【連載】男の業の物語 第二回『死ぬ思い』


よく「死ぬ思いで何々したよ云々」と言うが、これはやはり男の使う慣用句であって、女はあまりこんな文句は口にはしまい。女の場合はせいぜい何かの病にかかったとか、そんな病からなんとか脱したといった場合くらいのものだろう。そこらが男と女の生きざまの質的な違いということだろう。

斯く言う私もある時はまさに自業自得、ある時は不可抗力、まさに天の悪戯によってとしか言いようのなかった羽目で死ぬ思いをさせられたことがある。

しかしそうした体験は結果として私を男として磨いてくれたと思う。だから居直って言えば、何かで死ぬ思いをしたことのない奴なんぞ一人前の男とは言えないのではないか。

かと言ってそんな体験を繰り返してそれに慣れてしまい死を恐れぬ人間になりたいとは思わないが。

あの冬のマッキンレーで前人未踏の単独登頂を果たし下山の途中、想像を絶する強風に吹き飛ばされて死んだ無類の冒険家の植村直己みたいに「死ぬ思い」に憧れて慣れ尽くして、結局死んでしまったような男になりたいとも思わないが。

まあ「死ぬ思い」なる体験は男の人生のアクセサリーとは思うが、私自身も味わったあんな体験はまたしてみたいとは決して思わないが。

最初のそれは一九六二年の十一月に行われた初島回航のヨットレースだった。コースは葉山をスタートしフィニッシュラインは当時はまだヨットレースが許されていた東京湾の横浜ヨットハーバー沖だった。

私の船は断トツで初島を回り、その後を早稲田の『早風』とアメリカ海軍の『カゼハヤ』が追いかけてきていた。

ところが相模湾に入ってから到来した寒冷前線が何故かずたずたに裂けてしまい、それが小さな低気圧をつくってしまい、前後左右から突風が吹きつけ三角波をつくり、船をあおって舵もきかなくなってしまった。『カゼハヤ』はいち早くリタイアしてしまい、私たちの船を『早風』が無理したオーバーキャンバスで追いかけてきていた。しかし後で聞くとその前に慶応の『ミヤ』が転覆して沈み、『ノブキャン』では落水者が一人出ていたそうな。私たちの船は三崎の城ヶ島間近の沖合いにいたが、あの辺りの悪い潮がつくる三角波に翻弄されつづけて舵がきかずにまるでロデオの馬の背に乗っているみたいで、島の灯台の明かり近くで踊る三角波を帆に映し出し、それが髪の毛を振り乱して狂う女の姿にも似て見え、私は決心してレースを棄権して間近なホームポートの油壺に戻ることにした。

その決心が正解だったことには、後に私たちを追い抜いてそのまま横浜を目指して暗礁の多い金田湾に突っ込んでいった『早風』は遭難して沈み、六人のクルー全員が流され、対岸の千葉県の海岸に二人の遺体が打ち上げられ他の四人は行方不明になった。あのレースでは合計十一人という未曾有の犠牲者が出たものだった。あれはまさしく死ぬ思いをさせられた初めての体験だった。

二度目の死ぬ思いはまさに自業自得で偶然目にした北マリアナの北端のマウグという、かつての海底火山の火口の周囲がそのまま百メートルを越す断崖となって隆起している奇怪な島の魅力に誘われ、仲間たちと船を仕立ててダイビングツアーに出かけた時のことだ。足の遅い船でようやくたどり着いた一つ手前のパジャロという火山島でともかく早く未知の海に潜ろうとして気がせいて、本船からテンダーに飛び移ろうとして足に履いたフリッパーを引っかけて横転し仲間の膝に背中から落ちてしまった。

いちおう本船に戻って背中に薬を塗りマッサージをしてもらったが、仲間もただの打ち身だと言ってくれ、その気になって夕飯の時に酒を飲み夜釣りをしていたら突然背中に激痛が走った。並の痛さではなく身動きが出来ない。これはただ事ではないと思い、最寄りのサイパンまで下って診断を受けなくてはとダイビングは諦めて足の遅い船が南下した。しかし激痛で眠ることも出来ず、サイパンの救急センターに連絡したら途中のパガンという島に噴火で半分潰れた古い滑走路があるからそこで救急用の飛行機で拾ってくれるという。

言われてたどり着いたパガンなる島はかつては人が住んでいたそうだが、火山の噴火で無人化してしまい昔飼われていた牛が野生化し危険きわまりない。痛む背中を庇いながら這い上がった昔の飛行場の滑走路はわずか三百メートルほどのもので、それでも奇妙な形をした救急用の飛行機はなんとか着いてくれたが、はたして無事に離陸できるものなのか。これで失速して海に墜落したら怪我人の私だけが死ぬだろうと、あの時は本気で縋る思いで神に祈ったものだった。

しかしたどり着いたサイパンの病院では症状からしてもしも背中に損傷があったならここでは処置が出来ないからグアムの海軍病院に行けという。痛みからして事は尋常ではなさそうで、もしも背骨をやられていたらこれは一生ものだと暗然とさせられた。

そしてたどり着いたグアムの海軍病院で早速レントゲン写真を撮った。祈る思いで結果を待ったが、幸い肋骨にひびが一か所あるだけとのことで息がつけた。

そのまま島の日航ホテルに入り翌日の航空便を予約し、昼夜三日間飲まず食わずできた体を癒すために大型のステーキをむさぼり思い切ってカンパリソーダをあおった。あの時ほど酒が身にしみたことがない。それでいい気になってさらにスコッチのハイボールを二杯飲んだ。そして部屋に帰りベッドに横になったら途端にあの激痛が襲ってきた。なに慣れたものだと覚悟してそれでも熟睡したものだ。

後で聞いたら骨折には酒は禁物だそうな。そして日本に帰り確かな病院で調べたら、なんと肋骨のひびは一つではなしに三つあったものだった。

あのまさに命がけの体験は今になれば身から出た錆として忌々しくもあるが懐かしくもある。しかしあれがこの私を男として鍛えてくれたとは毛頭思いはしないが。

第三回に続く
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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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