【内田篤人】70分間の引退会見で明かした「100%の美意識」~ビジネスパーソンの言語学110

各界のトップランナーたちのコメントには、新時代をサバイブするヒントが隠れている。当コラムでは、ビジネスパーソンのための実践言語学講座と題して、注目の発言を独自に解釈していく。110回目、いざ開講!

「自分をセーブしながらプレーしてきたのは、変な話、試合に出る出ない、試合に勝つ負けるよりも自分の中ではすごく辛かった」―――8月23日に引退した鹿島アントラーズの内田篤人選手

スピード、テクニック、安定感、正確性……どこから見ても、内田篤人は日本サッカー史上、最高のサイドバックといってもいいだろう。鹿島アントラーズでは2006年のルーキーイヤー開幕戦から出場し、史上初のJリーグ3連覇に貢献。2010年にブンデスリーガ シャルケ04に移籍すると、不動のレギュラーとしてチームを初のチャンピオンズリーグベスト4に導いた。故障に泣かされることも多かったが、日本代表、五輪代表としても活躍。右サイドバック・内田篤人の名はサッカーファンのみならず多くの人の記憶に刻まれている。

そんな内田がシーズン中のタイミングで引退を決意したのは、故障が原因で100%のプレーができなくなったことだという。

「練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというのが続いた。たとえば永木(亮太)、小泉 慶、土居(聖真)くんとかが練習を100%でやるなかで、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった」

「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、変な話、試合に出る出ない、試合に勝つ負けるよりも自分の中ではすごく辛かった」

並の選手ならまわりや自分を誤魔化しながらプレーすることを選んだかもしれない。だが、自身の100%を知っている内田にとって、それは耐えきれないことだったのだろう。

「途中から交代しても、最後の5分、10分持たない。自分のなかで最後、足が止まってしまうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいる。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います」

誰よりも自分に厳しい男だったからこそ、内田篤人は内田篤人になりえたのだろう。そして最後は、その美意識から引退を決めた。だが、内田のサッカー人生はこれで終わったわけではない。これからは世界で戦った経験を日本サッカーの発展に役立ててほしいと心から願う。

「もうサッカー選手が終わったので好きなことを言っていいならば、(日本と世界の差が)広がったなと思う、正直。DAZNでパパッとやれば、チャンピオンズリーグ決勝とJリーグの試合を見られる。違う競技だなというぐらい、僕の中で違いがある。怒られるかな、こんなこと言ったら」

内田は、チームに対する苦言を発することが少なくなかった。それは自身がが本気でサッカーに向き合い、チームを思っての発言だった。本音や厳しさが敬遠されがちな時代だ。それでも内田のように常に本音で語り、100%を追求する厳しさを持った人間が組織には必要だと思う。第2、第3の内田篤人を生み出すために、これからもサッカーとかかわりつづけてほしい。


Text=星野三千雄