西日本豪雨がもたらした土色の光景 元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT 第9回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。第9回は西日本豪雨災害の被災地にボランティアとして参加、そこで見たものを綴る。


すべてが土色に変わっていた

それは川を渡った瞬間だった。目の前の風景が土色に変わった。

「これが……」

豪雨災害からほぼ3週間後の被災地の姿だった。災害のきっかけとなった小田川を超えた途端、家屋、田畑、木々のその全てが土色をしている。泥を被ったということだろう。それが酷暑とも言える日照りによって乾燥したものが町全体を覆っている。

7月27日、私は岡山県倉敷市のボランティアセンターで乗り込んだ大型のバスで、真備町にあるボランティアのサテライトセンターに向かっていた。バスはボランティア参加者で満席だ。

土色の光景に、私と同じように驚いている人もいれば、既に何度も来ていて慣れているのか、静かにじっと見ている人もいる。

「聞きしに勝る、だな」

一緒に来たNPO「ニュースのタネ」の鈴木裕太君に声をかけた。

「テレビでニュースを見ていてもわかりませんね、これは」

若さに似合わずいつも冷静な鈴木君も言葉を失っていた。

西日本豪雨災害については既に新聞、テレビで報じられている通り、200人以上の犠牲者を出す雨の被害としては過去に例を見ない大惨事となった。

レギュラーコメンテーターをしている毎日放送「ちちんぷいぷい」でも、総合司会のヤマヒロこと山本浩之さんが現場に出て被災地から伝えた。スタジオの私も、ヤマヒロさんの代役で司会を務めるキャスターから次々とコメントを求められた。それは私が社会部記者としていくつもの災害の現場を取材してきたからだろう。

確かに、私はこれまで雲仙普賢岳、阪神大震災、中越地震とNHKで取材し、東日本大震災については発生時には米国に滞在していたものの帰国後にデスクとして取材指揮するなどしてきた。トルコ沖地震など海外で発生した災害も取材してきた。しかし……実は、私には取材という行為に、ある種のうしろめたさを感じていた。

それは、私の被災地での立ち位置だ。マスコミには、特有の第三者的な視点という「くくり」がある。勿論、その第三者的な姿勢を全否定するわけではないが、しかし、所詮は当事者ではない軽さがどこかに漂う。例えば、阪神大震災の被災地に大阪から向かうNHKがチャーターした船の中で冗談を言い合う若いアナウンサーのグループなど、不思議な光景ではなかった。

何か、第三者のような視点ではない形で災害を見られないものだろうか? そう考えた時、当然の様にボランティアという単語が思い浮かんだ。

ボランティアは純粋な意味での当事者ではない。しかし、取材者よりは当事者に近い。被災者に寄り添うと言って、これほど寄り添っている存在はない……まぁ、御託はこれくらいにしよう。

要は、私、50歳のこの日まで、災害復興のボランティアをやったことがないのである。実は恥ずかしい話なのかもしれない。災害の現場に居ながら、私は常に取材者、つまり第三者の立場でしかなかったのだ。

「よし、ボランティアをやろう」

そう思うと、主宰する「ニュースのタネ」のスタッフである鈴木裕太君にLINEを送った。

「被災地で一緒にボランティアをやろう。どこへ行くか検討しよう」

鈴木君は37歳とまだ若い(私と比べれば)。2013年にNPO「ニュースのタネ」を立ち上げた時からの創設メンバーだ。

「了解です」

鈴木君からは直ぐに返信が来た。

その後、2人でネット情報を検索するなどして大阪から3時間半ほどで行ける岡山県倉敷市真備町の被災地に向かうことにした。

前述のバスに乗り込んだのは、倉敷市のボランティアセンターが設置されている中国職業能力開発大学だった。ここに鈴木君と朝8時半にマイカーで到着。見ると、高齢な方が誘導員などをしている。ボランティアを支える現地の方だ。

窓を開けて挨拶すると、「ご苦労様です。ありがとうございます」と頭を下げられた。

そして誘導に従って車を停めた。車を出ると……暑い。日はまだ高くなかったが、既に気温は上がっている様だった。

「ありがとうございます。到着された方はこちらに来て受付をお願いします」

体育館で説明を受けるボランティア。最初に災害の犠牲者に黙祷がささげられた。

誘導に従って、大学の体育館に入った。ここがボランティアセンターとなっていた。既に、多くのボランティアが来ていたが、体育館内は冷房が入っていたので快適だった。そこでボランティアの受付を行い、ボランティア保険に入るなどし、出発を待つ。

その間に、1組5人で班分けが行われる。私は倉敷市内の病院で看護師をする若い女性2人と鈴木君、それに男性。男性は、藤村篤史さん。倉敷市で化学プラントのオペレーション業務をしている技術者だという。43歳だというから、私が最年長となる。

「リーダーを決めてください」というアナウンスが流れ、最年長の私がリーダーとなった。

続いて、「タイムキーパーも決めてください」とアナウンスが流れる。

女性2人が席を空けていたこともあり、タイムキーパーは藤村さんにお願いした。

アナウンスが続く。

「本当にお疲れ様です。みなさん、熱中症に気を付けてください。リーダーの方を選んでもらいましたが、リーダーの役目はいくつか有ります」

なんだろう?

「5人のボランティア全員が無事に戻るようお願いします」

なるほど、それはそうだ。

「リーダーの皆さんは、頑張って働くための指示を出すのではありません」

ん?

「現場では被災者の方に感謝されてついつい、頑張ってしまいます。リーダーの方は、ボランティアの方が頑張り過ぎないよう目配りをお願いします」

ほう……。

「被災者の方から依頼されても、ボランティアのレベルにはできない範囲の危険なこともあります。そういうことについては、できないと言ってください」

「できない範囲の危険なこと」とは、重機でないとできない家壁の撤去や大型の農機具の搬出などいろいろと有る。

なるほど……これは大変な役回りだ。

「タイムキーバーも選んで頂いています。重要な役割です」

なおも説明は続く。

「熱中症を防止するため、こまめな休みをとってください。作業は20分以上続けないでください。20分やったら必ず15分は休んでください」

「先ずは我々の安全管理ですね」

そう藤村さんに伝えると、「はい」と応じてくれた。

説明が終わると、既に午前9時半になっている。ボランティアの体調に配慮して、午後1時には作業を切り上げてボランティアセンターに戻ってくることになっている。そう考えると、実はあまり時間はない。

そして前述のバスに乗って現場となる被災地に向かったわけだが、各地にもボランティアセンターの支所的なサテライトセンターがあり、そこで最終的な活動場所を指示される。

我々5人が活動を指示されたのは、農家を営む男性の自宅だった。行って見ると、大柄の男性が座っていた。この家の主人だった。

5人で挨拶して作業について尋ねた。大きな日本家屋だが、土塀はめくれ1階部分はいたるところに瓦礫が積まれた状況だ。

今回チームを組んだ5人。

「この木材や瓦礫を軽トラックで運ぶのでトラックに載せて欲しい」

ご主人はそう言うと、軽トラックを取りに出た。

材木は家の壁などに使われていたものだろう。大きなものでは2メートルほどの長さの板や角材もある。これまでのボランティア作業で家の壁からはぎとられたものだろう。いたるところに釘が出ていたり、ささくれだったいたり。一歩扱いを間違うと傷を負いかねない。

力仕事なので男性3人で担当することとし、女性陣には既に露わになっている土壁を落とす作業をしてもらうことにした。

既に時計の針は午前10時を指してる。近づいている台風の影響か、昨日までに比べて幾分、雲が多くなっているが、それでも時折顔を出す日差しはかなり強い。気温も高く、暑いのは変わらない。それに長袖長ズボン、ゴム手袋、厚底のゴム長靴、作業用の防塵マスク、ヘルメットという出で立ちだ。立っているだけで汗がしたたり落ちる状況だ。

しかし、この格好以外で作業はできない。ヘルメットは上から落ちてくるものがないことを確認した上でキャップ帽に変えたが、肌を出すような姿にはなれない。作業そのものは危険だからだ。先ずもって衛生面だ。前述の通り、粉塵は何を含んでいるかわからない。

ご主人が軽トラックを運転して帰ってきた。その荷台に藤村さんが乗り、その前に鈴木君が立った。私が家の中から廃材となった木片を集めて鈴木君に渡す。

「釘があります」

私が言うと、鈴木君がそれを復唱する。

「了解」

藤村さんがそれに応じて受け取る。

その作業を繰り返す。

その間、女性2人は黙々と土塀を叩いて落とす。落ちたものを集める。家の中も暑いが、防塵マスクにしたたる汗を拭きながら作業を続ける。

「時間は?」

タイムキーパーの藤村さんが時計をチェックする。

「もう直ぐ20分です」

「了解。20分になったら教えてください」

絶対に無理はしないようにと言明されているが、さすがに20分だと作業は思うように進まない。直ぐに20分が経った。

「はい。ここで休憩にしましょう。女性の皆さんも休んでください」

そう声をかけてペットボトルの飲料水に手をかけた。すると、ご主人が、クーラーボックスを開けて、「これ使ってください」と。

凍らせたタオルだった。これはありがたい。

「これも飲んでくれ」

ペットボトルも凍らせていた。ありがたく頂いた。

ご主人は都立高校で保健体育の教師をやっていたという。60前後といった年齢だろう。農業を営んでいた父親が亡くなったので教師の職を辞して実家に戻り、農業を続けていたという。必然的に、豪雨の時の話になる。

「あれよあれよという間に、水が一階を飲み込み、92歳の母親を二階に上げて避難したが、驚いたことに、2階にも水が迫ってきたんよ。あん時はもうダメだと思った」

消防のボートで2人とも救助され一命をとりとめた。だが、家に戻って唖然としたという。父親が建てた日本家屋は廃材の館と化していた。

そういう話をするのが被災者にとって苦しいことに間違いないが、それでも話し相手になることもボランティアの重要な役割かとも思う。その点は看護師をしている女性2人が十分に聞き役を担ってくれていた。

さて、10分の休憩は直ぐに終わる。再び作業にとりかかる。見る見るうちに軽トラックの積み荷は満杯になる。

「そろそろトラックを出しましょうか?」

私がご主人に尋ねる。

「そうだな。じゃあ、行くか」

ご主人が運転席に、そして藤村さんが助手席に座った。私は荷台で廃材を押さえつつ軽トラックにしがみついた。鈴木君と女性2人には土壁の作業をお願いしてトラックで家を出た。

暫く走らせると、ゴミの山が遠くからも見えた。ここは市立図書館の敷地だった。その駐車場の広いスペースに廃材や家財道具などが山積みとなっている。

「スモーキーマウンテンだなぁ……」

思わず頭に浮かんだのは、フィリピンのスラム街にあるゴミ捨て場だ。正確には、ゴミ捨て場を漁る人々が集まってスラム街が出来たということだろうが、失礼ながら、被災地に見たその光景は、貧困地域を代表する場所を想起させた。

我々のようにゴミを捨てに来た人たち軽トラックでやってきては、ここに捨てていくのだという。ここには燃えるものだけ持ち込めるということで、それをチェックしているのは、全国の役所から集まった職員だった。私が行った時は、八王子市役所、福島市役所から派遣された職員が炎天下の中、トラックの誘導などを行っていた。

既に鼻が麻痺しているからか、もう臭いなどは気にならない。順番が来たらゴミの山に後ろ向きにトラックをつけて、廃材を捨てていく。

そしてまた家に戻り、同じ作業を繰り返す。そして20分毎に休憩をとり、水分を補給してまた作業に入る。

しかし、直ぐに正午になる。食事もとらなければならない。これもボランティアセンターで厳しく言われている。「けして無理せず、食事もしっかりとってください」と。

しかし暑さと粉塵からだろう。食欲はない。私と鈴木君は用意していた栄養食のゼリー1つを絞り出して無理に口に入れた。他の人たちも軽食を少し口に入れただけだった。

簡単な昼食を終えると、それでも残された時間は少ない。

「午後1時には(ボランティア)センターに戻らねばならないので、ここを12時45分頃には出なければなりません」

そう伝えるとご主人は、「え、もう?」という感じで私の顔を見た。

「これまでボランティアには3回来てもらっているんだが……。まるでウルトラマン……」

そう言ってご主人は口をつぐんだ。

ウルトラマン……と言いかけたご主人の気持ちは痛いほどわかった。確かに、そうかもしれない。このヒーローは僅か3分しか地球で活動できない。30分のテレビ番組ならそれでも怪獣をやっつけて終えられるが、被災地ではそうはいかない。午前10時から12時45分は、途中の休憩も入れると2時間ほどの実働時間となる。

「まるでウルトラマン……」とは、ご主人の苦しい胸の内なのかもしれない。

「じゃあ、こっちをやってくれないか」

今度は納屋に連れていかれた。そこは農機具などが水没した跡だった。ビニールハウスのためのビニールや縄など諸々が水につかって使えなくなっている。

「この中はまったく手つかずになっている。ここを少しでも片づけたい」

真っ先に納屋の中に入ったのは藤村さん。続いて鈴木君。今度は私がトラックの上に立ち、「バケツリレー」で作業を始めた。

そして藤村さんが泥にまみれたビニールの塊を動かそうとした時だ。

「ネズミ!」

サッと毒々しい生き物が動いた。笑顔を絶やさない藤村さんの顔がこわばる。

「大丈夫ですか?」

そう声をかけると、「大丈夫です」と気丈に答える。

「無理しないでください」

「はい……」

ネズミに噛まれたら大変だ。この衛生環境だ。どんな病原菌を持っているかわからない。手元を確認しながら廃棄物の撤去作業を始めた。

しかし時間はあまりない。女性陣には、部屋の隅々でたまっている泥水のかき出し作業をお願いした。これもどういう水かわからない。悪臭が鼻を衝く。が、2人の看護師は嫌な顔一つせずショベルで泥水をすくってはバケツに入れ、それを外に捨てる。捨てる場所はご主人の指示で、庭先にまいた。

最後は休憩時間を使わずに、12時45分まで作業を続けた。ボランティアセンターからの指示に違反する行為だが、5人も時間を最大限に使いたいという思いで一致していた。

そして12時45分。

「はい。時間です。作業を止めてください。撤収します」

そう言うと、ご主人も応じてくれた。

「皆さん、お疲れさまでした。ありがとう。もう作業を止めてください。ここに凍らせたタオルがあります。手を拭いてください。本当にありがとう」

その言葉に救われた。

ご主人に別れを告げて5人で真備町のボランティアセンターまで歩いた。

ふと、「海抜10.5メートル」と書かれた標識が目に入った。不思議な感じだった。海抜が10メートル以上もあるのに水の被害に遭うなんて。勿論、川が氾濫して堤防が決壊して起きた今回の災害だ。海抜は関係ない。しかし、無意識のうちに海抜10メートルなら水の災害には起きないような意識を、我々は持っていなかったか。そう自問自答した。

10メートル以上の高さにあっても、実際に水害に見舞われた。

歩く我々の周囲は土色の町が続く。色を取り戻すのはいつの日のことだろうか。

ボランティアセンターに到着。リーダーの私が活動報告を行っている時、アナウンスが行われた。

「ボランティアは明日から3日間、中止となりました。皆さん、ありがとうございます。明日から3日間は、ボランティアは中止です」

「台風の影響ですか?」

台風12号が関東から上陸して西日本に向かうと報じられていた。

「ええ」

不謹慎ながら、一瞬、私は心の重荷が軽くなった気がした。実働2時間のボランティア活動で、私は被災地で何ができたのだろうと考えていたからだ。往復7時間かけてやってきて、僅か2時間の活動で現場を去る……そこに、どこか心の重みを感じていた。

中止ならば引き揚げるのも仕方ないか……そう自分を納得させることができる。

しかし、直ぐにそんな愚かな考えをした自分を恥じた。

「台風が来たら、えらいことやわ」

看護師の女性らがそう言った。その通りだ。我々が運び出した廃材の山はどうなってしまうのか? 彼女らが叩いて落とした土壁は、そこに新たな土をつけることで壁として再生できる。しかし激しい風雨にさらされたら、修復するは困難だろう。そして彼女らが臭いを我慢して運び出した泥水は、再び、部屋の中にたまることになる。

「今までやってきたことが無になってしまうんじゃないか……」

そう考えると、一気に疲れが襲ってきた。

午後1時、5人で互いの労をねぎらってバスに乗り込んだ。

バスが動き出す。来た道を戻る。廃材置き場には来た時と同じように防塵マスク姿の警察官が立っている。周囲の全てが土色だ。

そして来るときに渡った小田川。その川を越えた時、目の前には緑美しい光景が広がった。その美しさがまぶし過ぎて、私は目を閉じた。

第10回に続く




立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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