【ハンドボール宮﨑大輔】「東京オリンピックに出るために、僕は大学生になった」<前編>

2003年の代表初選出からハンドボール日本代表を牽引し、ハンドボールをメジャースポーツに押し上げるために力を注いできたのが宮﨑大輔選手だ。かつて放送されていたテレビ番組『スポーツマンNO.1決定戦』では、日本屈指のアスリートたちを抑えて三度の総合優勝に輝くなど、その圧倒的な身体能力を武器に活躍してきたレジェンド。その宮崎選手がが2019年春、長年在籍した大崎電気を離れて日本体育大学に再入学、学生として東京オリンピックを目指すことを宣言した。なぜ社会人リーグではなく、日体大を選んだのか。そこにいたるまでの宮﨑選手の思いと、ハンドボールへの変わらぬ情熱を探った。  


自分を変えなければ勝てないと思った

今年4月、日本体育大学に3年生として再入学しました。キャンパスライフに懐かしさを感じるとともに、時代の変化も目の当たりにしています。僕より年下の先生がいて、宮﨑さんと“さん付け”で呼ばれる(笑)。気を使って話しかけてくれる学生もいますが、友達と呼べる関係になるのはなかなか難しい。あと2年間の学生生活で、できるだけたくさん友達をつくりたいですね。

大学に戻ることを考えたのは一昨年、全日本の大会に出場した時です。2015年のリオ五輪予選以来、約1年半ぶりに代表復帰したのですが、そこでシグルドソン監督に命じられたポジションは左サイド。僕は所属する大崎電気やそれまでの日本代表では、ずっとセンターという「司令塔」のようなポジションでプレーをしてきましたので、サイドは初めての挑戦でした。

センターに比べてサイドは、とにかくスピードが求められる、より攻撃的なポジション。ディフェンスからオフェンスに切り替わった瞬間にサイドを駆け上がって、一瞬のうちに点を取る。そんなプレーが要求されます。試合を通して走り続ける体力や走力、つまりアスリートにおける基礎的な能力が非常に重要になります。

2017年7月29日、2015年11月のリオデジャネイロオリンピック予選以来、1年8ヵ月ぶりに日本代表復帰した宮﨑大輔選手。3得点をマークした。

サイドの選手としてプレーしてみて痛感したのは、もし自分がこのままサイドで使われ続けるならば、チーム内でのポジション争いに勝てないだろうということ。その大会に出ていた同じポジションの選手は、僕よりもサイドとしての技術が高くて、体力もある。速いし、たくさん走る。僕が日本代表選手として東京オリンピックのコートに立つためには、サイドの選手としてレベルアップしていかなければならないと感じたんです。

どうすればもっとサイドの練習に打ちこめるのか。そして何より、もっと”走れる”プレイヤーになるためにはどうすればいいか……。そう考えて頭に浮かんだのが、日本体育大学への再入学でした。今も昔も、日体大ハンドボール部のテーマは「走るハンドボール」。もう一度原点回帰してがむしゃらに基礎体力作りを行うことが、僕には必要でした。それに、環境をガラッと変えることは自分にとってもプラスになるとも思ったんです。

しばらく悩んだ末、所属先の大崎電気を辞める決断をしました。大崎電気には’03年から’19年まで所属。2009-10シーズンはスペインリーグに行きましたが、それ以外はずっと大崎電気でプレーしていましたから、辞めると伝えるのは辛かったですね。

実は、‘18年4月の契約更新の時にチームのフロントには「今季限りでチームを辞めます」と伝えていました。でも、他の選手やスタッフには退団することを秘密にしていたんです。辞めるということがわかると、どうしても周りの人たちに気を使わせてしまう。仲間たちとは最後まで、真剣にライバル争いをしていたかった。だから、黙っていました。

ただ、フロントと相談して、大崎電気での最後の試合になったリーグ戦プレーオフの前に、辞めることを公表しました。今まで応援し続けてくれたファンのみなさんに何も言わず、チームを去ることはできなかった。プレーオフには負けてしまいましたが、15年間のプロ生活の思いがこみ上げてきて、感慨深い試合になりましたね。

チームメートもファンも、大学生になると伝えると唖然としていました(笑)。他チームへ移籍する方が、まだ理解されたと思います。それでも東京オリンピックに出るためには、「この道しかない」と考えたのです。

意外なほど大学生活は楽しい

今は大崎電気にいた頃に比べても2倍以上の練習量をこなしています。それに、周りの部員たちとは20歳近く年齢が離れていますし、彼らはとにかくたくさん走る。正直、練習についていくだけで精一杯ですよ(笑)。でも、きつい練習を積み重ね、完璧にこなせる状態になってからが本当の勝負だと思っています。今は大学生に追いつこうという意識。危機感をもって、練習に励んでいます。

大学生ですから、もちろん日々の授業も受けなければなりません。僕が机に向かって勉強している姿って、あまりイメージできないかもしれないですけどね(笑)。朝から夕方までみっちり授業が入っている日もあります。主にスポーツ生理学やスポーツ心理学、教育心理学について学んでいます。専門用語が難しかったり、よくわからないこともまだまだありますが、勉強は意外に楽しいですよ。身体や筋肉の仕組み、人間のメンタルを学ぶことで、自分のプレーに還元できそうな気づきを得られることも多いんです。

他の競技の選手と話せることも貴重な体験ですね。隣に座った生徒が実は日本代表選手だった、ということもよくありますし。試合前のコンディションやメンタルの整え方、練習方法について意見を交換したりもします。日本トップレベルの学生アスリートたちと交流できるのはとても新鮮です。なので、学校に行くのはまったく苦になりません。昔と違って、再入学してからサボりは今だにゼロですよ(笑)。

後編に続く

Daisuke Miyazaki
1981年、大分県生まれ。大分・明野北小でハンドボールを始める。2003年に日本ハンドボールリーグの大崎電気と契約。'08年には日本リーグ通算400点を達成した。日本代表のエースとしても活躍し、'09年日本人男子で初めてスペイン1部リーグ・アルコベンダスに移籍。'10年に大崎電気に復帰した。'19年、日本体育大学に再入学し、現在は東京オリンピック代表選出を目指しながら、大学リーグでプレーする。


Text=川岸徹 Photograph=三吉史高