貴乃花親方 理事就任から朝青龍引退まで。真相はどうだったのか!?

貴乃花部屋 貴乃花親方が立候補した今回の日本相撲協会の理事選には、相撲ファンのみならず、多くの国民の関心が集まった。これまで多くを語らなかった貴乃花親方が、理事選から間もないある日、旧知の仲であるGOETHE編集長のインタビューに、朝青龍問題も含め、率直に答えてくれた。見えてきたのは、頑固一徹、時には奇人とまでいわれた男が、相撲道を心から愛し、実は最も至極まっとうであるということだった──。  

「ただ信念あるのみ。自分のなかにあるすべてをかけて闘う」

並はずれた強い意志と、昨今では珍しい本物の誠実さを感じさせる澄んだ瞳――。

この日、インタビューを行う部屋に、貴乃花親方はアスリートタイプのサングラスで現れた。最近テレビ画面でよく見るスーツ姿ではなく、古着専門店で見つけたという赤茶色の革ジャケットにジーンズだ。187センチの長身に対し、腰はかなり高い位置にある。脚が長いからだろう、筋肉質なのにスマートに感じられる。広い肩幅と鎧のような胸と太鼓腹で、横綱時代はほぼ力士の理想形といわれた。専門筋の「脚さえ短ければ完璧だったのに」と評したコメントが思い出される。

日本相撲協会の理事選で、連日テレビのニュース画面に登場する親方の姿を見て、ものすごくやせている、と感じたファンも多かったはず。しかし、間近で見ると見事に引き締まっている。着替える時に目の前に現れた大胸筋は今もパンパンに張っていた。

――親方には折々話を聞かせていただいていますが、テレビでは、確かにやせた、と思っていたんです。今、体重はどのくらいですか。

「やっぱりやせて見えますか? 周りの人間にもよく言われるんですよ。体重はずっと90キロ前後を心がけていますけれど、ここのところは、実際には逆に少し増えていて、90台後半です。今回の理事選の前後はさすがに大忙しだったので、運動不足が続いています。やせて見えたのは、緊迫感によるものだと思いますよ」

――顔つきも精悍な印象を持っていました。やっぱり、気持ちも身体も引き締まる理事選だったわけですね。

「それはもちろんです。こうしてお話していても、使命感をひしひしと感じています。これからはさらに正々堂々と歩いていきたいです」

2月1日、貴乃花親方は、「圧倒的不利」という下馬評を覆して、日本相撲協会の理事に当選した。

日本相撲協会の最高決議機関である理事会の定員は13名。うち3名は外部理事枠なので、10枠が年寄(親方のこと)から選ばれる。選挙権を持つのはすべての年寄と大関以上の日本人力士と2人の行司。計110名の投票で決まる。

ところが、相撲界には「一門」という派閥があり、それぞれの派閥が持つ票数に見合った候補者を立ててきた。理事枠と候補者数が同じなので、理事たちは無投票で選ばれる。その“調整枠”外で、二所ノ関一門を離脱して理事に名乗りを上げたのが貴乃花親方だった。二所ノ関一門は貴乃花を支持する6人の親方も事実上の破門にした。

10人の理事枠に対し、立候補者は11人。当落ラインは10票。理事選における貴乃花票は、本人票と支持する6人の親方票で、計7票と思われていた。しかし、予想に反して、貴乃花親方は10票を獲得して理事に選出された。

――ストレートに聞きます。理事に当選する自信はありましたか。

「いえ。ないと思っていました。私の頭のなかでは投票日まで7票のままだったので。だから、結果にはびっくりしています」

――予想外の3票が上積みされ、多くのファンが喝采をおくったのですけれど、そのうち1票は、ご本人が名乗り出たことで立浪一門の安治川親方(元幕内光法)とわかりましたね。

「私のあずかり知らないところで、尊い1票を投じてくれた安治川親方には、男の心意気を感じました。大相撲ファンでなくても感動する出来事だったと思います。

純粋で、純潔で、無垢。結果的に廃業は免れましたが、職を失ったとしても、人生を大きく変えることになっても、自分が信じる決断をし、行動をしました。しかも、廃業の覚悟を決めて会見を行った際も、自分の意思で投票して一門に従わなかった行いを反省しても後悔はしていないことをはっきりと示された。

彼は鹿児島県出身ですが、薩摩隼人の気骨を感じます。臍下丹田といいますけれど、下腹に力が入った人間でなくてはできない決断です。もし自分が彼と同じ立場にいたら、同じ行動ができたかどうか。年齢こそ私のほうが上ですが、安治川親方の行いからは学び取ることがたくさんあります」

安治川親方の言動は一貫していた。

「最後は頭より心で動きました。反省はしていますが、後悔はありません。今はすがすがしい気持ちです」

「相撲協会に少しでも変化があればと思いました。一門も大事にしたかったけれど、貴乃花親方ならば何かしてくれるという思いが強かった」

「(貴乃花親方を)かねがね尊敬していたし、貴乃花親方を支持する親方にも憧れていました。自分も支持者になりたかった」

安治川親方が貴乃花親方に投票したことで、20票を持ち2枠あるはずの立浪一門は、大島親方(元大関旭国)が落選し1枠に。理事選翌日に国技館で一門会を開いた。

「貴乃花に投票したのは誰だ!」

一門の追及のなか、安治川親方は自ら「私が入れました」と手を挙げたという。落選した大島親方自身は「気にするな」と言ったものの、他の親方衆からは厳しく責任を問われ、廃業を決意した。しかし、文部科学省の指導や世論の反発があり、翌3日、立浪一門の理事、友綱親方(元関脇魁輝)とともに廃業撤回の会見を開く。

――理事選後、安治川親方とは話されたのですか。

「電話でですが、感謝の気持ちを伝えました。私の口から申し上げるのはまことにおこがましいのですが、生涯をかけて守らせてください、と」

――結果は見事当選だったわけですけれど、親方は僕に、理事選の前から、立候補だけでも意味があると話していました。

「はい。立候補することそのものに価値を感じていました。ただ信念あるのみ。自分にできることはすべてやる。できないことは、他人にも自分にも求めない。そういう気持ちで理事選に臨みました。自分のなかにあるすべてをかけて闘うだけ、と」

6人の親方の破門で、一門が一門でなくなった

貴乃花親方の理事選出を阻みたい各一門の親方衆の動きは露骨だった。記名投票にしようとしたり、投票前に一門の立会人に内容を見せる投票方法に変更しようとしたり。それでは本来公平であるべき選挙は体を成さない。日本相撲協会は公益法人だ。見るに見かねて、管轄の文部科学省が公正な選挙を行う指導をしたほど。

――初場所千秋楽後の貴乃花部屋の打ち上げに呼んでいただいて、その際、大学ノートに丁寧に書き込まれた自分を支持する6人の親方に対する思いを述べたのが、僕にはとても印象的でした。あのそれぞれの親方への思いをもう一度聞かせてもらえますか。

「まず、私たちの精神的支柱の間垣親方(元横綱2代目若乃花)は、今から12年前、当時の境川理事長(元横綱佐田の山)の年寄空き株を協会が管理する案に反対して理事選に立候補しています。日本相撲協会史上初めての投票型理事選で見事当選を果たした。経験という強みを持つ方です」

間垣親方の参加は力になった。年齢は20歳上であらゆる意味で経験豊富。先代の二子山親方(元大関貴ノ花)や先代の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴櫻)亡きあと、一門の取りまとめ役も担っていた。

二所ノ関一門のなかで、今回の理事選で貴乃花親方の立候補によって理事職が見送られたのが鳴戸親方(元横綱隆の里)だった。二子山部屋にいた現役時代、間垣親方は鳴戸親方と一緒に青森から夜汽車で上京して入門した仲。同じ釜の飯を食べた仲間と袂を分かっても、後輩の貴乃花親方を支持した行動は実に説得力を持った。

――阿武松親方(元関脇益荒雄)についても、心のこもった紹介をしていましたね。

「“白いウルフ”といわれた現役時代の阿武松親方の、上位番付の力士に立ち向かう闘志は凄まじく、見た人に感動を与えました。あの気迫は指導者になってもいささかも衰えていません。何よりの証は、毎場所、番付のどこかで弟子に優勝争いをさせていること。初場所でも序二段で優勝決定戦に進め、十両にふたり同時に昇進させました。毎場所優勝争いを行うのは、長い相撲の歴史のなかでも例を見ません。“指導者の宝”です」

――大嶽親方(元関脇貴闘力)は、藤島部屋、二子山部屋の兄弟子ですね。

「私が小学生の頃、師匠の内弟子で、一緒に暮らしていたこともある方です。公私ともに兄弟関係といえます。喧嘩っ早い方ですが、今回の理事選については、ものごとをすごく冷静に判断し、発言してくれました」

――大嶽親方が常に自分の責任において発言されていることに、僕は好印象を持っています。

「私が何よりも感激するのもそのことです。常に私と同じ立場にいてくれながら、自分の意見はあくまでも自分自身の意見として、自分の責任において、メディアを通して言い続けてくれました」

大嶽親方の義父は大横綱大鵬の納谷幸喜氏。「義父も私と同じ気持ちです」という大嶽親方の発言は、相撲界内外に影響を及ぼした。

さらに、一度は廃業を覚悟した安治川親方に会見場を提供したのも大嶽親方だった。

「本人の口からは言いづらいだろうけれど、辞めさせられたようなものだ」

立浪一門への憤りを露わにした大嶽親方の発言は、メディアを通して強い印象を与えた。

――二子山親方(元十両大竜)は、その大嶽部屋にいらっしゃる。

「大嶽部屋付きです。二子山親方は、若い力士が相撲の基礎から、国語や算数や書道や一般常識までを学ぶ相撲教習所の教官としての経験が豊富な方です。10代の子たちの気持ちが理解できる方に仲間に加わっていただいたのは、とてもありがたいことです」

――音羽山親方(元大関貴ノ浪)と常盤山親方(元小結隆三杉)は、貴乃花部屋付きの親方ですね。

「音羽山親方は弟子の指導を一緒にやってくれている、まさしく縁の下の力持ちです。関取としては才能豊かでものすごく器用。どんな体勢になっても自分のかたちに持ち込むことができます。それは今も同じです。常盤山親方は、性格温厚。とても優しく、気づかいがあり、誰に対しても裏表なく接します。常盤山親方のことを悪く言う人はいないと思います」

――改めて感じますが、この上ない顔ぶれですね。

「私は救われている。心の底から感じています」

――そんな6人の親方衆を、二所ノ関一門が破門にした時には、前代未聞の異常事態に感じられました。

「一門という派閥に私自身も所属してきたので、それがどういうものなのかはわかっていたつもりです。その理解を超えた出来事でした。大鵬親方(納谷氏)や間垣親方も、一門の調整外で立候補したり、その人間を支持したりが理由で破門になるのはおかしいというお考えでした。他の親方衆に、6人を破門にする権利はない、とも。誰よりも一門を大切にされてきた方々がおっしゃるくらいですから、破門というのはよほどのことだと感じています」

――派閥が体を成さなくなった感じがします。

「おっしゃるとおりです。一門が一門でなくなった出来事だったのかもしれません。ただし、私たち7人は、同じ思いによって束ねられた7本の矢のように、大鵬親方や間垣親方が大切にされてきた一門の絆を強く意識し続けます」

相撲道とは昔から日本人が大切にしてきた心

――一部の報道では改革! 改革! と、貴乃花親方がまるで相撲界の伝統を壊すような受け止め方をされていますが、実は正反対で、旧きよきものを守りたいということなんですよね。

「確かに、私が理事になることで何か改革をしようとしていると受け止められています。でもそれは、ちょっとニュアンスが違うんですよ。改革ではなくて、相撲を通じて古来脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていきたいのです。

相撲には相撲道というものがあります。目上を敬う心とか、礼儀を重んじる精神とか、昔から日本人が大切にしてきた心が、相撲ではまだしっかりと生きています。この相撲道は、世界でも例を見ない素晴らしいもの、時代が変わってもその価値が変わらない生き様であると、自負しています」

――目上の人間を敬うとか礼節を大切にする気持ちは、少し前の日本では当たり前のことでした。そんなことが本当にできない時代になっていますよね。

「そうでしょう! 街ですれ違いざま肩がぶつかっても、失礼しました、のひと言が言えない若い人は少なくないですよ。電車で座席に座っていて、目の前にお年寄りや身体の不自由な人がいても、席を譲らない人すらいます。

私が子供の頃は、そんな行いをしたら、大人から厳しく叱りつけられました。虐待は決してあってはならないけれど、大人は子供にもっと厳しく向き合うべきです。そこに確かな愛情があれば、決しておかしな事態にはならないはず。両国国技館の中にある相撲教習所では、そういった礼節を教えています」

――ところが、そんな相撲道が最近は揺らいでいる。そのことに対して、親方はいつも深く心を痛めていますね。

「残念ながら、最近の朝青龍問題など、まさしく相撲界の揺らぎの象徴です」

朝青龍は引退でよかった。ただし、あくまでも温情

元横綱朝青龍は、2月4日、貴乃花親方も新理事として出席した日本相撲協会理事会で事情聴取を受けたあと、現役引退を表明した。

引退の直接の理由は一般人への暴行事件。初場所中の1月16日未明、都内で泥酔して暴れ、一般人に暴力を振るった。しかも、武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)からの厳重注意に対し、当初は「相手は一般人ではなく個人マネージャー」と嘘を言っていた。

――これもストレートに聞きます。朝青龍問題の「引退」という決着について、親方はどう思っていますか。

「結論を先に申し上げると、解雇ではなく引退でよかったと思っています。朝青龍の人生は、これからも長く続いていきます。彼の今後の人生を相撲協会や理事会が奪うような結論を下さなくてよかった。

ただし、引退を勧めたことが温情であることもまた事実。引退にいたるプロセスを考えてみてください。不祥事です。暴力沙汰です。しかも、今回の出来事にいたるまでにも、朝青龍はさまざまな問題を起こしています」

「壊すのではなく、旧きよきものを守り、日本の美学を残したい」

――本場所休場中にもかかわらずサッカーに興じていたり、他の関取とのトラブルも数多くありましたね。そんな朝青龍も、涙を流しながら引退会見を行いました。

「あの会見には、寂しい思いがしました。というのも、確かにモンゴルへの思いは語られたけれど、日本に対する敬意が感じられませんでしたよね。朝青龍がいたのは、日本の国技である相撲界です。力士としての彼は日本で産声を上げ、日本で相撲を学び、日本の土俵で闘ってきた。その意識が薄かったのではないでしょうか。

私たちは、朝青龍に限らず、モンゴルの力士を差別してはいません。日本で相撲をとってくれることに感謝の気持ちを持っているくらいです。ところが、日本の国技を行っているのに、朝青龍の態度には日本への感謝の気持ちが感じられません。彼は、優勝パレードの時、モンゴルの旗を振っていましたよね? あの行いは、私は間違っていると思います。モンゴルの旗を振るならば、自国に凱旋して、そこで振るべき。そういう彼の心の在り方が、不祥事につながったのだと思っています」

――ちょっと意地悪な意見になりますけれど、日本相撲協会という組織は公益法人であり、社会的にいろいろと優遇されています。それにもかかわらず、横綱が、その相撲の世界のしきたりを守らない。おいしいところ取りといわれても仕方がない。さらには社会人としてのごく当たり前のルールを守らないというのは……。

「つい最近のことですが、テレビを見ていたら、コメンテーターが面白い発言をしていました。その方は、相撲は日本の伝統神事なのかプロスポーツなのかを明確にしたほうがいい、とおっしゃっていた。なるほど、世の中の人はそう思っているんだな、と。実に参考になりました」

――どちらなんでしょう?

「両方ですよ。私は、神事で、武道で、スポーツであるのが大相撲だと理解しています。だからこそ、価値があり、魅力がある。無理矢理明確にしなくてもいいと思っています。ただし、公益法人であることなども含め、内部の人間が、もっともっと自覚を持たなくてはいけないと考えてはいます。外国から来た朝青龍は、そのあたりの理解が難しくて、反発心を覚えたのかもしれませんね」

――朝青龍の師匠である高砂親方の管理責任を問う声も多く聞かれます。

「確かに親方にも責任はあるでしょう。組織ですから、そういう意見があるのはもっともなことです。しかし、同時にあれだけ強い横綱を育てたのも、師匠である高砂親方の功績です。今、この状況にいたってすべてを親方の責任にして重圧をかけるのは、私は違うと感じてはいます。問題を起こしたのは朝青龍で、親方の目の届かない場所での出来事でした。そして、当事者である朝青龍は、すべての力士の手本にならなくてはいけない横綱だったわけですから、やはり、あくまでも朝青龍本人が責任を負うべきです」

――朝青龍問題の前には、時太山事件、大麻事件などもありました。相撲界が親方のいう相撲道を見つめ直す時期なのかもしれません。

「相撲道の基本は、人に幸せをもたらすことです。自分ではない誰かのために腰を上げる。それが相撲道です。それには自分自身の心も身体も強くなくてはいけません。そして、大義のために必要であれば闘う。そういう精神を自分のなかに育て上げ、持ち続けるのが、私たちの誇りです。これは日本人だからこそ持つことができる精神ではないでしょうか」

――確かに日本人特有の感情ですね。

「私は“誇り”という言葉と“プライド”という言葉の意味は別だと考えています。私が思うプライドは、胸を張って肩で風を切るように歩くイメージです。誇りは違う。肩の力を抜き、呼吸を整え、座禅を組むイメージです。そして、いざという時には、臍下丹田に力をこめ、臨戦態勢に入る」

――昔の武士がそうだったように。

「誇りのある者は決して自分の側からは仕掛けない。しかし、何かを守るために闘うべき時には、呼吸を整え、臍下丹田に力を入れて、すっと行く」

――相撲教習所では、そういう心構えも教えているのですか。

「はい。引退後に相撲教習所に配属され、こういった人間が根底に持つべき教えについて改めて考えさせられました。20年以上前に、教習所の生徒として自分が教えられたことも蘇りました。みんなが相撲道に立ち返り、誇りを持てば、不祥事も起こらなくなるはずです」

みんなが相撲を応援し、愛してくれるために――

――では、貴乃花親方は、理事になって、今後何をやっていきたいのですか。

「具体的には、相撲のチケット販売の仕方、新たな相撲ファンの開拓・拡大方法、相撲PRの見直しなどです。まず、チケットですが、国技館の桝席のチケットはどこで買うか、ご存知ですか?」

――相撲茶屋ですよね。

「そうです。ところが、この不況でお茶屋さんも減りつつあります。インターネットでの販売も行っていますが、私はもっと購入しやすく、内容も魅力的にするべきだと思っています。あくまでも一例ですが、スタンドの2階席は子供でも手に入る価格にする。そして、お茶屋さんで買う場合は、多少価格を上げても、よりプレミアム感ある内容にする。お酒やお弁当のバリエーションを増やしたり、といろいろあると思います」

――4人用の桝席は、今の日本人の体形では狭いですものね。

「現在既に2人桝もありますが、4人桝に座るお客さんからは窮屈だという声が多いですね」

――貴乃花部屋が導入しているサポーター制は、サッカーのJリーグのようなものですか。

「はい。大相撲は長い間、大きなスポンサーに支えていただいてきました」

――いわゆる「タニマチ」ですね。

「タニマチというのは、江戸時代に大阪の谷町に相撲好きのお医者様が大勢いらして、経済的に助けていただいたことに由来します。これからは、そういう地域の実力者はもちろん、子供からお年寄りまで幅広く応援していただけるシステムをと考え、貴乃花部屋では6年前からこのサポーター制を導入しています。相撲部屋はたくさんありますから、それぞれ自分たちの暮らす町を大切にして、地域と協力し合いながら、発展していけたら素晴らしいと思います」

――かつてはどの町の神社にも土俵がありました。

「町にある神社で開催される相撲大会から育った強い子がお相撲さんになっていく、昔ながらの在り方を取り戻していきたいですね。そうなれば、地元の相撲部屋を応援していただけて、国技館にももっと人が集まるでしょう」

――相撲を見るお客さんを増やし、もっともっと発展させたい、と。

「先ほど私は誇りについてお話ししました。その誇りを持つには、誇りを持てるだけの待遇は必要です。現実的な話になってしまいますが、大相撲は力士だけでは成り立ちません。土俵で勝敗を裁く行司、髷を結う床山さん、関取を呼ぶ呼出さんたちがいらしてこそ、です。修練を積んだ専門職の方の力は実に大きい。ところが、こうした方々の給与は低すぎます」

――どのくらいですか。

「神主の役割も担う行司さんの給与が、キャリア20年ほどで、高卒の初任給くらいです」


「持てる限りの“仕事力”を発揮して、相撲を盛り上げたい」

――ええー! 20年働いて20万円以下ですか。

「びっくりしますでしょう。しかも、専門職の方々は15歳くらいで社会に出るので、20代前半には所帯を持ち、子供もできます。大変な生活だと思います」

――親方のいう誇りは持ちづらいかもしれませんね。

「皆さん大相撲に携わることに、今は誇りを持ってくれています。でも、すでにそういう時代ではなく、私たちも甘えていてはいけません。これまでどおりでいい、という考え方では後継者はいなくなり、伝統も技術も根絶します。このたび理事に選んでいただいたからには、こうしたひとつひとつの改善に力を注いでいきたいです」

――労働条件を改善するには、当然、収益を上げる必要があります。

「そのためには、国技館の座席を整備したり、チケットを買いやすくしたり、積極的にアイデアを出し合い、実現していかなくてはいけません」

――それが、チケット販売の見直しや新たなファン層の開拓というわけですね。

「はい。理事になったからにはより積極的に取り組んでいきます。さらに、PR活動についてですが、現状、日本相撲協会は相撲雑誌の発行を外部の出版社に委託しています。それを今後は、それら媒体とプロの方々の力を借りながら、より積極的に発言し、情報を発信するべきだと思っています。そうすれば、相撲をどう楽しんでいただくか、相撲界がこれからどこを目指しているのかを、ファンの方々により正しく理解していただけます」

――親方、やらなくてはいけないこと、たくさんありますね。

「私が15歳で相撲の世界に入った時、お付き合いしてくれた人はみんな年上でした。近所のおじいちゃんやおばあちゃん、みんなが応援してくれました。みんなが相撲を愛してくれました。その相撲をどうしてももう一度盛り上げたいんです。ここのところは不祥事が続いてしまいましたけれど、持てる限りの“仕事力”を発揮して、相撲への信頼を取り戻したい」

――話を聞いていると、僕はせっかちだから、貴乃花親方に1日でも早く理事長になってほしいと願ってしまう。でも、当然、世の中には考え方の違う人たちもたくさんいる。現実的には敵も多いでしょうし、閑職に飛ばされるのでは、という声もあります。

「理事になったばかりで、正直な気持ちを申し上げると、自分が今後どうなっていくかはわかりません。でも、相撲道を世の中に配信する気持ちで、目の前に現れるハードルをひとつひとつ越えていこうと思っています。ハードルを飛び越すのか、蹴飛ばすのか、それはわかりませんが。とにかく突き進みます。何かを成そうとする時、敵をつくってしまうのは、ものの道理。当然のこととして受け入れます。誰にも文句を言われない人間なんて、価値はないですよ。

両国国技館の近くの押上に、もうすぐ新しい東京タワーが完成します。おそらく全国から観光客が集まるでしょう。タワーと国技館。このふたつが東京の二大シンボルになるように、相撲界をどんどん活性化させていきたいんです」


聞き手=GOETHE編集長 舘野晴彦 Composition=神舘和典 Photograph=筒井義昭

*本記事の内容は10年2月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい