クリスチャン・ディオールが認めた日本の器とは?【窯元インタビュー】

2010年から、フランス・パリのディオール本店で取り扱われている「ぎやまん陶」。1921年、岐阜県土岐市にて創業し、ピーク時には日本一の生産量を誇っていた美濃焼の窯元「カネコ小兵(こひょう)製陶所」の器だ。創業時は、神仏具や徳利の生産に力を入れていたが、20年ほど前から食器の生産に着手。深みのある色合いが特徴の「ぎやまん陶」シリーズは、今や同社の看板製品となった。2020年には100周年を迎える老舗の日本の伝統工芸品が、なぜパリからラブコールを受けることとなったのか。窯元・伊藤克紀氏に話を聞いた。


パリの本店に陳列されることになった経緯

2010年に、ドイツで行われた生活用品見本市「アンビエンテ」に「ぎやまん陶」の茄子紺ブルーを出品。それがディオールのバイヤーの目に止まり、本店での取り扱いが決まりました。

その際に、注文を受けたのは1アイテム12枚ほど。ディオールで取り扱ってもらうのなら1000枚、2000枚の注文が入るのでは、と身構えていたので、少し拍子抜けしてしまいました。ですが、よくよく聞いてみると、世界中のディオールの店舗の中で食器を取り扱っているのはパリの本店のみだと。すごいことなのだと実感しました。

ディオールでの取り扱いが始まったのが2010年。その2年後、妻と結婚25周年の旅行でパリを訪れた際に、ディオールの本店に出向きました。取り扱いが始まってからすでに2年が経っていましたが、それまでは担当者を介してのメールのやり取りのみ。はじめて、顔を合わせての打ち合わせが叶いました。その時に、160枚の注文をもらったんです。なぜ、いつも20~50数枚の注文なのにいきなり160枚なのかと不思議に思いました。

カネコ小兵製陶所の窯元・伊藤克紀氏

実は、パリの最高級ホテル、クリヨンで総料理長を務め、現在はミシュランで二ツ星を獲得している『ル・グラン・レストラン』のシェフ、ジャン =フランソワ・ピエージェ氏が、ディオールの本店で「ぎやまん陶」を購入し、自身のレストランで愛用していると。なんでも、彼の代名詞でもあるデザート、ブランマンジェのレシピの構想には、15年もの月日を費やしていたそうなのですが「ぎやまん陶」を手にした瞬間に、そのレシピが完成したのだと……。

さらに、ヴェルサイユ宮殿で催されるドン・ペリニヨンのパーティーに、ピエージェ氏が起用され、そのパーティーに参加される150名のゲストに振舞う、コースのデザートの器に「ぎやまん陶」を使用したいと、ディオールに160枚の注文が入ったと言うのです。後にパーティーの写真を見たときは胸が熱くなりました。

『ル グラン レストラン』にて、ピエージェ氏と。器について「とても気に入っているので、何も変えないでほしい。これからも長く使い続けていきたい」と語る。

芸術は迎合させるものではない

実は、ディオールの本店を訪れる際に、パリの方々に向けて「ぎやまん陶」で作った試作品を持って行きました。いわゆるカフェオレボウルと呼ばれる器です。てっきり喜んでいただけるかと思って、打ち合わせ中にお見せすると、怪訝な顔をされてしまって。「あなたは、カフェオレを飲むのですか?」と、問いかけられました。飲みません、と答えると「私たちは、日本の美意識に感動して、良いと思ったものを購入し、フランスで紹介しているのです。フランスに迎合しないでほしい」と言われました。

その“カフェオレボウル事件” では、頭が下がりました。自分の甘さを思い知ったと同時に、感謝の気持ちもありましたね。物事をはっきりと言っていただけることが、僕らのモノ作りに活かされる。日本らしさ、という言葉が彼女の口から出てきたことも嬉しかった。だからこそ、日本の美意識について考えるようになり、モノ作りに対する意識も変わりました。日本文化、日本歴史についての造詣を深めたいと、例えば色の専門家に話を聞きに行ったり……作品に落とし込むために、他分野にも目を向けるようになりました。

「ぎやまん陶」が陳列されているパリのディオール本店。ここで取り扱われている器にのみ、裏にDiorと記されている。

まずは、自分の感性を高めないと、よいモノ作りはできません。そのためには、素晴らしい芸術に多く触れることも必要不可欠。大切なのは、自分の意欲を維持しつつ、あせらないことです。ただ、そこが社長としての苦しさを感じる部分ですね。よいものを作りたい、だけど、売れないと社員が困る。だから、よいものかつ、売れるものをつくらないといけませんから。

大切なのは「どれほどまで美意識に執着し探求できるか」

好きな言葉は、不易流行。すべてにおいて、守るべきものと、変えるべきものがある。伝統というと、守らなければならないものという意識があるけれど、時代は変わっていくものです。例えば、武士の文化の時代には、抹茶茶碗が流行りました。しかし、時代が移り変わり、茶道を嗜む人々の総人口が減ったら、抹茶茶碗自体のクオリティは変わらなくても、それを求める人が少なくなってしまう。そうなると、やはり作る物の方を変えなければいけません。ですが、具体的にどう変えたらいいのかがわからない、というのが伝統のあるモノ作りをしている人々の意識には少なからずあると思います。

作り続けているものは変わらないけれど、世の中は変わっていき、美的感覚も変わっていく。いいものが残る、という定義の裏側には、試行錯誤を繰り返し、いいものを生み出した、という過程があるはず。僕らは美濃焼に対する伝統はあります。新しい美濃焼とはどんなものなのか、まだ誰にもわからない。だから、いろいろと試してみたい。それが創造であり、ゆくゆくは伝統になるのですから。

Katsunori Ito
カネコ小兵製陶所代表取締役社長。1956年岐阜県生まれる。大学卒業後、商社勤務。その後、家業の製陶業を継ぎ、父親の没後、社長に就任。現在に至る。
http://www.ko-hyo.com/

Text=加藤久美子(ゲーテWEB編集部)