阿部勇樹がそのプレースピードに驚愕した選手とは?

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~⑪】。


浦和レッズに移籍したきっかけとは

「アテネ経由ドイツ行き」

アテネ五輪監督だった山本昌邦さんが、常に口にしていた言葉だ。

しかし、アテネ五輪代表で実際に2006年のドイツW杯メンバーに選ばれたのは、駒野友一と茂庭照幸(追加招集)だけだった。

僕自身は、ドイツW杯を戦ったジーコ・ジャパンに何度か選出されている。代表デビューを飾ったのも2005年1月のカザフスタン戦だった。

ジーコ・ジャパンのボランチには、小野伸二さんや稲本潤一さん、遠藤保仁さんといった黄金世代だけでなく、その上の世代、福西崇史さんや中田英寿さんもいて、本当に層が厚かった。その多くの選手が欧州でプレーしている。

トルシエ・ジャパンに招集されたときは「僕がここにいていいのか?」という感じで、びくびくしていただけだった。しかし、ジーコ・ジャパンに呼ばれたときは、Jリーグでもそれなりに自信をつけていたので、先輩たちのプレーを体感する余裕も生まれていた。

「これは違うな」

ヒデさん(中田英寿)といっしょにプレーして驚いた。1本のパスのスピードがまったく違ったのだ。もちろんそこへ至る判断、プレースピードも速い。Jリーグでプレーしている感覚では、遅すぎる。ヒデさんのプレーが欧州のスタンダードなんだと理解した。自分のパススピードではダメだと痛感した。

この感覚はその後、日本代表やイングランド・レスター(当時2部)でも味わった。実際にピッチでプレーしたからこそ得られる情報は、自分の成長にとって非常に有益だったし、いろんなチーム、いろんな選手とプレーすることの重要性を知った。

W杯ドイツ大会のメンバーに入れなかった。

目指すのはその次、2010年の南アフリカ大会へと気持ちは自然と切り替わる。

そしてドイツ大会終了直後、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任。代表に選ばれるべき選手にならなくては、オシムの元でプレーできない。新しいモチベーションが加わった。

そして、2007年、僕は浦和レッズへ移籍する。成長するための決断だった。

「初戦で勝利しなければならない」

2010年ワールドカップ南アフリカ大会、初戦カメルーン戦を前にチームはそのことだけに集中していたと思う。このチームには、田中マルクス闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、駒野友一、今野泰幸という、2004年のアテネ五輪代表の仲間がいた。初戦に敗れ、グループリーグ敗退という悔しさを抱いた彼らと、再び世界の舞台に立てることは本当に嬉しかった。

自然と「初戦必勝」という想いが南アフリカで強くなったのは、そんなアテネでの経験があったからだと思う。

オシムさんが病に倒れ、岡田武史日本代表監督のもとで、大会に挑んだ。出場権獲得後の代表戦は成績も悪く、壮行試合となった埼玉での韓国戦の敗戦を機に、「堅守速攻」へと戦い方を変更する。DFラインとダブルボランチの間に僕がアンカーとして立ち、システムも変わった。

新システムで挑んだイングランド戦は1-2、コートジボワール戦は0-2と2連敗していたが、世界の強豪相手に戦えたことでいい準備ができた。

迎えたカメルーン戦。39分に本田圭佑のゴールが決まる。エンジンがかかるのが遅いとスカウティングされていたカメルーンの出足を挫くことができた。試合を通して、守備の時間が長かったけれど、大きなピンチはわずかで、狙い通り、準備していた通りの戦い方ができた。

岡田さんの指揮下で僕は、センターバックや左サイドバックなどでもプレーしたし、闘莉王とはレッズでもともに戦っている。そういう意味で、アンカーという新ポジションに対する戸惑いもなく、周囲との関係性も良好に築けていた。

初戦で勝利を飾り、第2戦のオランダ戦は0-1で敗れたもののグループリーグ進出への可能性は最終戦に持ち込まれる。それでも僕らには不安はなかった。

このチームには、川口能活さん、楢崎正剛さん、中村俊輔さん、稲本潤一さんといったベテランがベンチに控え、僕ら先発組を支えてくれた。もちろんベテランだけじゃない。チームの一体感は心強かった。それでも、過去のワールドカップや欧州で様々な経験を積んだベテランの言葉には重みがあった。

デンマークとのグループリーグ最終戦。開始直後は、トマソンのマークに誰がつくのかというところがはっきりしていなかったが、周囲の選手と話し合って、マンマークで、僕がつくことに決めた。

本田圭佑、遠藤保仁さん、岡崎慎司が得点し、3-0という快勝でグループリーグ突破を果たす。

決勝トーナメント進出は僕らにとってのひとつの目標ではあったけれど、達成感はなかった。とにかくひとつでも上へ行きたいと考えていたからだ。上へ行けばスペインと対戦する可能性がある。結果的にこの大会で優勝するスペインをピッチ上で体感することで、まだ知らない自分の課題や可能性を知る機会になるはずだから。

以前、代表の練習でヒデさんから学んだように。

12回目に続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。  


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一 


>>>【阿部勇樹】一期一会、僕を形作った人たち

①ブレない精神を最初に教わった師とは?

⑧松井大輔、鈴木啓太らと石川直宏を労う会で感じたこと

  ⓽国体、五輪、浦和、日本代表でともに闘った闘莉王の引退に想うこと