後世に残る伝説的写真を目撃せよ!【キース・リチャーズ、忌野清志郎、赤塚不二夫他】

見る者をハッとさせる写真は、想像力を搔き立てる。一度見たら忘れられない写真家・操上和美の作品の軌跡を辿る。

自己表現としての広告こそ、人の心を動かす力を宿す

シルベスター・スタローンの撮影をした時のこと。操上が選んだカットをシートに入れて渡そうとすると、仕事の依頼主である代理店の男性が「他の写真もスタローンに見せる契約だ」と言う。操上がボツにした写真も含め撮影したすべての写真を渡してほしい、と。

操上は激怒する。その場で大量のボツのポジフィルムをすべてカッターで切り裂いてゴミ袋に入れ、選んだほうのポジのシートと一緒に渡して言い放つ。

「これが写真でこれはゴミ。写真は俺が選んで初めて写真になる。選ばなかったこれはただのゴミだ。それを全部見せる契約なんてあり得ない。必要ならこのゴミも持っていってください」

代理店の男性が事の次第をスタローンに説明すると、スタローンは操上の言い分と行動に喝采を送り、写真の選択を操上に一任したという。

操上は自分の写真選びに絶対の自信を持つ。写真家は撮影と同じエネルギーをかけて、写真を選ぶ必要があると考えるからだ。彼にとって、写真選びは撮影と同じ創造的行為なのだ。

同じ理由で、操上は例えば広告の制作過程での合議制を嫌う。みんなの意見が入れば、それだけ広告のインパクトは弱くなる。話し合いでは、真に人の心を動かすものはつくれない。

「俺にこんなに高いギャラを払ってくれているのに、なんでみんなで決めようっていうのかな、と。金を貰っているからこそ責任がある。だから、まず俺に一回決めさせたらいい。それでもし嫌だったら、みんなで考えて決めればいい」

過激だった若い頃は、よくそう言っていたと操上は笑う。通常の広告制作において、写真家はアートディレクターがプレゼンテーションをした完成見本にできる限り近い写真を撮ることを要求される。けれど操上は必ずしもそれをよしとはしない。写真は現場での発見なのだ。机上でつくられた見本を撮影現場で超えることこそが写真家の重要な役割だと彼は言う。

ポートレイトの撮影が自分自身を写すことであるのと同じように、広告写真もまた写真家の自己表現であるべきなのだ。

そうであるからこそ、操上の数々の作品群は時間の経過とともに個々の広告であることから解放されて、人々の心に普遍的な何かを訴えるアートへと昇華していくのだろう。


Photograph=操上和美 Text=石川拓治