【知られざるヒーロー列伝】ボディビル日本一への道 ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第7回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


分割法トレーニング、6Pチーズ、黒ビール+エビオス

練習の仕方では、分割法というトレーニングを考え出したんです。毎日同じところを鍛えていると疲労がたまってしまうので、今日胸の筋肉をやったら、そこは2~3日経ってからまたやることにして、翌日は腹筋、その翌日は背筋という具合に、箇所を変えながらトレーニングする。当時の日本では、まだそういう考え方はなくて、自分で一から考えたんです。

でも、欧米のほうは進んでいたんですね。今はなくなりましたが、銀座にイエナという洋書屋があって、そこで英文のトレーニングの本を見たんです。そうしたら、スプリット・ルーティンという言葉が出ていた。それが分割法だった。欧米では、もうそのやり方があったんです。

それを見たのが24歳ぐらいの時でしたが、自分が始めたのはもっと前で、20歳ぐらいのときから。先輩たちは、誰も分割法なんてやっていなかった。「変な練習してるな」と言われてましたよ。誰かに教わるのではなく、自分でこういうやりかたがいいんじゃないかと、考えてやっていたことが正しかったんですね。

22歳の頃の遠藤氏(右)。初めて出場した全日本で4位に入りました。

栄養の摂り方も、正しいか間違っているか分からないんだけど、試行錯誤しながら自分で工夫して、いろいろと勉強し始めました。運動、栄養、休養、それが三原則ですから。気力があれば、トレーニングをハードにできるけど、どんなにハードにしても、タンパク質はじめ、必要な栄養素をとっていないと効果が出ない。

そのころは、サプリメントもプロテインもありませんでした。そこで自分で考えたのが、ひとつは雪印の6Pチーズ。チーズはタンパク質が豊富に入っていますから。それからビール酵母の「エビオス」。胃腸の弱い人が、食後に10、20錠を飲むものですが、ビタミンとかミネラルも含まれている。それで「エビオス」の2000錠入りの瓶を、いつも小さなボストンバックに入れて、365日持ち歩いて、1日400錠ずつ飲んだんですよ。5日で瓶が空になる。

エビオス飲むときにも、いろいろ苦労しました。最初は牛乳で飲んでたんですが、1回100錠ずつ4回飲むわけでしょ。さすがに飽きてきちゃって。牛乳飲むとおなか壊すし。いろいろ考えて、あの頃、黒ビールが流行っていたんで、黒ビールでエビオス飲んだりね。「黒ビールに蜂蜜入れて飲むと、もっといいみたいだよ」とか、そういう情報を持ってくるトレーニング仲間がいたんですよ。やってみたけど、そのうち気持ち悪くなっちゃって(笑)。結局、梅干しをなめながら飲むのが一番楽になりました。口の中が酸っぱくなって、ごまかせたんですね。

あとは自然の食べ物だけ。あの当時は肉を食べるとか、タンパク質は何十グラムとかっていう意識があったとしても、現実問題としてできなかったですよ。お金もかかるわですから。そんなこんなんで、補助食品として6Pチーズと「エビオス」を手放さないで、ずっとカバンに携帯していたおかげで、体重が半年で10キロ増えました。もちろん筋肉で。

そうやってトレーニングを続けながら、22歳の時、ボディビルの全日本大会に出たんです。30歳前後の出場者が多くて、自分が一番若かったですね。そうしたら、4位に入れたんです。

その頃のボディビル協会の理事長から電話があって、「遠藤君、新しいジムができるからコーチやらないか?」と言われて、それで飛びつきました。蒲田のダイナミックボディビルセンターというところでコーチを始めることになり、会社勤めとの両立から解放されて、一層トレーニングに専念するようになっていきます。

月刊「ボディビルディング」に掲載された1966年全日本大会表彰式の様子。24歳で初優勝を飾り、世界大会への切符を手にした。

その後も日本一を目指して全国大会に出て、3位、2位と順位を上げて、優勝したのが2年後の24歳のとき。世の中って不思議だね、そうなると周りの目も変わるんですよ。

そういえば、自分が大会出て優勝してから「遠藤さん、なんか特別なもの摂っているんじゃないか」と噂が出て、雑誌か何かで「エビオス飲んでるよ」と言ったんです。そうしたら「エビオス」が日本中に一気にバーンと広がったこともありましたね。

第8回に続く

Text=まつあみ靖

遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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