沖縄について考える ~元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT第17回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。第17回は、先日行われた沖縄の県民投票について、現地で取材してみえてきたこと。


2月24日沖縄県民投票

沖縄で行われた県民投票の結果は既に多くのメディアが伝えている。アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設に絡む埋め立ての賛否を問うたもので、全投票数の72%が反対の意志を示した。

私はNHKの記者としてこの沖縄を振り出しに、イラン特派員や東京社会部記者などとして取材をしてきた。このため、前回は革命から40年となるイランについて書き、本当は今回もその続きを書く予定だった。

しかし県民投票の取材で沖縄を訪れた際、そこに今後の日本を変えるかもしれない新たな動きを見出したので、急きょ、編集部に頼んで沖縄話を書かせてもらうことにした。

 県民投票前々日の飲み会にて

2月22日の夕刻、那覇空港に着いた。私の住む大阪もひと頃のような寒さではなかったが、さすがに沖縄は温かい。市内のホテルにチェックインすると半袖のポロシャツに着替えて那覇市久茂地の繁華街に向かった。

今回、ホテルをとるのに苦労した。この冬の時期に……かぁ。私が沖縄で過ごした1991年から'96年は、この時期のホテルが取れないということはなかった。観光客はいるにはいたが、ホテルが満室になるというほどではなかった。今は違うのだ。もちろん、中国からの観光客のおかげもある。しかしそれだけではない。この時期、プロ野球をはじめJリーグのチームが沖縄の各地でキャンプをはる。

賑わう那覇市の国際通り。

昔は宮崎キャンプが代名詞であった読売ジャイアンツまでキャンプの後半は沖縄で過ごす。特に那覇市でキャンプをはるジャイアンツの場合は帯同者が多く、ホテルとしてはありがたい存在なようだ。もちろん、夜の街も当然、賑わう。

日本のプロだけではない。韓国のプロ野球、それに韓国プロサッカーのKリーグも来る。ひと言で観光といっても、いろいろな形で沖縄にお金が落ちる仕組みが整備されつつある。

そんなことを考えつつ、目指す居酒屋に入った。個室には約束の沖縄県庁幹部が既に来ていた。また、その同僚や部下、友人も来ていた。顔見知りもいるが、初対面もいた。

オリオンビールで乾杯した後、二日後の県民投票や玉城デニー知事の政策について話をきいた。

県民投票の盛り上がりはどうなのか?

「やはり選挙ではないので、候補者が支持を呼び掛ける姿もなく、盛り上がりという意味では、盛り上がっているのかどうかわからないです」

中堅職員の一人が言った。それを受けて幹部が言った。

「賛成の側の自民党が全く何もしないから、そもそも論戦のようにならない。街を歩いていても、重要な投票が行われるという雰囲気はないさぁね」

なるほど。沖縄選出の自民党国会議員の友人の話を思い出した。これから沖縄に入るのだが、向こうで会えるかと問うと、次の様に言われた。

「行くわけないさ」

こういうのをステルス戦法とでも呼べば良いのだろうか? 何れにせよ、自民党の戦術は彼らの狙い通りになったということか。

「投票率は50%割る?」

みなが渋い声をあげた。一人が言った。

「私は50%切る可能性は高いと思いますよ。やっぱり知事選のような盛り上がりは感じられないですから」

50%切ったら、そこを政府につつかれるだろう。たとえ反対が賛成を上回っていたとしても、だ。

と、その時、「遅くなりました」と一人の若者が入ってきた。みんな顔見知りの様だが、カジュアルな服装は県庁職員には見えない。

「じゃあ、乾杯しましょう」

この若者のもとにオリオンビールが来ると、自ら乾杯の音頭を取って飲みだした。名刺交換すると、那覇市内の会社の名刺だ。

「よろしくお願いします」

軽い沖縄のアクセントで挨拶された。

県庁幹部氏とも親しげに話している。

「県庁で働いているわけではないんですね? 派遣とか?」

そう問うと、そうではないと答えた。

すると、中堅職員が言った。

「すごいんですよ」

この若者の名前は本人の希望で出せないが、そのすごさの片りんは直ぐに見られた。県民投票の結果予測から、普天間基地の移設の話になる中で、その若者が積極的に発言する。それに相槌をうつ県庁幹部。そこに立場の違いや年齢の違いがない。

県庁の職員とボランティアの若者が対等に話をしているのだ。その姿が自然なのに驚かされた。

しばらくしてその若者は政治家らの集まりに行かねばならないと言い残して店を出て行った。

「何者なんですか?」

「すごいでしょ。一人じゃないんですよ。ああいう若い人たちのアイデアが玉城知事を支えているんです」

県庁幹部氏が笑顔で語った。中堅職員が引き取った。

「それが僕らに政策として降りてくるんです。だから、これまでの県政とは随分と違いますよ」

やれやれと言った表情を見せたが、嫌そうな表情ではなかった。逆だ。居並ぶ県庁幹部、職員が何か新たな希望を見出しているような表情を見せている。

私は問うてみた。

「沖縄の知事って、多くがエリートですよね? 革新だろうが保守だろうが、エリートでしたよね?」

「そうさね、大田(昌秀)さんだって米国留学組だしね」

「玉城さんは明らかにエリートじゃないですよね?」

「DJだしね」

何が言いたいかは、みな直ぐにわかったようだった。辺野古移設に反対した故翁長知事も、その前の辺野古移設に賛成した仲井間知事も本土の大学を出ている。仲井間知事は当時の沖縄では珍しい東大卒だ。実は、こういう人たちは、本土の役人や政治家から見れば動きを読み易い。反対しようが賛成しようが、同じ言語で話をしているからだ。

しかし、玉城知事は違う。加えて、外部の若手のボランティアとの連携などを積極的に行う。県庁の職員でさえ予測不能だという。まして永田町や霞ヶ関の人には、次の一手は読めないだろう。

「普通、週末の知事の日程は秘書課で管理するじゃないですか。どのイベントに知事が参加する、とか。でも、玉城知事は自分で行きたいと思ったイベントに、そのまま一人で行っちゃうんですよ。イベントの主催者もびっくりですよ」

「玉城知事は毎週月曜日の朝、庁内でDJをやるんですよ」

庁内? って県庁内?

「ええ、週末に見た映画の話とかから始まって、今週の動きを話したり」

みんな楽しんでいる。はたしてどうなるのか見通せない県民投票を前に、みな楽しそうに玉城知事について語る。それは私が知る沖縄県庁の姿ではもちろんなく、全国の自治体どこを探しても感じられない雰囲気だった。

若者 VS 有働由美子

今回の県民投票の実現に尽力した元山仁士郎さんが全国的に名前を知られるようになったが、そうした若い人たちが玉城知事を、沖縄の今を下支えしている。その若者との出会いはそれを実感させてくれた。

そうした若者の何人かに話を聞くことができたが、何れも沖縄の今や未来を明るく語っているのが印象的だった。本土の大学を出て沖縄に戻った若い男性に尋ねてみた。

「本土が沖縄を差別しているという思いは有る?」

「どうですかねぇ。違いはあるけど、別に上下で見ていないから。本土より沖縄の方が良い部分もたくさんあるし」

もちろん、彼らも現状を憂えているのだとは思う。ただ、その発想が明るい。陳腐な言い方をすれば、「未来志向」ということか。そして、それが単なる言葉に終わっていない。

そうした若者の一人に、徳森りまさんがいる。31歳。琉球大学を卒業して早稲田大学の大学院で学び、今は県内で一般企業で働きながら辺野古の埋め立て反対の運動にボランティアとして関わっている。県民投票の前の晩、東京の弁護士の友人の紹介で会う機会があった。

ちょうど東京から数人のジャーナリストが入るので合流することにしていた。その中に有働由美子も。言わずと知れた「news zero」の有働キャスターだ。彼女が私のNHKの同期であることは既に書いている。故に、有働さんとは書かずに有働と書く。その方が私にとって自然だからだ。

有働、それに先の友人の弁護士と東京のジャーナリスト数人、そして地元沖縄タイムスのデスク、県庁職員、日本テレビの那覇支局長とで居酒屋に集結。

そこにりまさんが途中から参加。ちょうど、有働とりまさんが向き合う形になった。有働がりまさんに問う。

「どうして翁長さんの後は玉城さんってなったの?」

「私たち、若い人間の間では、翁長さんの後はデニーさんしかないって、それは最初からあった」

「へぇー、そうなんだ」

以前に有働の話の時に書いたが、有働はやはり質問上手だ。素朴に尋ねるのだが、これがすごい答えを引き出す。

玉城氏が翁長知事の後継者になったのは翁長知事の遺言によるものとされている。しかし、この遺言は実際に見た人はいないという説もある。「遺言かどうかは別として、そういうことを翁長知事が言っていたことは間違いない……」という意見が参加者から聞かれたが、何れにせよ、若い人の声が玉城知事を誕生させる原動力になったと見てもよさそうだ。

それは極めて興味深いことだとは思った。仮に、若者から翁長知事の後は玉城知事でと熱望する声が強まり、それを正当化するために存在したかどうかわからない翁長知事の言葉が使われたとしたら?そして、その言葉は本当は存在しなかったら?勝手な推測だが、それは案外と素敵なことじゃないか。

同席していた沖縄タイムスのデスクが、今、新たな動きが起きていると話した。

「恐らく、従来の考え方だと県民投票をやるとはならなかったんじゃないかと思うんですよ。既に知事選挙で県民の意思は示されていると言っているわけですから。下手したら政府の都合のよい結果が出るかもしれない。でも、若い人たちはそういう打算では動いていないじゃないか。しっかりと県民の意思を示すべき。その結果はどちらでもよい。明確にすることが大事だ。そういう考えだったと思うんですよ」

投票日、有働らと辺野古と普天間をまわる

そして翌日の2月24日の投票日。私は東京から来たジャーナリスト仲間ら4人でタクシーに乗り込み、辺野古へ行った。その中には地味な普段着の有働由美子も。

すっかり有名になったアメリカ軍基地キャンプ・シュワブ前を見た後、近くの浜辺に降りてみた。浜の途中はフェンスで区切られている。その向こうがキャンプ・シュワブでその先に埋め立て工事の現場らしきものが見える。

辺野古のアメリカ軍基地のフェンスの前でカメラを構える有働由美子。

「有働、ちょっと立リポ撮ってみようか?」

私が言葉をかけると有働が返した。

「立岩、ちょっとやってみてよ。あなたうまかったわよね」

他のジャーナリスト仲間が興味津々といった表情で我々のやり取りを見ている。ここで恥ずかしがっても仕方ない。有働が構えるカメラに向かって、「じゃあ、いくよ」と話し始めた。

「沖縄県の名護市辺野古です。このフェンスの向こうに広がるのがアメリカ軍のキャンプ・シュワブ基地。その向こうにかすかに見えるのが……」

終わると、「わかった」と言って有働がカメラを私に渡した。そしてスタート……とは言わない。「いつでもいいよ」と伝えると、一呼吸入れて有働がカメラに向かって話し始めた。

「沖縄県の名護市辺野古です……」

当然、私よりうまい。が、別に悔しくはない。みんな有働の立リポ姿を生で見れて喜んだ。そりゃ、私がやるよりはよいだろう。

しばらくみなで浜辺を歩いて回った。ふと見ると、少し離れたところで有働が砂浜を触っている。私は近づいて行って説明した。

「沖縄って、実は砂浜が少ないんだよ。もともと隆起サンゴでできた島だから、海岸線の多くがサンゴや岩でごつごつしていて素足で歩けないんだ」

もちろん、リゾートホテルの浜は別だ。あそこは人工的に砂を入れているからだ。ところが、一部だが、天然の砂浜がある。そこでは素足で海辺を歩き回ることができる。辺野古はそうした数少ない場所の一つだ。

「そうなんだ、そういう意味でも残したい場所なんだね」

有働はそう言うと、黙って埋め立て工事の方向に目をやった。

この後、再びタクシーに乗り込んだ。そして宜野湾市の普天間基地へ。海兵隊の航空基地だ。嘉数高台に向かった。ここにのぼると普天間基地が一望にできる。日曜日ということで、オスプレイは格納庫の前に2列に並んで羽を休めていた。

「すごい」

有働がひと言漏らした。敢えて尋ねなかったが、街の中心部を軍事基地が占有している姿をこう表現したのだろう。私も最初に見た時はそう思ったからだ。こういう政治的ではない言葉にこそ、実は真実が宿っている。

我々は辺野古と普天間の周辺の投票所をまわり、手分けして聴き取りを行った。それを簡単に紹介しておきたい。

接触した人は113人。そして、「反対」が53人、「賛成」が10人、「どちらでもない」が8人、無回答が42人。

全体の数字では「反対」が72%だから、我々の調査結果は必ずしも結果を反映しているわけではない。ただ、それには、無回答の42人が影響しているとは言えるだろう。なかなか言いにくい……そう多くの人が感じたとは言えるのかもしれない。もちろん、投票の秘密は重要だし、我々の調査に協力する必要はないことは間違いない。

投票所では、若い人の姿が目立った。尋ねると、賛成の人もいれば反対の人もいた。どちらでもよい。自らの意思を示す若者に嬉しくなった。

「若者の意識に変化」と野添准教授

確かに、沖縄の若者に変化が出ているのかもしれない。日米外交史が専門で、沖縄のアメリカ軍基地の成立を公文書の分析で明らかにしてきた沖縄国際大学の野添文彬准教授は次のように話した。

「若い人たちが問題意識を持ち始めているということを感じます」

野添准教授が教えるこの沖縄国際大学では2004年に普天間基地所属のヘリコプターが墜落して大破している。その時の事故のすさまじさを伝える校舎の外壁の一部が今もキャンパス内に残されている。以前は、学生もその事故にあまり大きな関心を示していなかったという。

沖縄国際大学に残るヘリコプター事故で破壊された校舎の一部。

「あれだけの事故が起きた大学で、そもそもその事故を知らない学生もいました」

それが、今は大きく変わったという。率先して普天間基地の問題を語る学生を見かけるようになってきたという。

だから、本土の側も考える時期に来ているとは言える。野添准教授は次のように話した。

「普天間基地の問題を、単に沖縄のアメリカ軍の基地問題というとらえ方ではなく、日本の安全保障という考え方をするべきです」

そして、これまでの議論を越えた新たな議論が必要だと話し、ひとつの例として、普天間基地を本土の自衛隊の航空基地に統合する案を示した。私もそう思う。それは、日米が共同でこの地域の安全を守るという趣旨にも合致する。

もちろん、りまさんら沖縄の若者が今後、どういった行動をとるのかは未知数だ。でも、これまでとは違う何かを考えだしそうな気はする。本土の若者も沖縄の若者に呼応してほしい。そうすれば、我々おっさん連中には考えつかないような未来を創り出せる。

有働由美子が語った期待

その若者への期待を語ったのが有働由美子だった。

彼女は、一足先に東京に戻る前に次のように言った。

「やっぱり、りまさんら若い世代かな、新しい日本、新しい本土と沖縄の関係をつくるのは」

じゃあ、我々は何をするのか?

「そうした若者をサポートすることかな」

サポートかぁ。それは素敵なことかもしれない。しかしサポートは沖縄の若者だけでは意味がない。やはり本土の若者も呼応して欲しい。そしてそれをいろいろな世代がサポートする。それは新しい沖縄をつくるのではなく、新しい日本をつくるものとなるだろう。

県民投票を受けて玉城知事は次のように語った。

「普天間基地の問題を安全保障の観点から全国民で考えて欲しい」

そして有働由美子は翌日の「news zero」で次のように語って県民投票のニュースに入った。

「みんなで考えてみませんか」

かなり役不足ではあるが、私も言わせてもらう。

「みんな、一緒に考えてみないか?」

第18回に続く



立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPOを運営「ニュースのタネ」の編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。『トランプ王国の素顔ー元NHKスクープ記者が王国で観たものは』などの著書がある。近著は『トランプ報道のフェイクとファクト』。
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