【石原慎太郎】男の業の物語 第十九回『人生の失敗』


人生には失敗は付き物だが、失敗にも大小あって人生を左右しかねぬものや大事な人を傷つけてしまうものもある。

私が物書きになるための恩人でもあった伊藤整さんはジョイスや裁判沙汰にまでなった『チャタレイ夫人の恋人』の作者D・H・ローレンスの方法論を吸収して見事に活用し、特に人間の意識の流れに関して緻密な表現を駆使した作品は比類がなく、物書きが「文学者」と呼ばれるに唯一相応しい理知的な作家だった。

その臨終の際に、なんと「俺は馬鹿、本当に馬鹿だった」と言い残して死んでいったそうだが、となればこの私なんぞどういうことになるのだろうか。

実は私は若い頃、作家としての自分の運命を左右した、取り返しのつかぬ過ちを犯してしまったし、後には肉親の弟を傷つける失敗をしでかしていた。

最初の失敗は『太陽の季節』なる作品で世の中に出たての頃、大もてしてあちこちからいろいろ声がかかり、飛んだり跳ねたりして自作の作品の映画化の折に主演俳優として出演したり、自作の歌まで歌ったりで、いささか気が引けたので恩人の伊藤整さんに、どうしたものだろうかと相談にうかがったが、伊藤さんが実にうがったアドバイスをしてくれたものだった。

「あなたは今めったにない人生の時に在るのだから、好きなことは何でもしたらいい。なに、慣れない仕事でも興味があったら手掛けて、失敗したってなんで失敗したかを書けばいいんです、あなたはあくまで作家なんだから」

この強かな忠言に勇気を得て飛んだり跳ねたりしている一年半ほどの間に、実はアメリカのハーコットブレイスという一流の出版社から私の作品のアメリカでの翻訳出版の契約をしたいという申し込みが再三届いていたものだった。しかしこちらは慣れぬがもともと興味があった芸能界の引きにうつつを抜かしている最中のことで大事さに気がつかず、第一英語のなにやら分厚い書類に目を通す気になれずにほったらかしにしていたら、最後に八度目の手紙が届いて、その時だけなんとなく目を通したら冒頭に「あなたは全く誠意がない。故にもこれをもってあなたとの交渉は打ち切りにする」とあった。

なんだそういうことかい、とその時は迂闊に見過ごしたが、もしその相手の申し出に応じていたら、日本ではその暴力性から非難されていた私のいくつかの作品はアメリカでなら正当な評価を受けてアメリカでの私の文学のマーケットを、少なくとも大江健三郎や村上春樹よりも幅広く開拓出来ていたに違いない。

その後私は『「NO」と言える日本』をサイモン・アンド・シュスターから出版しアメリカでも五十万部を売り尽くし、これは日本人の作品のアメリカでの部数の最高記録とされたものだが、何故か私にとってはそう嬉しい話ではない。むしろ私の『処刑の部屋』とか『完全な遊戯』、あるいは『刃鋼』といった作品がアメリカでなら正当な評価で迎えられたに違いないと信じているが。

あれは私の生涯の中での悔やんでも悔やみきれぬ一大失策だった。まああれも私の人生そのものということか。

もう一つの失敗はヨットマン憧れのトランスパックレースでのことだった。日本から初めての参加だった一九六三年のレースに弟の裕次郎は彼の独立プロ製作作品『太平洋ひとりぼっち』の撮影中で参加出来ず、トランスパック用に造った愛艇に乗れず私が代わりに艇長を務めて出たが、次の一九六五年のレースには勇躍参加していた。

私と同様に海クレイジーの彼の張り切りようは大変で、体調を崩していた他のクルーの分まで連夜ウォッチを務める有様だった。そのため体を冷やして持病の盲腸が痛みだしかなりの重症で、スタートして四日目にコーストガードの伴走船デクスターに救急を呼びかけなんとか洋上で拾い上げてもらったが、その時のランデブーも辛うじてのことで、本船に乗り移って温かい風呂に入ったら冷えによる痛みも消えて、今度はヨットに戻りたいのでまた洋上でランデブーしたいと連絡してきた。

しかしこの二度目のランデブーは困難を極め、ナビゲーターの私が四苦八苦してもこちらの現在位置に相手の船が現われてこない。前回の六三年のナビゲーター、ジョー・ミラーに代わって私が買って出て日本であらかじめ漁船天測法を習得し、出発地のロサンゼルスでもホテルの庭でセクスタントを翳し天測し、時角に合わせてラインを引き確信していたものが、いざ海に出てみると初日からチャートに確かなラインが引けないのだ。

六分儀を使っての天測というのは一秒ずれても一マイルの誤差が出るというくらいデリケートなものだが、また船に戻ってレースを続けたいという弟の願いは痛いほどわかるものの以来何度やってもこちらの位置に相手の船の姿が現われない。そのうちデクスターは足の速い大型艇がフィニッシュしてしまうのでホノルルで待ち受けなくてはならず、弟を乗せたまま行ってしまった。

ということで、弟の二度目の夢は潰えてしまった。ホノルルで私を迎えた弟が涙を流して私をなじったのも無理はない。その後ある偶然で私の天測のミスがわかった。それはあのレースが太平洋夏時間で行われていたことを気づかずにいたせいだった。天測用のグリニッヂタイムに比べて一時間差があっては天測が成り立つわけもありはしない。

その謎が解けた訳を死に際の弟に報告して詫びたら、苦しい息の下から弟は、「ああ、兄貴もう遅いよな」

言ってくれたものだったが。

                            第二十回に続く


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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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