ハリル解任と「ジョホールバルの歓喜」 元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT 第3回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが綴るエッセイ。第3回はハリルボジッチ監督解任で思い出した、イラン駐在時のエピソード。

ハリルホジッチ、突然の監督解任

「あの勢いは一体なんだったのだろうか……」

バヒド・ハリルホジッチ氏がサッカー日本代表を解任される……それを速報で知った時、「なぜ今」という以上に、就任当時の日本サッカー協会の「この人しかない」という勢いを思い出して違和感を覚えた。

2015年3月、日本代表監督就任経験でJFA会長 大仁邦彌氏、JFA技術委員長 霜田正浩氏(当時)と。

勿論、私はサッカーに詳しいわけではない。だから、その勢いに違和感を覚えたとしか言えない。しかし、サッカーに詳しい人なら、もう少し何とか説明して欲しい。そう思った。私はサッカーについては中学時代に選手だったという事実はあるものの、その後はあまりフォローしておらずほとんど門外漢だ。

しかしジャーナリストとして実はワールドカップを触ったことが一度だけある。1997年にイランに駐在していた時のことだ。

この年、翌年に迫ったフランスで開かれるワールドカップ目指して、日本はアジア最後の椅子をイランと取り合っていた(AFCプレーオフ)。

当時、私はテヘラン支局長。国内の権力闘争、米国との関係、隣国イラクとの武力衝突などを取材していたが、やはり初めて日本がワールドカップに出るかもしれないチャンスに、「一丁、かみたい」くらいには思っていた。

では、何をするか?

やはりイランナショナルチームを取材すべきだろう。別に、NHKからは何の要請も来ていない。それはスポーツ記者の領域であって私がすべき取材ではないからだ。

しかし私は当時、30手前の若者。なんでもやってみたい。

ここはイランだ。自由な取材など認められない。情報省が常に報道を規制しており、特に西側メディアである日本のメディアは監視の対象となっている。取材は基本的に情報省が許可したものに限られる。

イラン政府の逆鱗に触れれば逮捕されて国外退去、場合によっては政治犯を収容する刑務所行きだ。実際、私がいた時、イラン人の女性と結婚していた日本人男性が刑務所に入れられ日本大使館が対応に追われたことがあった。

もっとも、私は後に逮捕されて国外退去となるのだが、その話は別の機会に書きたい。

イラン赴任時のNHKテヘラン支局内の様子。29歳の時の私だ。

支局のスタッフに調べさせたが、イランのメディアのどこにも、イランナショナルチームの今の状況は書かれていない。どこで練習しているかもわからない。

「これは、イラン政府はかなり本気で情報管制を敷いているんだな」

そう思わざるを得なかった。

イランはサッカー大国だ。町中の空いているスペースで大人から子供までサッカーをしている。ナショナルチームを構成する選手の多くはドイツのブンデスリーガに所属している。特に有名なのはアジジとダエイというアジア最優秀選手に輝くツートップだ……とは、調べて初めて知った話だ。

日本大使館の参事官と話した時、「実は我々も情報収集をしているんですよ。『調べろ』と本省(外務省)から盛んに指示が来ていて……」とこぼしていた。なるほど、日本の盛り上がりは相当なものらしい。

テヘラン支局では特別にNHKの番組を衛星で受信できるようになっていて、先日退職が大きな話題となった有働由美子氏がキャスターを務める「サンデースポーツ」を見ることができた。このNHK同期の有働由美子についてはまた別の機会に書こうと思うが、この番組を見ていても、その盛り上がりがわかる。

両国の過熱ぶりが理由かどうかはわからないが、決戦の地は第三国マレーシアのジョホールバルと決まった……のだそうだ。なんとかしたい。なんとかならないだろうか。支局のイラン人スタッフにもいろいろとあたってもらった。

すると、スタッフの1人、アリが情報をとってきた。娘の主治医をたどってナショナルチームの医師から情報を入手したという。

「ボス、どうもイラン・ホドロの敷地の中で練習をしているようです」

イラン・ホドロとは、イランがフランスのルノーと合同で作った国営自動車会社だ。

「自動車会社の敷地か。じゃあ、行ってみよう」

「ボス、そこは事実上の軍事施設ですから、我々は入れません。イランの国営メディアでさえ入っていないということは、かなり極秘で練習しているんだと思います」

アリは及び腰だ。これは仕方ないのは、アリの様な支局員はイラン政府から許可を取り消されたらNHKでは働けなくなる。

「ボス、無茶はやらないですよね?」

心配そうに訴えるアリに、「大丈夫。心配しないでいいよ」と伝えた。

しかし、それがわかって取材しない話はない。翌日、アリが出勤する前に、カメラマンとしての特訓中のドライバーのハッサンと車で出た。

イランナショナルチームの練習に潜入

テヘラン市内から少し離れた荒れ地の中に工場群を見つけた。大きい。有刺鉄線を張り巡らせた敷地は近づくとその全体像を把握できない。

「なるほど、軍事工場だな」

かと言って、することはない。日本的に、「じゃあ建物の外観を撮ろう」なんてすれば直ぐに逮捕されてしまう。

「ハッサン、暫く周囲を回り続けよう。何かあるかもしれない」

「OK、タテイワサン」

それから10分くらい走ったときに、一台の車が側道で止まっているのが目に入った。どうやら、オーバーヒートしてしまっているようだ。男性が車の外で天を仰いでいる。

「ハッサン、止めてくれ」

車を降りて、その男性に英語で話しかけてみた。

「困った。これから練習なのに、もう間に合わない」

「練習?」

「ナショナルチームのです」

「あなたは?」

「ナショナルチームの監督を務める……」

名前は憶えていない。が、イランナショナチームの監督だという。こうなったら人助けだ。

「それは大変だ。乗ってください。お連れします」

それは有難い、ということで、監督とスタッフを乗せて、敷地の入口に向かった。

監督はブラジル人だという。三浦カズ?を知っているという。

練習に間に合う安堵感からか、「日本は好きな国だ。日本との試合を楽しみにしている」と楽しそうに話した。

そして検問。兵士にはハッサンが、「ナショナルチームの監督を乗せている。急ぎだ。既に練習時間になっている」と国家の一大事だと言わんばかりに言った。

AK47を持った兵士も、ハゲタカのような顔をしたハッサンの威厳におののいたようで、ゲートを開けてくれた。

そして暫く行くと、サッカーグランドと簡単な造りの客席が目に入った。既に練習着姿の数人がボールを蹴っている。監督は日本語で、「アリガトオ」と言ってクラブハウスにスタッフと向かっていった。

「ハッサン、カメラを回せ。全部。撮れるものはすべて撮れ」

「OK、タテイワサン」

にわか勉強で、私もアジジとダエイの顔はわかる。あとMFのバゲリも、この3人が当時アジアでトップ選手と言われていた。

アジジはやんちゃ坊主といった感じで、「日本のメディア?」と目を丸くして驚き、マイクを向けると殴るポーズをした。後で知ったのだが、アジジは足に大けがをしたことになっていてメディアに出る時は車いすに座っていることになっていたらしい。彼は立っていたし、その「決戦」では縦横無尽に走り回っている。

バゲリは、「日本の選手で警戒しているのは8番だ。だが、名前は知らない」と話した。後で調べると、それは中田英寿のことだった。当然、当時の私は中田を知らない。

身長190センチを超えるダエイは紳士だった。

イランの英雄であり、1990年代のアジアの名ストライカー、アリ・ダエイ

「日本のチームには敬意を表している。良い試合ができると信じているし、我々はベストを尽くす」

そして監督にインタビューをしている最中だった。

「誰だぁ、ここにメディアを入れたのわぁあああ」

と言ったかどうかは定かではないが、凄い剣幕のスーツの集団が入ってきた。

「日本のNHKです」

そう答えると、目をひん剥いて叫んだ。

「なんで、ここに敵のメディアがいるんだぁああああ」

と言ったと想像するのだが、凄い怒声が飛び交い始めた。ペルシャ語だから何を言っているのかわからないが、ニュアンスはわかる。

「とっとと出ていけぇええええ」

こっちとしては撮るものは撮った。ブラジル人監督にインタビューしている最中に取材の中止を指示されたのも、我々テレビ人からすると、「おいしいカット」だ。「頂き」というヤツである。支局に戻って、アリに「伝送するので、イラン国営放送に伝えてくれ」と言うと。

「ボス、何を伝送するんですか?」

「イランナショナルチームの練習風景だ」

「へぇ?」

「大丈夫、ちゃんと許可を得て取材しているから」

そしてイラン国営放送に向かった。これは日本に送る映像を国家機関であるイラン国営放送がチェックするという意味も有る。いつも立ち会う責任者が映像を見て驚いた。

「よく取材させましたね。我々も取材できないんですよ」

日本のスパイ現れる

大変だったのはその翌日だ。イラン国営放送から情報が漏れたのだろう。テヘラン支局にイランの新聞記者が大挙して押し寄せたからだ。その数、10人ほどだろうか。死にそうな顔をして私を見るアリは、「ボス、大変な状況です……」と言ったまま立ち尽くした。

「仕方ないだろう。兎に角、話を聞こう」

外に出て新聞記者の取材を受ける私。アリに通訳をお願いするしかない。

「あなたはスパイですか?」

「はぁ?」

「ワールドカップのために送り込まれてきたのですか?」

「いやいや、私はサッカーなんて何も知らない。たまたまここに駐在していただけです」

1時間ほど相手をして支局の中に戻った。やれやれ、だ。しかし翌日のイランの新聞各紙を見て驚く。

「日本のスパイ現れる ナショナルチームの練習に潜入」

面白いのは次のくだりだ。

「彼は、『自分はサッカーは素人だ』と言いつつ、我々に詳細な練習風景のメモを見せた。それは素人では書けないレベルの内容だった」

見せてないし。そもそも、メモには選手の名前とインタビューの内容しか書かれていない。すでにサンデースポーツでもその内容は詳しく報じられていた。大使館の参事官が至急会いたいというので大使館に行った。

「立岩さん、凄いですね。でも、取材するなら一言教えてくれたって良かったじゃないですか」

「いや、たまたま……というより、棚からぼたもちみたいな話で……」

顛末を伝えると、参事官は「そんなことがあるんですかぁ」と頭のてっぺんから声を発した。それはそうだろう。私自身が一番驚いた。

ところが、驚きはそれで終わらなかった。イランの新聞各紙が「日本のスパイ現れる」と報じた直後、なんとブラジル人の監督が解任されてしまうのだ。

理由は明かされていない。

正確には覚えていないが、「決戦」の1ヵ月前を切っていたと思う。そして日本はジョホールバルで強国イランを破り、初めてのワールドカップ出場を果たすことになる。

後日、勝利の美酒を参事官と楽しみつつ……と言ってもイランではアルコールはご法度なので治外法権である大使館内でのみ可能なのだが、参事官が言った。

ジョホールバル の地でワールドカップ初出場を決め、歓喜に沸く日本代表

「試合の中継で、解説者が、『イランのナショナルチームはなぜか急遽、監督が変わったんですね』って」

「そうですか」

「ええ。『監督が急に変わってくれたんで、日本は助かった』と。て、ことはですよ?立岩さんがMVPじゃないですか?」

「いやぁ、どうですかねぇ……」

「本省には伝えてありますけど」

「それは光栄です」

それから20年の年月が経った。ちょっとした自慢話(?)を思い出したのは、ハリルホジッチ氏の解任で、監督が解任されたことで当時アジア最強と言われたイランナショナルチームが日本に負けたことを思い出したからだ。

ハリルホジッチ氏しかいないとした3年前の話さえ忘れているサッカー協会が、20年前のことなど覚えている筈がない。

立岩陽一郎 Twitterをフォローする
ゲーテ Twitterをフォローする


立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPOを運営「ニュースのタネ」の編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。『トランプ王国の素顔ー元NHKスクープ記者が王国で観たものは』などの著書がある。近著は『トランプ報道のフェイクとファクト』。
気になる方はこちらをチェック