにここにこうしているのだなと思う」と。

あの加藤保男氏が言っていたが、あの難所のアイガーの北壁に登った時、ルートの開拓中、次の足場のために打ち込んだハーケンがばっちり根元まで入っているし、それにあぶみをかけて体重をかけてもびくともしない。それでまた一歩這い上がろうとしたら、彼の身長ぐらいある岩がぴくりと動いたような気がした。ん、と思って怯みながら次の一歩を踏み 上がった瞬間二十メートル下の空中に放り出されていたそうな。

抱きついている巨きな岩がぴくりと動いて感じられる超過敏な感応はたぶん女にはあり得ぬものだろうと私は一方的に信じているのだが。

あの植村がよく言 っていたが、「僕は日本にいると乞食みた いなものですよ。いつも次の冒険のための金集めにあちこち企業を回って次の計画のスポンサー探しをしてるんですからね。死ぬかもしれないことのためにぺこぺこ頭を下げて回るというのは気骨が折れて憂鬱ですよ」と。 

「それでも君はまたどこかへ出かけて行 きたいんだろう。でないと身がもたない というのは因果だろうな」

 私が言ったら、 「そりゃあまあそうですね。それが生まれつきの癖なんでしょうね。それが僕の人生の形だと割り切っていますよ」

 他人事のように言っていた。   

その彼がグリーンランド縦断の時に橇を引かせた犬たちの多くを死なせてしま ったことで愛犬家たちから非難の声が上がって一種の社会問題になりかけた時、仲間内の会合で、 

「ああ、あれはほとんど殺して食っちまったんですよ」

 あっけらかんと打ち明けたのには驚いた。なんでも熊に襲われ橇に積んでいた食料のほとんどを奪われたので、しかたなしに橇を引く時に足並みの揃わぬ犬から殺して食べてしまったそうな。 

「他の犬たちも腹が空いてますから喜んで仲間を食っていましたよ」

 淡々と打ち明けてくれたものだった。   

当たり前の話だろうに、グリーンランドいう荒涼とした僻地で生きぬくため手下の犬たちを殺して食うという動作に都会で暮らしている人間たちのセンチメントが通じるわけもない。

かつてインパールやフィリピンの戦場で補給を断たれた日本軍の兵隊たちは猿 に見立てて仲間を殺して食いもしたものだ。彼等が地元の女たちを殺して食った という事実はまったくありはしないが、 それは男だけの世界の黙約ともいえそうだが。

端から眺めれば愚かとも恐ろしいとも見える黙約の上に成り立つ男の世界なるものはやはり在る。歴然として在る。そしてそこにこそ男が男たる所以が在るのではなかろうか。人はそれを愚かな、あるいは美しいマッチョ、マチスモともいうだろうが。

いつかの小網代カップのスタートの時、ひしめくレース艇の真後ろから折からの強い北風を背負ってスピンのフルセイルで先行艇の際どい隙間を突破し、断トツでスタートし、あっという間にそれらを引き離し完全優勝したものだが、観戦していた記者がNORC史上最高のスタートだと記してくれたものだった。スタートして五分も経たぬうちに振り返ってみれば、はるか後ろは後続艇のつくるスピンの壁だった。あの時の私の判断も端から見れば非常識で危険極まりないものだったろうが、男としての私ならではの絶対の選択だったといえる。

ああした愚かにも見える気負いというのはやはり男の、男としての属性に違い ない。例に引くのは恐れ多いが悟りを開くために壁に向かって何年も座り続けて足が腐って無くなってしまったダルマ様のようなことを女はたぶん出来はしないし、やる気を起こすこともあるまいが。

人のために座り続け、あの『青の洞門』を掘りぬいた禅僧にしても同じ男としての一途の思い込みの所産に他なるまい。傍目には狂気に近い気負った男ならではの所行が世の中を大きく変えるということには事欠くことはない。

ということを最近の当たり障りのない若者たちは男として心得てほしいものだが。

続く


第二十回『男の就職』

第十九回『人生の失敗』

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