古田大輔が考えるメディアのコラボとは?~元NHK立岩陽一郎のLIFE SHIFT㉕

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米。巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが、さまざまな人の人生、LIFE SHIFTを伝えていく。


古田大輔はなぜBuzzFeedをやめたのか?

私が関わっている世界をメディアとかジャーナリズムとか呼ぶ。それは何かと言われたら、昔は、新聞やテレビとでも答えたのだろうが、正直、明確に答えるのは難しい時代になっている。情報技術の発達でそう単純ではなくなっているからだ。

そうした中で、この分野で台風の目となっている人たちが何人かいる。その一人は、以前そのLIFE SHIFTを伝えた楊井人文だろう。そして、もう一人は古田大輔。この二人は同年代。会社は違うが、同じ年に新聞記者になった社会人同期ということになる。40歳前後。GOETHEの読者は彼らと同世代の人も多いのではないか?

古田大輔。今回のLIFE SHIFTの主人公。時代を切り拓こうとする人間の生き様だ。

台湾でのセミナー

「意外かもしれませんが、日本ではネットでの虚偽情報の発信はあまり多くありません。今後変わるかとは思いますが、今のところは目立ってネットで虚偽情報が流されているという状況ではないです」

今年(2019年)10月の台湾大学。登壇した古田大輔は英語で説明しつつ、パワーポイントで根拠となる数字を示した。会場から驚きの声があがる。

この日、古田の話に聞き入ったのは台湾のジャーナリスト、研究者、学生、それにアジア各国から招待されたジャーナリストの面々。加えてGoogle、Facebook、LINEの台湾の代表も来ている。

このセミナーは、情報の真偽を検証するファクトチェックについて議論するもので、古田は日本の代表として招待された。

「勿論、今後、こうした状況は変わるでしょう。ですから、ファクトチェックは日本でも重要になってきています」

朝日新聞で海外特派員を経験し、アメリカで生まれたメディア、BuzzFeedの日本代表を務めた古田が丁寧な英語で語る。本人が言う通り、必ずしも英語は流ちょうではない。しかし、準備した原稿を読むことはしない。考えながら、吟味した言葉で聴衆に語りかける。原稿を読めばきれいには聞こえるが、それでは相手には通じないことを知っているのだろう。

勿論、時に英語の単語が出ないときもある。

「ええと、無罪って、なんて言うんでしたっけ?」

説明の途中で、客席の最前列にいた私に顔を向けて問うた。え? とっさのことで、私の頭も回らない。

「うう……何だっけ?」

すると、離れたところに座っていた香港大学准教授の鍛冶本正人が助け舟を出した。

「Not guilty」

「ああ、そうだ。Not guilty」

そう言うと、会場が沸いた。聴衆はリラックスし、更に古田の話に引き込まれていく。勿論、計算ではないだろう。しかし、思った。うまいなぁ。

古田との出会い

古田についてはあまり説明する必要はないかもしれない。雑誌、テレビに引っ張りだこな気鋭のジャーナリストだ。1977年生まれだから私より10若い。顔も私より良い。背も私より高い。正直、羨ましい……。

この台湾でのセミナーには私も参加していたのだが、その一番の理由は古田と時間を共有できることにあった。後述するように古田がLIFE SHIFTを実行している最中だったからだ。

私が最初に古田に会ったのは2013年だったと思う。古田は朝日新聞の記者だった。NHKの国際放送局でデスクをしていた私が早稲田大学でジャーナリスト仲間に取材の内容を話すよう言われ、その場で出会ったのが最初だった。二次会の居酒屋で古田と話していて思ったことがある。

「筑紫哲也って、若いころ、こんな感じだったんじゃないか?」

勿論、古田には言ってはいない。しかし飄々とした語り口、その一方で内に秘める熱い思い……まぁ筑紫哲也に会ったことはないので、全ては想像の範囲でしかないのだが、なんとなくそう思ったのを覚えている。

その後、古田から一度誘いを受けたことがある。ネットを駆使した様々な取り組みを議論するハッカソンだった。早速、仕事終わりの夜7時過ぎに渋谷に朝日新聞が持つメディアラボに行ってみると、多くの人でにぎわっていた。そのほとんどが外国人なのに驚いた。職種も多様だった。

英語で行われるそこでの議論は、新聞記者とかジャーナリズムとは全く違うネットメディアを駆使した様々な取り組みだった。正直、私はほとんど議論についていけず、以後は顔を出していない。古田は次元の違う世界にいる……私はそう感じた。

古田は今後どうなるのだろう? 純粋に、そういう関心で彼を見るようになった。そして、そのチャンスがこの台湾で到来したというわけだ。

台湾大学でのパネルディスカッションは休憩時間になった。しかし、パネリストとしての役割が終わっても参加者に囲まれて質問攻めにあっている。私には接触するチャンスもなかなか巡ってこない。仕方ない。翌日、同宿したホテルで、朝食の時間に話を聞かせてもらうことにした。

古田大輔の経歴

ここで簡単に古田の経歴を書く。出身は福岡。早稲田大学政治経済学部を卒業して朝日新聞に入社。就職は新聞しか考えていなかったという。

「NHKには興味はありました」

私への気遣いからか、そう言った。しかし、否、そして、第一志望の朝日新聞に入社。京都総局を振り出しに、豊岡支局、西部本社社会部を経て国際報道部へ。そしてバンコクのアジア総局を1年半経験してシンガポール支局長。

こう書くと、きらびやかな経歴に見える。しかし、古田はそれを否定する。例えば、就職は大学卒業後直ぐではなかった。

「大学を卒業して1年間、無職でした」

なんで?

「僕はあまり裕福ではなかったんです。だから苦労して学費を払っていた。そうした中で、授業も出ずに就職活動なんて、僕にはできなかった」

できなかった……で、しなかった?

「ええ、入りたくて入った大学ですし」

しかし、この就職活動時期の大学生の会話と言えば、「お前どうだった?」、「なんとか一次は通った」……がその全てだったりする。つまり、そうした会話に一切、入らないということは、友人との会話から外れるということだ。

「勿論、まわりはみんなそうでした。そういう会話ばっかりですから。でも、僕は正直、それで自分の考えが変わることもなかったです」

焦りもなかったという。なるほど、古田はこの時に既にLIFE SHIFTを実践していたのかもしれない。この時期から新聞記者になることを考えていたという。そして卒業後1年の無職を経て念願の新聞記者になったということだ。

確かに、それはきらびやかなキャリアとは少し違う。

心の中で起きたLIFE SHIFT

その後、古田は朝日新聞を辞めてアメリカで生まれたBuzzFeedの日本版の創刊編集長になるわけだ。それは明確なLIFE SHIFTと言って良いだろう。しかし古田の話を聞いていると、その前にいくつもLIFE SHIFTがあったようにも思える。最初のLIFE SHIFはいつかと尋ねてみた。すると、次の様に答えた。

「シンガポールに赴任した時ですかね」

なりたくてなった特派員時代ということだ。

「シンガポールには様々なグローバル企業のアジア太平洋地域拠点があり、人材採用の機能が集中しているんです。そこでHR系の人たちと交流するようなり、自分のキャリアのことを考えたんです」

HR系?

「Human Resource……人材開発の担当者です」

それまでは古田は、生涯一記者を理想としてきた。私もそうだが、そういう思いでジャーナリズムに入る若者は少なくない。その希望が叶った。社会部で外国人労働問題を取材し、希望通り海外特派員になった。この先も順風満帆と言って良いかもしれない。

「しかし10年目の自分を振り返ってみて、どうするんだろうと思ったんです。特に専門性もない。HR系の人は、常にそれを吟味し、吟味されているわけです。それと同じレベルで自分を吟味した時、自分に専門性、つまり、自分には他人より優れたものがあると言えるのか? そして、今後、満足のいく仕事はできるだろうか? そう考えたんです。

HR系と違うのは、古田の場合は、それが経済的な成功という意味ではない点かもしれない。

「真剣に、どうやったら社会により良いことができるのか……どうしたら自分は社会に貢献できるのか、それを考えた」

「社会貢献」という言葉はこの後も古田から聞かれることになる。そして一つの結論に至る。自分はインターネットが好きで、この部分では社会に貢献できるものがある。

シンガポール支局長が任期を終えれば普通は外国報道部に戻る。アジア各国での取材経験を東京で活かすのが一つのパターンだからだ。しかし、古田はその選択はとらなかった。デジタル編集部を希望したのだ。

新聞社と言えば、政治部、社会部、そして外国報道部が花形だ。NHKも変わらない。

「何も好んでそんな部署に行く必要はないだろう」という声も聞こえたはずだ。しかし、それを古田に問うのは愚問にも思えた。

入りたくて入った大学生活に専念したいと就職活動をしなかった人間だ。恐らくこう言っただろう。

「気になりませんでした」

自分のことを冷静に考えて出した結論。古田大輔、34歳の決断だった。

そして2013年4月、古田は帰国。希望通り、デジタル編集部に配属される。古田は自分を次の様に評す。

「もともとインターネット大好き、テクノロジー大好き人間」

今では新聞社に不可欠な機能となっているインターネットだが、当時はまだそういう認識を持つ新聞人は極めて限られていた。古田は、その限られた新聞人の一人だった。

「新聞社はインターネットメディアにならないといけない。紙とテレビ(のメディア)は続くはずがない」

そう考えた古田は、直ぐに動き出す。社内で新規事業を立ち上げる「メディアラボ」の公募があると手を挙げ、その活動にも加わる。私に声をかけてくれた渋谷の施設。そして2014年に私が圧倒されたメディアハッカソンの活動を始める。それは様々なメディア関係者、ジャーナリスト、デザイナーが一緒になってデジタルジャーナリズムを推し進めるものだと古田は説明した。

「アメリカでそういうものをやっていると知り、日本でもやりたいと思った。メディアラボのメンバーの助けも借りました」

デジタル編集部の記者としても、様々な取り組みを開始。その一つが「ラストダンス」。浅田真央のソチ五輪での最後の演技をデータをかけあわせて見せるというものだ。

アクセスすると、浅田真央の様々なシーンが写真と文章で描かれ、スクロールすると写真の浅田真央が躍動する。また、スケーターとしての知られざる葛藤を動画のインタビューで関係者が語る。

新聞社のインターネット記事は紙の焼き直しという従来のイメージを一新するインターネットに特化したコンテンツだった。

掲載直後から多くの読者がアクセス。周囲からも高く評価された。紙ではできないデジタル新聞の方向性に手ごたえを感じた瞬間だった。

気をよくした古田は、今度は同じ手法でハードなネタに挑戦する。中国の南シナ海の進出を、データをビジュアル化して描いた「対立の海」を作った。新聞ではできないし、多くの人が興味を持ってくれる……古田は「ラストダンス」の成功からそう確信していた。ところが、掲載から数日経ってもアクセス数は伸びない。

なぜか?

難しい話だが、グラフィックを使い分かりやすく伝えている。そうとうの自信作だった。

そして、はたと気づいた。

「僕がやっていることは、紙でやれないことをネットでやろうというだけだったんです。それはしかし、ユーザーのニーズは考えていない。プロダクト側の発想。マーケットの発想がなかったんです」

マーケットの発想。つまり受け手の側に立たないと、インターネットメディアは成立しない。それを考えさせられた経験だった。

BuzzFeedとの出会い

その頃、古田はアメリカのメディアの動向をチェックしていた。アメリカのネットメディアの活発な展開は、古田にとってモデルでもあり、また羨ましい存在だった。特に、BuzzFeedが凄かった。ソフトなネタからハードなネタまで様々、まさに受け手を考えたコンテンツの展開を行っていた。

そんなある日、日経新聞の記事が目にとまった。

「BuzzFeed、日本進出」

古田は直ぐに考えた。誰かしらが来て日本でマーケットリサーチを行うはずだ。そうであれば、その際に、必ず声をかける人が何人かいるはずだ。古田は直ぐに声をかけられそうな人に連絡して、次の様に依頼した。

「BuzzFeedの人間がリサーチに来日する。来たら紹介してくれ」

そして、その一人から連絡があり、BuzzFeedの人間と会えることになった。海外進出の担当副社長だった。

実は、この時はただの取材のつもりだった。ただ、日本のマーケットの状況をきかれたので、知り得ることは教えた。彼と打ち解けるのに時間はかからなかったという。

編集長を探しているという話だった。進出の戦略についても、どうしたら良いと思うか問われ、いくつかアイデアを伝えた。

「日本人は最初の印象が大事。エンターテイメントから入ると、そのイメージが固定して、その後の採用や展開が難しくなる。ニュースとエンターテイメントを同時に行う必要がある」

何度目かの面会のあと、副社長が次の様に聞いてきた。

「興味ある?」

古田は直ぐに応じた。

「興味あるよ」

すると、副社長はこう出た。

「CEOと話すか?」

ニューヨークにいるCEOとハングアウトで面談をし、編集長を打診された。その日の午後には、朝日新聞に退社の意思を伝えた。

そして、BuzzFeed Japan創刊編集長、古田大輔が誕生した。

これは、古田にとっては目に見える最初のLIFE SHIFTだ。迷いはなかったのか? 古田はこう答えた。

「メディアの立ち上げを自分でやるなんていう大きなチャンスは、そうはないでしょう。これは面白そうだ」

そして加えた。

「朝日新聞の仕事に不満はなかった。たくさんの希望を通してもらったし、それぞれの部署で良い経験をさせてもらっていた。ただ、組織が大きいから何かを決めようと思うと大変なのも事実だった」

もっとやりたいことがあるが、それを実現させるための時間と労力はけして小さくなかったということだ。それは日本メディアの伝統的なルールでもある。それを変える必要はあるが、実際には中から変えるのは至難の業だ。

「伝統的なルールを変えるには、中から変えるのではなく外で成功例を示す必要がある」

古田はそう考えた。

勿論、特派員をしていた経験で海外メディアの問題も知っている。例えば、世界から評価されるアメリカやイギリスのメディアだが、実は緻密さに欠けるところがある。そういう点は日本のメディアの方が優れている。欧米の良さと日本の良さを合わせたメディアを作れないものか。古田は創刊編集長として、新たなメディアを立ち上げることにまい進する道を選んだ。

BuzzFeedを去る

古田は積極的に人材を招き入れ、BuzzFeed Japanを大きくした。PVも伸びた。2019年には、BuzzFeed Japan常勤スタッフが70人ほどとなった。このうち編集部、つまり取材に関わるスタッフが40人。テレビの地方局より多いかもしれない。

BuzzFeedは、アメリカは勿論、カナダなど様々な国でその存在感を示している。その日本の代表として古田は各国の創刊編集長とも連絡を取り合い、マーケットが求めるニュースや情報とは何かを考え続けた。

古田はBuzzFeedに入る時、報酬を朝日新聞時代より下げている。自分を高く売ることが当然のアメリカ・メディアであるBuzzFeed側はさぞかし驚いたことだろう。下手したらやる気がないとも受け取られる。なぜか?

「BuzzFeedの将来はバラ色とは思わなかった。いろいろな困難が待ち受けている。そこに多くの有能な人材を招き入れないといけないが、日本の新聞やテレビほどの給料は払えない。自分だけが報酬を高くするのは気が引けた」

その古田がBuzzFeedを辞めるという話は、2019年の春、関係者の間で瞬く間に広がった。

どうして? とは誰もが聞く。私もきいた。

「実は2020年には辞めるとは、当初から決めていたんです。オリンピックが終わったぐらいが任期かと思った」

しかしまだ2019年だ。「理由はいろいろある」というが、そろそろBuzzFeedではできないことをやる時期に来ていると感じたという。

その一つは、メディアのコラボレーション、協力関係の構築だった。

「2016年のアメリカ大統領選挙では、ポスト・ツルースと言われる状況が起きました。同じ頃、日本でもネット情報の信頼性が問われる事件が起きていた。これはメディア業界で、社(の垣根)を越えて議論する必要があると強く感じていた」

そして2019年5月末にBuzzFeedを辞める。そして、2019年6月、株式会社「メディア・コラボ」を立ち上げる。メディアのコラボレーション、協力関係の構築によってメディア全体の活性化を目指す狙いがある。

ここでも、古田は「社会貢献」という言葉を使った。

「メディアのコラボレーション、それによって社会貢献するのが狙いです」

それはBuzzFeedの創刊編集長としては無理だったのだろうか?

「どうしても、BuzzFeedの創刊編集長としてのポジショントークと受け取られてしまう。でも、ネットワーク作り、知識の共有などはすぐにでも始めないと間に合わないと思ったんです」

もう一つは、NPOメディアの立ち上げだ。

「まだ、構想段階ですが、ここから出る情報は信じられるというのを作りたい。ここに正しい情報がある。ここを見れば、正しい情報に接することができる。そこでは、ファクトチェックもやる」

ファクトチェックとは情報の真偽を検証する取り組みで、古田も、楊井や私が取り組んでいるファクトチェックの日本での普及に積極的に関わっている。それを実践する場を作るということだ。加えて、面白いことを言った。

「解説動画をやりたい」

解説動画って何なの?

「例えば、今の日韓問題をどう理解すればよいのか? ファクトをわかりやすく伝える。オピニオンをぶつけるのではなく、まず現実を理解する助けになりたい。アニメーションなども活用して解説する」
 
寄付を活動資金にするという。さほど大きな資金は要らないと話した。

「勿論、多くの人に見てもらいたい。しかしお金のためにやるわけではない」

そう言い切った。

台湾で過ごした最後の晩、古田と夜中の台湾の屋台に繰り出した。夜9時をまわっていたが、屋台は賑わいの真っただ中だった。

「アジアの屋台って大好きなんですよ。タイやシンガポールでも、よく行きました」

見ると、いろいろなものが売られている。揚げ物もあれば、麺、ご飯もの、そしてスイーツ。屋台もあれば、簡単なつくりの店もある。どこも人でごった返している。

麺の店に入った。二人ともよくわからないながら互いに違う麺を頼んだ。暫くして麺が運ばれてくる。スープをすすり、麺をほおばる古田。

「うまい」

そこで見せる笑顔。それを見て思った。古田の周囲に人が集まるわけだ。私より若いのも、顔が良いのも、背が高いのも仕方ない。許す。しかし、この笑顔はずるい。

㉖に続く

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