【連載】石原慎太郎 男の業の物語 二十六回『仲間の訃報』

肉親は別にして身近な仲間の訃報は、それを聞いた自分の生存を相対的に強く意識させてくれる。それは人間の一種の業であって、この世に生存している人間は誰しもいつかは必ず死ぬのであり、そう知るが故に誰しも己の死は覚悟しているはずだが、身近な相手の死の報せは対比として己の生を改めて覚知させてくれる。

「そうか、あいつは死んだのか」という慨嘆は皮肉なことに悲しみや悼む心とは別に、改めて生き甲斐を育ててもくれる。それを貪欲とかエゴの表示として咎めるのは人間の本性への買いかぶりで、生きるということはエゴの表示であって、人生というのは生と死の競合が織り成す錦絵のようなものだ。

限られた人生の中での生と死の葛藤は、ある者には利をもたらし、ある者からは希望を奪いもする。戦争などという極限的な状況の中では、それは顕著に現れもする。

飛んできた一発の弾丸が自分をかすめて過ぎたが、隣の戦友を撃ち殺しもする。間一髪が互いの運命を左右するのは人の世の常であって、そういう意味では人生は微妙な綱渡りに似ている。親しい仲間の訃報は改めてそれを痛感させてくれるが、新しい勇気を与えてもくれる。

そうした心理構造は非情なようでも人の常であって、それが人間の業ともいえるのだろう。

そして人間は自ら選んだ術のせいで、それを敢えて自ら行い己を生かし支えなくてはならない。危険な山登りに身を賭すような人間は、ある場合、落石に打たれて死んだ仲間が繋がったロープを切って谷底に墜落させ、自らを救わなければならない。

これは他者の死と自らの生との対極的な絡み合いの事例だが、人間の関わりの象徴的なケースに違いない。

私と親交のあった無類の冒険家の植村直己はグリーンランドの犬橇による踏破の際、熊に襲われ食料のほとんどを奪われ、その後食い繋ぐために橇を引く犬たちを仕方なしに次々に殺して食べたそうな。犬たちも同じように仲間の肉を喜んで食ったという。動物愛好者たちはそれを非難していたが、彼は動じることもなかった。

極限状況の中では、人間は他者と生と死の取引を強いられもする。そして他者の死が他者の生を救いもする。

レイテ島での死闘の体験を記した大岡昇平の傑作『野火』にもあるが、敗残して放浪する兵隊たちは衰えはてた仲間を殺し、猿の肉と偽って分けあい食べたそうな。

人間の人生は他者の死によって支えられている節がないでもない。それは観念の世界でならば十分にあり得る。

私自身もその体験があった。それは大岡さんの凄まじい体験には及ばないが、他者の肉体的な犠牲によってではなしに、他者の死の情報によっての蘇生の体験だった。

あれは私が創設した沖縄から三崎までの手強いヨットレースの三度目の最中だった。折から駿河湾に巨きな冷水塊が出来、そこに大きな低気圧が発生し、強烈な北風が吹き込み大荒れの海になった。どの船も巨きな三角波に阻まれて立ち往生し、船はまるでロデオの馬みたいに跳ね上がり、キャビンの中にいても壁に叩きつけられ、怪我人が出る始末だった。

その最中に海上保安庁との定時交信が始まり、他の船の動向を探るために全員聞き耳を立てていたら、ある船から荒天の海に落水者が出たとの報告があった。応答の中で相手は落水者の名前と職業を質してきた。その男の職業はスタイリストとかで聞き慣れない言葉に相手は聞き返してきて、報告者は「雀のス、田圃のタ、犬のイ、林檎のリ、雀のス、蜻蛉のト」と説明していた。それを聞いていたクルーの一人が、「ああ、あいつだぁっ」と叫んで跳ね起きた。そして彼は何か叫んで表の甲板に駆け上がり、落水者と同じ大学のヨット部の同僚に興奮して仲間の出来事を報告していた。

あの荒天の中での落水は間違いなく死を意味していた。それは誰しもが疑いもしなかった。

そして驚くことに他の船に起こった悲劇の情報は突然、へたばっていた我々に元気を与えてくれたものだった。彼は死に、俺たちはまだこうして生きているという何とも言えぬ強い実感が突然思いもよらぬ活力を与え、体の内に活力を蘇らせてくれるのを全員が感じていたと思う。

あれは異常な状況の中で突然もたらされた生と死の、際だった相対的感覚だった。

「ああ、人間という奴はこうやってしぶとく己の存在感を確かめ、自分を確かめ直しながら生きていくものか」とつくづく思ったものだった。

最近、古いアルバムを見直していたらその昔、学生時代に極貧の寮生活をしていた頃、誰かが仕入れてきた日本酒の一升瓶を飲み干し、空き瓶を抱えて肩を組み合い寮歌を歌っている写真が出てきた。あまりの懐かしさにその仲間を呼び集めて、またもう一度乱痴気騒ぎをしてみたいものだと思い立ち、古い仲間の消息に詳しい男に写真の仲間の所在を確かめるよう頼んだら、その全員がすでにこの世を去っていたと知らされたものだった。

それを知った時の寂寥感と、相俟っての俺はまだこうしてこの世に籍を置いてはいるという強い相対的な存在感を、何ととったらいいものだろうか。

石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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