金子千尋 球界ナンバーワン投手はあらゆる工夫が才能を凌駕する

今オフ最も注目されたプロ野球選手、金子千尋。MVP、沢村賞などタイトルを総嘗(な)めにし、頂点に上り詰めた男はしかし、「身体的な才能に恵まれていたわけではない」と言う。その仕事ぶりは、時に常識を疑い、時に非常識をも貫き通す圧倒的工夫に支えられていた

このままではダメという不安感を成長につなげる

 スーツの襟を指で摘まみながら、金子千尋は少しはにかむように微笑んでみせた。
「シーズン中の遠征では、ここまでしっかりした格好はしないんですけどね」
 今オフ、フォーマルなスリーピース姿の彼を、テレビや新聞で数え切れないほど目にした。最優秀選手賞、沢村賞、最多勝、最優秀防御率賞、ゴールデングラブ賞、ベストナイン……。総嘗めという言葉は昨季の金子のためにあるかのようで、数々の個人タイトルを手にし、彼は間違いなく球界の頂点へと上り詰めた。
 キャリア最高のシーズンを終えた今オフ、華やかな場へと向かう彼と幾度か会ったが、その服装とは対照的に、不思議とその表情に晴れやかさは感じられなかった。
 フリーエージェントの権利を行使して間がなく、まだ去就が決まらずに気持ちが落ち着かなかったことも要因だろう。だがそれとは別に、周囲の喧噪(けんそう)とはまったくかけ離れた、自分だけの精神世界にひとりこもって思考しているような冷静さが彼にはあった。
「嬉しいんですけど、心から喜べない自分がいるんです。賞をいただいても、僕なんかでいいのかなという思いがあるし、それに、優勝できなかったのにリーグMVPというのは、やっぱりちょっと違うんじゃないのかなと」

 それが謙遜でないことは、彼が語る時の真剣な眼差しを見れば理解できる。
 オリックス・バファローズのみならず、今や日本球界のエースと自負してもいいはずだが、本人はいつも、どこか自信がなさそうな発言をくりかえす。理由をたずねると、彼の思考をうかがい知れる答えが返ってきた。
「自信と不安、どちらが僕のなかで大きいのかといえば、断然、不安のほうですね。僕はプロ入りしてからも怪我がちで、いつも故障に対する不安がつきまとっていました。ただ、不安を持っていないと、僕はダメだと思うんです。不安だからこそ練習するし、不安だからこそ慎重にもなれますから」
 細身な体格ながら、長野商業高校の2年生だった春に控え投手として甲子園の土を踏み、トヨタ自動車時代は都市対抗も経験した。だが自由獲得枠でプロ入りした時点では、ファンから注目されるような存在ではなかった。
「飛び抜けた才能なんか、僕にはありません。小学生の頃のことだったらいざしらず、プロ野球の世界に入ってからは、僕より球が速い選手なんかいくらでもいました。だから、自信というよりも、このままではダメという不安に、いつも衝(つ)き動かされてきた感じです。だからといって、それが悪いとも思っていません。このままではダメと思うからこそ、少しでも人より工夫をしようとするし、不安感が成長につながることもあると思いますから」

並の者が並の努力では並の結果にしかならない

「並の選手」と自身を評することを、金子千尋は躊躇(ためら)わない。
「並の選手である僕にとっては、考えるということがとても大事なことなんです。桁外れの才能がある選手ならあまり考えなくても通用するんでしょうけど、僕はそうはいきません。今の自分に何が必要かを常に考える。しかも、ひとつのことに集中して深く考えるのではなく、広く浅く、いろんなことを考えるんです」
 投球に関することはもちろん、身体のこと、食事のこと、そして趣味のことまでも、すべてに思考を巡らせて野球という自分の仕事に結びつける貪欲さがある。
 例えば、チェンジアップという変化球がある。ストレートよりも回転数が少ないために浮力が働かず、ホームベースに到達する前には落下し始め、その落差を利用して空振りさせる球種として知られる。球速が遅いぶん、落ちずに真ん中へ入ってしまうと痛打されると思われており、これまで投手は、“いかに落とすか”に苦心惨憺(さんたん)してきた。
 ところが金子の場合、そのチェンジアップを投げる際、まったく逆に“いかに落とさないか”を考えてきたのだ。
「普通のチェンジアップは落ちるので見逃したらボールです。でも、僕のチェンジアップは変化しないから手を出さなければストライクになってしまいます。ストレートと同じ回転でストライクのコースに来たら、打者は振ります。ところが、まだボールが来ないんです。バッティングはタイミングだと思っているので、それを少しでも狂わすために、いろんな工夫をしていますね」
 独創的な金子の“変化しないチェンジアップ”には多くの逸話がある。ブルペンで練習しているのを見た選手がふざけていると勘違いして呆れたとか、ストレートを待っていた打者が落ちないチェンジアップを慌てて振ったためにあれほど遅い球に振り遅れたとか、ある強打者が“金子のチェンジアップはバットを2度振れる”と発言したとか。
「すごい体格をしたホームランバッターでも、タイミングを少し狂わせるだけで凡打に打ち取れてしまうんです」
 あらゆる才能を凌駕(りょうが)する工夫。それこそが、金子千尋の最大の武器だ。
「僕のような並の者が並の努力では、並の結果にしかなりません。人と違うことばかりをやっていれば成功するかといったら、そうじゃないかもしれないけれど、人と違うことを工夫することに関して、僕の場合、抵抗を感じませんね」

オリックス残留を表明する会見直後に撮影。どことなくスッキリとした表情が印象的だった。

裏方さんの生活まで自分にかかっている意識

 移籍か残留かが注目されている最中、あるスポーツ紙に金子千尋の頑(かたく)なな性格を紹介する記事が載った。それは、弟子入りを志願する後輩選手とさえ決して打ち解けないという内容だった。「わざわざ(アドバイスを)話すことはない」という彼のコメントを読んだ者は、彼を不遜であると捉えても仕方ない。しかし、打ち解けない理由にしっかりと耳を傾けてみれば、印象はがらりと変わる。
「プロ入り2年目か3年目、トレーニングコーチから、先発と抑え投手はひとりで練習しろと言われたんです。おまえらは、チーム全体、裏方さんの生活までかかっている場面で投げるんだと。だからおまえらは、みんなから見えるところで、ひとりで練習しなきゃダメだと。あれだけ頑張っているやつが投げて負けたんだから仕方ない、そう思わせるくらいの練習内容を見せるんだと」
 練習中、彼は誰ともあまり会話をしない。「話しかけないでくれというオーラを出している」と言うし、「みんなもそれをわかっていて話しかけてきません」とも言う。敢(あ)えて孤高の存在でいることで、チーム内での大切な役割を果たそうという強い意識が彼にはある。
「他の選手たちが、みんなと喋りながら練習していてもいい。でも、僕はそれじゃダメなんです。だから、金子には後輩が話しかけづらいようなことをメディアに書かれても、仕方がないと思っています」

グラウンド内外で、細部にこだわる/チームの後輩選手に薦められて昨季オフから興味を持ち始めたという腕時計は、「ウブロ」のほか、まだ日本に上陸して間もないブランド「メモリジン」(写真)がお気に入り。またこの日は、手首にクロムハーツのブレスレットも。心斎橋のショップで自らセレクトしたもの。

「野球の神様」を信じ際限ない努力を

 “エース”の自覚が芽生えている金子千尋だが、“エース”という言葉に、本人は意外な反応を示す。
「その言葉は、まだ僕にはもったいないです」
 それでは、彼にとっての理想のエース像とは。
「勝てるピッチャーより、負けないピッチャー。その投手が相手だと、先に点をとられてはいけないというプレッシャーを相手投手に与えられるような、そんな存在に僕もなりたいです」
 ただ、沢村賞の受賞者がオリックスでは彼が初めてだったという事実が示すように、過去に大エースと呼ばれる存在がチーム内にはいなかった。目指すべき手本が身近にいないことで、新たなエース像を彼自身が構築しなければならない。
「ソフトバンクの斉藤和巳さんとか、巨人時代の上原浩治さんとか、お話させていただいたことがありますが、いつもそばにいられたわけではありません。でも、エース像がわからないからこそ、今の自分で満足してしまわず、もっともっと努力しなければならないという思いがあります」
 練習中における彼らしい考え方がある。例えば、ダッシュを10本している際に、夢中になるあまり本数を4本なのか5本なのか忘れてしまったとする。そんな時、彼は決まって多く走ることを選択するという。
「練習で妥協したくないんです。足りないより、多く走ったほうがいい。ダッシュだったら、最後の1本の、最後の1歩まで大切にする。勝つために練習で泣けとよくいうじゃないですか。常に『野球の神様』に見られているつもりで練習しています」

契約しているアンダーアーマーのグローブは、試合で使用するもののほかにも、特別仕様モデルが。公式戦では使用が制限されているカラーを大胆に配色。遊び心いっぱいのカラーリングだが、手を入れる部分の「氣」の刺繍がストイックさを垣間見せる。

メジャーへは「挑戦」より「経験」をしに行きたい

 プロ10年目、過去最高といっていいシーズンを終え、FA宣言をした金子千尋は、最終的にオリックス残留という選択をした。今季はチームの優勝に向かって全力で臨むことを誓ったが、しかし、メジャーリーグという夢舞台で投げたいという思いが消えてしまったわけではない。
「誰もがメジャーを目指したら、日本のプロ野球はどうなるんだろうという気持ちもありますけど、自分のなかでは、メジャーで投げたいという思いも確かにあるんです。ただ、今はメジャーに挑戦したいという言葉よりも、メジャーを経験したいという言葉のほうが近い。向こうに行かなければわからないことがたくさんあると思うんです。日本で10年やらせてもらって、さらにアメリカで経験して、日本とアメリカの考え方が理解できるようになれば、将来的に幅広い指導も可能ですよね。向こうで何年かやらせてもらって、経験を持ち帰って、日本のプロ野球に還元したいという気持ちが一番強いですね。日本の野球のレベルを上げるために、自分が少しでも何かできたらと」
 すでに31歳。もう若くはないという危機感もある。
「でも、向こうの調整法で、逆に体力的に上がっていくようなトレーニング法があるかもしれませんよね。同じ野球ですが、考え方の違いはあると思うので、どちらも自分で身をもって経験してみたいんですよね」
 新たな“考え方”を求めての、メジャーという夢。そのためには、まずは今年、“やり残していること”という優勝へ向け、これまで以上の工夫を重ねてゆく。
「昨年も精いっぱいにやったけど、それと同じくらいの頑張りではダメ。もう今の段階から、チームのひとりひとりが、自分に何ができるのかを、もっともっと、考え抜いていかないと」
 2014年は優勝したソフトバンク・ホークスを勝利数で上回りながら勝率わずか2厘差で優勝を逃したオリックス・バファローズ。チームはオフに大補強を敢行した。“優勝”という明確な目標に向かって、金子の新シーズンが始まった。

愛車ポルシェ・カイエン ターボ。これに乗るようになってから成績も上昇したという、いわゆる“アゲ車”。シーズン中も関西での試合なら自ら運転して試合会場入りする。ブライトカラーの黄緑色のブレーキキャリパーにもこだわりが感じられる。
Chihiro Kaneko
1983年生まれ。新潟県出身。オリックス・バファローズ所属。2004年に自由獲得枠で入団。今オフFA権を取得して行使を宣言するも残留を選択し、今季は自身初となる優勝を目指す。音楽はBIGBANGがお気にいり。

Text=平山 譲 Photograph=鞍留清隆

*本記事の内容は15年1月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)