【阿部勇樹】Jリーグ再開へ向けての決意!

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~17】。

「当たり前」が本当は「特別だった」

7月4日、新型コロナウイルスの影響で2月末から中断していたJリーグが再開する。

約4ヵ月あまりの中断は、誰もが経験したことのない出来事だった。

もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大という事実はサッカー界に限らず、すべての人々にとって、初めての体験だ。学校が休校になり、緊急事態宣言後は日々のトレーニングも中止され、移動の制限をはじめ、たくさんの人が自粛生活を強いられることになった。

日本だけでなく世界中で、いろんなところが問題を抱えているという現実、命に関わる問題なのだから、自粛もリーグ中断も「どうしようもないこと」に対する当たり前の決断だと感じている。

そのなかでサッカー界、Jリーグに限らず日本のスポーツ界は素早い判断ができた。

僕には二人の息子がいる。次男は小学3年生で、長男はこの春、小学校を卒業し、中学へ進学した。関係者の方々のご判断とご尽力により、卒業式も入学式も行うことができた。生徒と先生だけの卒業式だったけれど、それもまた当然のことだと思っている。

中学では、学校からアプリを使った自宅学習のメニューが提供されて、長男は、家でも一定時間勉強していた。しばらくたつとZoomを使い、クラスメートたちとともに授業を受けるようになった。長時間、液晶モニターを見続けている息子の目が悪くならないか、少し心配になるけれど、それでも学ぶ機会が失われなかったことは幸いだ。

小学生時代から続けていたサッカーのトレーニングもなく、外出することができない日常は子どもたちにとっては、異例なことだっただろう。それでも報道される感染者数が日々増加していることや、感染が原因で著名人の方がお亡くなりになったニュースなどに触れて、ことの重大さは認識している様子だった。

練習が中断されてからは、クラブハウスも閉鎖されていたので、自宅でできることをやるしかなかった。Zoomでストレッチや体幹トレーニングなどが行われるようになり、とにかく「今できること」に集中して、練習やリーグ戦の再開を待った。

当たり前だと思っていた生活が、新型コロナウイルスによって、奪われたと感じる人も多いだろう。確かにリーグ戦が再開しても、無観客試合での開催だし、今後も入場制限が続く。マスク着用が欠かせず、ソーシャルディスタンスの重要性など、あらゆる面で当たり前だった生活が戻ってきているわけじゃない。

だけど、「当たり前」が本当は「特別だった」と、思える機会は増えた。

簡単にいえば、サッカーができる喜びを改めて強く感じている。「感染が収まったから再開できた」という単純なものではないからだ。いろいろな人たちの力があったからこそ、この状況にたどり着けた。

特に医療従事者の方には、本当に感謝しかない。

いきなり感染者が増加して、非常に疲弊しながらも、力を尽くしてくれたこと。実際に僕が現場へ行ったわけではないので、わからない部分あるけれど、報道を見ているだけでも、医療従事者の方の尽力を痛感している。

今、Jリーグを再開させることへの是非はあるんだと思う。まだまだ大変な状況のなかで闘っている方も少なくないだろうから。

それでも、サッカーに限らず、スポーツは、いろんな方に元気になってもらえるものだと思うので、僕らがプレーすることで、少しでもパワーを世の中の人へ与えることができればうれしい。医療従事者の方をはじめ、多くの人たちへ感謝をこめて。

そういう気持ちで、しっかりとしたプレーを見せる責任が僕らにはあると考えています。

今後も手洗いやうがい、ソーシャルディスタンスなど、自分たちができることを行い、いろいろな方に迷惑をかけず、医療従事者の方の仕事を増やさずにやっていきたい。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 ©URAWA REDS