"新1万円札の顔"渋沢栄一はいかにして出世したか?<④貨幣制度の礎を築いた新政府時代>

1万円札の表面を飾る肖像が、福沢諭吉から渋沢栄一へ。 先般駆け巡ったニュースで一躍、渋沢栄一への注目が高まっている。渋沢研究の第一人者たる島田昌和さんは「福沢諭吉から渋沢栄一への肖像転換は、『民の創出』から『多様な民の共存』への変化を象徴していると言えます。これからの時代に求められる思想が、渋沢栄一の生き方からは大いに読み取れます」と説く。21世紀型経済人のあるべき姿を探るために、壮年期のビジネスパーソン・渋沢栄一の言動をつぶさに教えていただこう。『若き日の渋沢栄一』連載第4回は、かけがえのない巨大プロジェクト経験:新政府時代。


1869年(明治2年)29歳。明治政府に仕える

静岡で仕事に邁進していた渋沢栄一のもとへ、新政府から出仕の命が届いた。大蔵省でキーパーソンとなった渋沢は、日本の金融を不換紙幣から兌換紙幣へと制度転換させるプロジェクトに従事した。実体経済から信用経済へ、国のシステムを大きく変える一大プロジェクトを差配する地位へと渋沢が上り詰めたのは、これまでの絶えざる「学び」の力に依るものだった。

新政府時代の渋沢栄一。

フランスから帰国後に静岡藩で仕事をしていた渋沢ですが、あっという間に新政府から出仕せよとの命令が来ます。複雑な思いも語っていますが、前宇和島藩主で幕末の四賢候のひとり、伊達宗城と大隈重信の引きによると言われていて、無理筋ではないように感じられます。渋沢の活動が正当に評価されて本人も純粋にうれしかったのではないかとも思います。

出仕した大蔵省でヨーロッパでの見聞を生かして猛烈に働き、どんどん出世していきます。彼ほどの実績と広い見聞を持った人は他にいないので当然と言えば当然でしょう。しかし、あっという間に政府内の権力闘争に巻き込まれていきます。政治とは権力闘争であり、合理性や論理性だけでは物事が決まらないことに翻弄され、明治新政府に失望するのです。

ただし、ないないづくしの新政府が目的に向かって無理を承知で政策を立案し、遂行していくというゼロから立ち上げる巨大プロジェクトを経験することができました。その最たるものが不換紙幣の整理と国立銀行創設と兌換紙幣発行という財政基盤整備のための幣制改革です。

新政府そのものに兌換紙幣を発行できる財源が無いため、民間資金を活用して銀行を作り、その元手で兌換紙幣を発行するわけです。英米の制度を勉強して作り上げていくわけですが、その過程で、経済とは実物だけで動くのではなく、人々が用意した仕組みが信用できるものならば将来への期待によって実態以上の新たな価値を創造することができることを学びました。

信用できる仕組みのためには参加する民間も単独=独占体ではなく、合本=連合体にすることによって公共性が高くなって信用力が増すと考えたのでした。結果的に渋沢は政府の力はたかが知れていて、本当に強い国にするには民間の産業力をつけないといけないことを思い知ったのでした。

最終回「銀行業の立ち上げ時代」に続く。


Masakazu Shimada
1961年東京都生まれ。学校法人文京学園理事長。文京学院大学経営学部教授。経営学博士。'83年早稲田大学社会科学部卒業。'93年明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期退学。一橋大学大学院商学研究科日本企業研究センターフェロー(2009年4月~'15年3月)。経営史学会常任理事 ('15年1月~'16年12月)。渋沢研究会代表('10年4月〜)。渋沢栄一の企業者活動の史的研究などが専門。'15年、学校法人文京学園理事長に就任。文京学院大学では経営学部教授として、「経営者論」を担当。著書に、『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(岩波新書)、『原典でよむ渋沢栄一のメッセージ』(岩波書店)、『渋沢栄一の企業者活動の研究−戦前期企業システムの創出と出資者経営者の役割』(日本経済評論社)ほか多数。


Composition=山内宏泰 Photograph=渋沢史料館協力