【中田英寿/に・ほ・ん・も・の外伝】経営危機を乗り越えたクリームパンの八天堂<広島④>

2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。

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広島名物! しっとりふわふわのクリームパン

工場見学というのは、大人になっても楽しいものだ。おいしいものを作る工場ならなおさら。広島空港のすぐ目の前にある八天堂の工場を訪問。ドアを開けて中に入った瞬間、やさしく甘い香りに包まれ、とても幸せな気分になった。

広島名物といえばもみじ饅頭を思い浮かべる人が多いかもしれないが、そのもみじ饅頭に負けず劣らず大人気なのが「八天堂のクリームパン」だ。他にはない食感でいまや全国的な人気を誇るクリームパン。スイーツ通の中田英寿が初めて食べたときその美味しさに驚いたというこのパンが広島県三原市で生まれたのは、いまから12年前のことだった。

もともと地元の和菓子店として昭和8年に誕生した八天堂は、時代の移り変わりによって業態を変えていく。昭和60年には和洋菓子店となり、平成3年にはパン屋に。焼き立てパンを売る店として人気となったが、コンビニエンスストアの台頭で経営が悪化。平成14年ごろには経営危機を迎え、広島県内で13店舗まで増えていた店舗も1店舗を残すのみとなる。

この危機に際し他にはない名物を作ろうと白羽の矢が立ったのが100以上あったというパンのラインナップのなかで人気ナンバー1だったクリームパンだった。スポンジケーキのように口溶けのいいクリームパンを作れば手土産になるのではと、3年の月日をかけて平成19年に生まれたのがあの究極のクリームパンなのだ。

食べたことのある人ならすぐに思い出せると思うが、八天堂のクリームパンはとにかくしっとりふわふわしていて、まるでケーキのよう。工場を見学してわかったのは、あのしっとりふわふわは、手作りだからこそのものだということ。

「この工場では約40人が働いており、1日3万個から多いときは6万個以上を作っています。八天堂のクリームパンはかなり繊細な商品のため、人の手でなければできない作業が多いんです」(三好立紀工場長」

パンといえば"焼き立て"。工場では焼きたてのパンも食べさせてもらったが、これだけだと普通より少しやわらかいパン。八天堂のおいしさの理由は、焼きたてのパンにクリームを詰めたあと1日寝かせることだ。その時間でクリームがパン全体に染み込み、あの独特の食感が生まれるのだという。

細かいレシピはもちろん企業秘密。しかも中に詰める軽やかなプリンのようなクリームは、熟練の職人の感覚が頼りなのだという。クリームを作る工程を見学するとたくさんの鍋が火にかけられ、それを職人がひとつずつチェックしてヘラでかき混ぜながらクリームの状態をチェックしている。

「季節や天気によって火の強さや火にかける時間を微妙に変えています。機械化を試みたこともあるんですが、職人の感覚にはかないませんでした」(三好工場長)

現在では定番のカスタードや生クリーム、チョコレート味に加え、季節限定、地域限定、さらにはメロンパンや食パンなど膨大な数のパンを全国で販売している八天堂。一口食べると幸せな気分になるあのクリームパンのなかには、一点突破で経営危機を乗り越えた物語や、時間をかけて培った熟練の技術が詰め込まれているのだ。

続く


「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/


Composition=川上康介 Photograph=淺田 創


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中田英寿
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。
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