【連載】男の業の物語 第八回『男の面子に関わる会話』


私は議員時代に縁あってキックボクシング協会のコミッショナーをしていたことがある。その頃、キックボクシングは大流行で協会が二つあった。私の方はNTV系、もう一つはTBS系で試合が放送され、TBS系の方が視聴率が高かった。その訳は向こうには沢村忠というフェイクのチャンピオンがいて、彼の真空飛び膝蹴りはまさに無敵の必殺技で大人気だった。

そこでNTV側はそれを真似てフェイクのチャンピオンをつくり出し、それで人気を稼ぐ算段に出ようとした。その候補に元ボクシングWBA世界フェザー級チャンピオンになった西城正三選手を祭り上げて向こうの沢村に対抗しようと企て私に持ちかけてきた。私は反対だった。

だいたい人気の沢村の真空飛び膝蹴りなるものはインチキで、試合の模様をスロービデオで映してみると相手の顔に命中してもいないのに約束事で相手が倒れるという仕組みだった。しかしそれでも一般の観客は周りの雰囲気に呑まれての拍手喝采で他愛のないものだった。

局の申し出に私は反発して、それなら私はコミッショナーを辞退するか、その前の記者会見でその訳を打ち明けてみせるからとNTVを脅し、彼等の企てを潰してしまった。その訳は私の側の協会には既に藤原敏男選手のように本場タイ国のムエタイで現地のチャンピオンを倒して現地でのナンバーワンになりおおせた選手がいるのに、ことさら余所からカテゴリーの違う選手を連れてきてフェイクの名選手をつくる必要などありはしないし、それでは藤原を含めて地道に正統のキックボクシングに励んでいる選手たちに申し訳が立ちはしまいに。

ということで、人気稼ぎのためのテレビ局の企みはご破算になったが、その噂が何故か外に漏れてしまい、フェイクのチャンピオン候補だった西城選手の耳にも入ってしまったそうだ。それを聞いて西城もいっぱしの男だし、なんといっても国際式ボクシングでナンバーワンになりおおせた選手としての沽券から、「ならば自分はキックボクシングで相手を倒してキックのチャンピオンになってみせる」と名乗り出たものだった。

その噂はたちまち関係者の間に広がり、ある日藤原選手が私の事務所にやってきて、キックの全選手を代表して私の措置に感謝してくれ、「自分は西城戦に備えて徹底したトレーニングをして必ず勝ってみせますから」と言い残して帰っていったものだった。

後で聞いたら、彼はそのため試合に備えて埼玉県のどこかから東京のジムまで百キロの距離を走ってきたりしたそうな。

さて試合の当日、藤原は赤のコーナーからその下の席にいた私に腰をかがめると口早に、

「見ててください。今日は足なんぞ使わずに腕だけであいつを倒してみせますから」

言ってリングに上がっていったものだった。

そして言った通り彼は最初から一切足蹴りは出さずに国際式ボクシングにならって腕だけで相手と打ち合っていた。しかし、とは言え相手も選手権者にまでなりおおせた選手だから藤原の繰り出すパンチはそう簡単にはヒットしない。

そんなことで第二ラウンドを終えてコーナーに戻った藤原に、私は立ち上がり周りには聞こえぬように、

「いいか、構わないから今度は足を使え。それが皆のためだぞ」

囁いてやった。そして何を理解したのか彼ははっきりと頷いてみせた。

第三ラウンドのしょっぱな、彼の足蹴りは相手の足に炸裂し、その一発で西城は転倒してしまい、立ち上がったものの次の足蹴りがヒットしてまたダウン、それを見てセコンドを務めていた西城の兄がすかさずタオルを投げ込み呆気ないKOとなった。

私はゴルフ場で付いてくれるキャディに出身地について尋ねる癖があって、ある時あるキャディに聞いたら彼女が、

「私の父はあなたをよく知っていて、いつも褒めていました」

突然言われて訳を質したら彼女の父親なる者はかつてキックボクシングの選手だったそうで、例の藤原と西城の一戦の仕組みについて恐らく同僚の藤原から聞かされていたに違いない。

そう思うとあの時リングサイドで彼と交わした会話の重さの余韻が胸に響いてくる。あれは男同士の互いの胸に残る心地よい短い会話だった。

第九回に続く
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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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