21年NHK大河主人公に決定! ビジネスパーソンなら知っておきたい教養としての渋沢栄一

2021年NHK大河ドラマの主人公に渋沢栄一が選ばれたことが発表された。タイトルは『青天を衝(つ)け』で、俳優・吉沢亮が主演を務める。ゲーテWEBでは1万円札の表面を飾る肖像が、福沢諭吉から渋沢栄一に変わることを受け、渋沢研究の第一人者たる島田昌和さんに壮年期の渋沢栄一の言動を教えもらった。


①【出世の糸口となった一橋家時代】いかにして渋沢栄一は、武士からビジネスパーソンとなったのか

1864年(元治1年)24歳。一橋慶喜に仕える
同時代の若者が皆、熱に浮かれて政治運動に走ったように、渋沢も横浜焼き討ちというテロ行動を計画した。しかし、彼の場合はすんでの所で中止し、人生を無駄にすることはなかった。次なる自分の行く道を見つけるヒントは、他の武士にはできない自分ならではの領域を見いだすこと。それは、農村での人材発掘、一橋家の収入を増やすための商品作物開発など、自分の経験を生かすことができる仕事だった。

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②【近代社会を学んだ欧州留学時代】渋沢栄一はどこまでお金にクリーンだったのか?

1867年(慶応3年)27歳。徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)
政治よりも経済にこそ、自分のアイデンティティは認められる。そう早い時期と見定めた渋沢栄一は、渡欧のチャンスを逃さず海を渡り、彼の地の経済システムを学びに学んだ。欧州滞在時、いくらでも自身の懐を潤す方策はあったのに、渋沢はどこまでもお金にクリーンだった。その姿勢を貫いたことで、他に代え難いものを彼はこの時期に勝ち取った。「信用」という価値である。

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③【腕を試した静岡藩時代】渋沢栄一はいかにしてお金のプロになったのか?

1868年(明治元年)28歳。明治維新によりフランスより帰国。徳川慶喜に面会し、静岡藩へ。
フランスから帰国した渋沢栄一は、しばし静岡藩に身を置くことに。「商法会所」と呼ばれる政府の地方機関運営に従事することとなった。これは当時日本にまだ定着していなかった、半官半民の会社のような組織。静岡は渋沢にとって、欧州で身につけたビジネスマインドを日本に定着させる格好の実験場となったのだった。

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④【貨幣制度の礎を築いた新政府時代】渋沢栄一はいかにして出世したか?

1869年(明治2年)29歳。明治政府に仕える
静岡で仕事に邁進していた渋沢栄一のもとへ、新政府から出仕の命が届いた。大蔵省でキーパーソンとなった渋沢は、日本の金融を不換紙幣から兌換紙幣へと制度転換させるプロジェクトに従事した。実体経済から信用経済へ、国のシステムを大きく変える一大プロジェクトを差配する地位へと渋沢が上り詰めたのは、これまでの絶えざる「学び」の力に依るものだった。

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⑤【苦難の銀行開業時代】渋沢栄一はいかにして伝説になったのか?

1873年(明治6年)33歳。大蔵省を辞め、第一国立銀行開業
官の立場で日本経済の根幹システムを立ち上げた渋沢栄一は、みずから設立に尽力した日本初の銀行へ天下る。金融制度を確固とさせたうえで、各方面の産業を振興し、経営の一画を担うようになっていくのだ。渋沢の躍進と成功の支えになったものは何か。人心掌握術、プレゼン能力、交渉力、いずれにも秀でていたのはたしかだが、最もモノを言ったのは、彼が絶え間なく積み重ねてきた「信用の力」なのは明らかである。

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