【楢﨑正剛】引退して約1年、満足感はイチローの打率より全然低い(笑)

Jリーグのシーズン終了に伴い、現役引退の表明が相次いでいる。そのひとり、田中マルクス闘莉王の引退会見に中澤佑二とともにサプライズ登場した楢﨑正剛。日本代表として活躍し、昨年限りで現役を引退した楢﨑に単独インタビューを行った。


引退を決意した瞬間とは

楢﨑正剛の引退が所属する名古屋グランパスから発表されたのは、2019年1月8日のことだった。

「クラブに報告したうえで、シーズン終盤引退を公にして、スタジアムでサポーターに最後の挨拶をし、もしもチャンスがあれば、試合をしている姿を見てもらって……と数年前は考えていたけれど、実際はそんなスマートな形にはならなかった」

楢﨑はそう語りながら、自身の引退に至るまでの心境について話してくれた。

「2017年が終わるころ、先発から外れるようになった。怪我もあり、常に身体のどこかを気にしながらプレーしなければいけない状況でしたけど、『このまま終わるわけにはいかない』という気持ちが強くありました。だから、2018年は、心でなんとかやっているという感じでした。それでも、ベンチ入りすらできなくなって、気持ちを強く持てなくなってしまった。名古屋以外で、たとえばカテゴリーが下がったとしても、サッカーを続けられる環境があれば、沈んでいる気持ちが上がるのかもしれないとも思いました。けれど、たとえ、強い気持ちが生まれたとしても、身体がいうことをきくのかという不安をぬぐえなかった。痛みを抱えながら、気持ちを奮い立たせて、また1年戦えるのかと。そんなふうに自分の気持ちを探るように考え続けた結果、『ここで終わる』と決断したのが、あの時期だったんです」

2018年12月2日、楢﨑は川口能活の引退セレモニーに登場している。

3ヵ月ぶりに、J3相模原のゴールマウスに立ち、完封勝利を飾った川口の姿を目にしたあと、「最後の最後まで本当にカッコよかったです。リーグ戦では敵として日本代表では味方として、ライバルといわれて、僕の方が年下なので僕が追いかけるだけだったのに、そういう立場で一緒に戦えて本当に僕の財産になりました。ありがとう」と楢﨑は話している。

「あのとき、僕の気持ちは引退に傾いていました。でも『まだまだがんばってくれ』みたなことを能活から言ってもらえた。当時は、僕の引退については話していなかったんですよ。まだ決めたわけではなかったから。決意したあと、僕から能活へ電話で報告しました」

1975年静岡県生まれの川口と、1976年奈良県生まれの楢﨑。ふたりは同じ横浜をホームタウンにもつ、横浜マリノスと横浜フリューゲルスでプロデビューを飾り、1996年以降、長く日本代表のGKの座を争うライバルとして、競い合った仲だ。

1998年W杯フランス大会は川口が、2002年日韓大会では楢﨑が、そして2006年ドイツ大会では川口がゴールマウスを守った。2010年南アフリカ大会でも直前まで楢﨑がそこに立っていたが、大会開幕直前に川島永嗣(1983年生まれ)にポジションを譲った(ちなみに、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会は川島が出場している)。

2010年のW杯が終了後、新たなスタートを切った日本代表に選ばれた楢﨑だったが、直後に代表引退を表明した。しかし、同年名古屋でリーグ優勝を果たし、ゴールキーパーとして初めてJリーグ年間最優秀選手(MVP)にも選出されている。

2016年にはJ2降格も経験。しかし1年で復帰した2018年J1での出場機会はなかった。楢﨑が引退を決めたのは、「試合」という仕事場を失ったからではなかった。練習という日々に納得できなかったからだ。度重なる負傷で膝が悲鳴を上げていた。

「5、6年前から、半月板や軟骨などの怪我がありました。たとえ怪我をしても、回復すれば、問題なくプレーできる時期もあります。ただ、身体のどこかに痛みがあり、練習で100パーセントの力を出せない状態になると、それが結構つらかったんです。年齢を重ねると周囲からは『抑え気味でいいよ』と言ってもらえる。その言葉はありがたいけど、僕は今まで、そういうのを押しのけてやってきたので」

練習でできないことが試合でできるわけがない。だからトレーニングで全力を尽くす。多くのフィールドプレーヤーも口にするが、GKにとっての練習はフィールドプレーヤーとはまた違う意味を持つ。

試合中、GKがボールを触る機会はほんのわずかだ。相手のシュートを防ぐセービングの数でいえば、もっと少ないだろう。けれど、1本防げなければ1失点してしまう。その1本のために、GKは日々何十本ものシュートを受け、それを防ぐトレーニングを行う。だから、練習で力を尽くせない自分を責める気持ちは強くなるのだろう。

かつて、楢﨑は語っていた。「GKはミスを取り返せないポジションだ」と。自分のミスで失点したとしても、GKが得点を挙げるのは奇跡のようなプレーでしかない。万全の準備が自信を生み、勝利に貢献できる仕事に繋がる。決して短くはないキャリアのなかで築いた信念がまっとうできないと悟ったからこそ、楢﨑は引退を決めた。

「引退して約1年が経って、思い出すのは負けた試合のほうが多い。タイトルもわずかだし、勝った試合もそれほどないから。満足感としてはイチローの打率より低いですね(笑)。全然低い。2割5分くらいしかないから。悔いは残っていますよ。現役中は『俺の実力はもっと上や』と思ってたけど、これが僕の実力だと。ここまでの選手だったなと(笑)」

2019年3月。ホーム開幕戦前に楢﨑の引退セレモニーが行われ、川口が登場している。このときですら、「「試合前の大事な時間にこういう場所を設けて頂き、選手とかスタッフの皆さん、今日戦う人たちに申し訳ない気持ちはあります」と話した楢﨑は、引退試合については、乗り気ではないという。

2回目に続く。

SEIGO NARAZAKI
1976年奈良県生まれ。1995年に横浜フリューゲルスに入団。1999年に名古屋グランパスに移籍。J1リーグ歴代最多631試合出場。国際Aマッチ77試合出場。2018年シーズンをもって現役を引退。2019年、名古屋グランパスのクラブスペシャルフェローに就任。


Text=寺野典子