【酒井高徳】人とは違う、それでいい! 日本人初の独リーグ主将のリーダー論③

日本人とドイツ人、所属クラブと日本代表、栄光と葛藤、さまざまな苦悩を乗り越え、「ハーフ」ではなく、「W(ダブル)」として、強くなったサッカー選手・酒井高徳。幼少期からの衝撃的なトラウマを経て、日本人初のブンデスリーガ・キャプテンになった男が生みだしたリーダー論を短期連載で公開。

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未来や目標から、逆算して今を生きることはしない

「中学2年の誕生日に父がスパイクを買おうと言ってくれたんです。でも僕は『どうせすぐにダメになるんだから。買わなくてもいいよ』と断りました。自分の家の財政状況に余裕がないことはわかっていたので。サッカーを始めてからもスパイクはいつもチームメイトのお古をもらっていました。誰かが新しいスパイクを買うと『もうこれ履かないなら、僕が履いていい?』と言って。だから、左右のスパイクが違うこともあったけど、恥ずかしいなんて微塵も思いませんでしたね。

それよりも僕が『スパイクをほしい』と言うことで、両親を困らせることになると思っていたから。サッカー専門誌のスパイク特集やスパイクの広告を何度も見て、スパイク欲を満たしていました。だから、どうしても買うといって譲らない父とショップへ行ったときは、ほしいスパイクはすぐに決まりました」

外国人のような容姿をからかわれる現実。フィジカルでは勝てても技術では勝てないという現実。豪雪地域である新潟では1年中サッカーがグラウンドではできないという現実。幼い酒井が受け入れなければいけない厳しい現実は数々あったが、それは特別なことだと考えることもなく、当たり前だと彼は飲み込んだ。

酒井がサッカーを始めたのは小学5年生。同世代のなかでは遅すぎるスタートだった。それでもその高い能力が開花するのに時間はかからず、市、県、地域と代表チームに選抜される。ステージが高くなれば、自分よりも巧い選手や強敵と出会い、そのたびごとに心を折られる。それでも「負けたくない」「もっとうまくなる」と立ち続けた。そんなふうにステップアップを続け、日本代表としてイタリア遠征にも出かけたが、中学生の酒井の目標には、「Jリーグ」はおろか、「日本代表」もなかったという。

「地元のアルビレックス新潟の試合に行ったことはありましたが、それがプロリーグだということも知りませんでした。なので、Jリーグのこともわからず、ワールドカップや日本代表の知識もなかったんです。とにかく、目の前のことで精いっぱいという感じでした」

大きな目標を持たずとも、受け入れる当たり前の現実を乗り越えた結果、今の酒井がいる。長期、中期、短期の目標を立て、キャリアを逆算するように生きるアスリートの言葉が多くの人の共感を得ているが、酒井高徳は「逆算しない」と言い切る。

「未来や目標から、逆算して今を生きることはしません。人生なるようにしかならないと考えているから。逆算して、今どうあるべきかを考えて、焦ったりするよりも、現実を受け入れて、目の前のこと、今やるべきことに全力を尽すことのほうが、僕にとっては大切なんです。たとえ夢や目標が達成できず、諦めなければならないときが来たとしても、やりきったと思えれば、その時間も糧になる。だから僕は自分の人生を振り返り、不安になることはないんです」

もちろん、「今やるべきこと」を感じ取り、精査し、それを実行する信念や諦めないという強い気持ちがなければ、「糧」は得られないだろう。しかし、重要なのは「今ある姿」、現状を受け入れ、冷静に客観的に判断することだ。ないモノをねだっても前へは進めない。友だちのお古のスパイクでボールを蹴り続けたリアリストな少年の姿に、酒井の強さを感じる。

次回に続く


Gotoku Sakai
1991年生まれ。日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生し、新潟県三条市で育つ。2009年アルビレックス新潟ユースからトップチームに加入。‘12年1月、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍。’15年7月、ハンブルガーSVへと移籍。古豪の名門クラブでキャプテンに指名される。ブンデスリーガ初の日本人キャプテン。’14年ブラジル大会、’18年ロシア大会と2大会連続でW杯メンバー入り。日本代表Aマッチ通算42試合出場。



『W~ダブル~ 人とは違う、それでもいい』
酒井 高徳
ワニブックス 1,296円


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一