【阿部勇樹】試合に出られない息子にかけた言葉

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~20】。

先発が遠ざかった僕自身と同じ気持ち

子どもたちと一緒に、僕の試合映像を90分間フルで見たことはない。

たまたま、なにかの拍子で、懐かしい映像が流れて、目にすることがあっても、息子たちは半信半疑で僕の顔を見る。

「あれって、本当にお父さんなの? 嘘でしょう?」と、信じてもらえていないのかもしれない。まあ、そういうこともあって、一緒に見るのは恥ずかしさもあって、嫌だ。

もちろん浦和レッズファンの息子たちだから、過去の浦和レッズのDVDを見たりはしている様子。僕のいないところでは、好きなだけ見てくれればいい。

中学1年生と小学3年生の息子はそれぞれ別のクラブやスクールでサッカーをやっている。

自分が仕事としているサッカーを子どもたちがプレーしてくれるという意味で特別な喜びはない。ただ、彼らがやりたいと思うこと、好きなことに取り組んでくれているというのが嬉しいだけだ。

だから、自分と同じ道を歩んでほしいとか、別の道をとか、そういうことを考えたことはない。確かにサッカーに関しては、ほかのことよりかはアドバイスができるのかもしれないけれど、彼らが僕と同じような選手になるかどうかもわからないし、そこはなんとも言えない。

実際、ピッチ上で何をするか、どんな練習をするか、プレーの判断も含めて、僕が細かなアドバイスを送ることはあまりない。息子たちそれぞれが所属するチームには指導者がいるのだから、指導者の方々にお任せしている。僕は、息子たちに「監督やコーチの言葉をしっかりと聞くように」といつも言っている。

子どもたちの試合は、スケジュールが許せば、必ず見に行きたい。去年、長男の小学生最後の大会が九州で行われた時も家族で応援にでかけた。

そのシーズン、長男は先発起用されない状況が続いていた。

レギュラー争いという壁は、何歳であろうとも経験する試練だ。試合に出られなくとも、休むことなく練習へ行く息子の姿が元気なさそうに見えたことがある。普段から非常にポジティブな性格で、叱られてもへこたれない粘り強さが持ち味の長男は、自分から弱音を吐くことも、相談を持ち掛けることもなかった。

「今日はどうだったの?」と声をかけた時も「先発じゃなくてね……」と正直に話してくれた。

「じゃあ、どうする? お前はどうしたい?」

「やっぱり試合に出たいよ」

「試合に出るためにはどうすればいいと思う?」

短い言葉を交わしながら、「いつ出番が来てもいいようにしっかりと準備しておくこと」「どんなに短い時間でも、自分の持ち味を出すことが大事だ」ということを伝えたかった。

年末の最後の大会。息子はまた途中出場だったけれど、精いっぱいプレーしていた。自分でなんとかやろうとする気持ちが見えるプレーだった。僕の伝えたかったことが伝わり、しっかりと表現してくれたのが嬉しかった。

試合に出られない息子との会話は、もしかしたら、まだ出場機会の少ない若いチームメイトとの会話に似ているかもしれない。結局、サッカープレーヤーであることに変わりはないということだ。

だから、先発が遠ざかった時の僕自身も同じ気持ちで日々を過ごしている。

「いつ出番が来ても、それがたとえ短い時間であっても、チームのためにプレーできるよう準備を怠らない」

それしかないと思っている。

僕が中学1年の時、Jリーグが始まった。

Jリーグの育成組織、ジェフユナイテッド市原(現千葉)のジュニアユースに所属し、Jリーグが身近な存在だったけれど、当時の僕は自分がJリーガーになれるなんて思ってもいなかった。ワールドカップも海外でのプレーも遠い話で、夢物語だった。

しかし、今は違う。

日本はワールドカップの出場常連国となり、ヨーロッパのクラブでプレーする日本人選手も多い。日々、海外サッカーを見ることができる環境も整っている。だから、息子たちが、プロになりたいとか、海外でプレーしたいという目標を持っていたとして不思議じゃないだろう。今はまだそういう話をしてはいないけれど。

もちろん、冒頭で話したように、サッカーを続けてほしいと考えているわけじゃない。

これから先、彼らにはサッカーに限らず、いろいろ場所で、さまざまなことを学び、知る機会が訪れるはず。そういうなかで、やりたいことが変わるのもまた自然なことだから。

子どもたちにはやりたいことをやってもらいたいし、そういう息子たちを応援したい。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 ©URAWA REDS