【酒井高徳】「日本代表からの引退宣言」の本当の理由。日本人初の独リーグ主将のリーダー論④

日本人とドイツ人、所属クラブと日本代表、栄光と葛藤、さまざまな苦悩を乗り越え、「ハーフ」ではなく、「W(ダブル)」として、強くなったサッカー選手・酒井高徳。幼少期からの衝撃的なトラウマを経て、日本人初のブンデスリーガ・キャプテンになった男が生みだしたリーダー論を短期連載で公開。

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巧いだけでは日本代表にはなれない。一流の人間でなければダメ

「4年後は目指しません」

2018年7月、ワールドカップロシア大会決勝トーナメント対ベルギー戦後、酒井高徳は報道陣の前でそう語った。それは「日本代表からの引退宣言」として報じられた。

酒井が日本代表の一員となったのは、2009年12月19歳のときだった。すでにアジアカップの予選突破を決めていた日本代表は、消化試合となる2010年1月の試合に若いチームで挑み、そのひとりに選ばれたのだった。中学3年のときから年代別代表で活動していた酒井は当時すでにアルビレックス新潟でプロデビューをしていたが、彼にとっても驚きの招集だった。そしてその半年後、ワールドカップ南アフリカ大会へ出場する日本代表の帯同メンバーに同世代の香川真司(ベシクタシュ/トルコ)、永井謙佑(FC東京)、山村和也(川崎フロンターレ)とともに選出される。

「年齢制限のないA代表の選手たちの空気に圧倒されました。気づかれないままワールドカップが終わればいいなと思うほど。いっしょに練習させてもらったんですけれど、アルビでも自分の力のなさを痛感していたので、『ミスをして邪魔したら大変だ』という重圧をずっと感じていまいました。そんな僕の気持ちをほぐすように、(中村)俊輔さん(ジュビロ磐田)が、アドバイスをしてくれたり、イジってくれたのがうれしかったですね」

ワールドカップを前に苦戦が続く日本代表チームが、そこから抜け出そうと苦心する様を間近で体験するなかで、「日本代表」というグループの重みや誇りを知ることになった。同時に、チームの変化とともに、ポジションを失った選手をはじめ、ベンチに座る選手たちの献身性に心打たれることになる。

「ナラ(楢崎正剛)さんや俊輔さん、そして(内田)篤人くん(鹿島アントラーズ)など、アジア予選は主力で戦っていたのに、本番直前に戦い方が変わったりして、控えに回る人たちもいました。自分の立場が変わっても、チームのためにという気持ちがまったく変わらなかった。Bチームの選手が紅白戦をやったあと、Aチーム(先発)の選手に『俺が相手だったら、ここを突く』というようなアドバイスを送る。

そんなベテランの声にAチームの選手が耳を貸す。誰もが日本代表の勝利のために力を尽くしていたんです。僕もできることはなんでもやりたいと自然にそう思いましたし、子どものころから指導者の方に言われていた『巧いだけでは日本代表にはなれない。一流の人間でなければダメなんだ』という言葉の意味を痛感したんです。そして初めて、心底、僕も『日本代表』でプレーしたいと考えるようになりました」

決勝トーナメント1回戦で、パラグアイにPK戦の末に敗れたとき、酒井も号泣したという。そして、南アフリカ大会が終わると2014年のブラジル大会を目指した。出場機会のないままその大会を終えると、2018年ロシア大会へと向かっていく。そのロシア大会ではグループリーグ第3戦でワールドカップ初出場。しかし、本職のサイドバックではなく、攻撃MFとして起用され、持ち味を出すこともできず、試合にも敗れた。それでも先発メンバーを休ませ、決勝トーナメント進出を果たした。そのベルギー戦では、一時は2点リードしていたが、結局は逆転負けとなった。酒井はベンチでそれを見守った。

「ブラジル大会が終わったとき『次は絶対』と思えたけれど、ロシアが終わったとき『4年後は絶対』とは思えなかった。ならば、ここからの4年間は僕じゃないと思ったんです。代表の一員として結果を残したいと願い、力を尽くしてはきたけれど、それはできなかった。日本代表のために力を出せなかった。客観的に見れば、今後は酒井高徳の場所には別の誰かが座るべきだと。サポートメンバーとして南アフリカ大会を経験したことで、僕の意識も変わり、成長のきっかけをつかめました。

ならば、僕ではない若い選手が、僕のように代表を体感することが、日本のためになるはずだから。でも僕の場合は『引退』じゃない。『引退』と言えるのは、長谷部(誠)さんや(本田)圭佑くんのように結果を残した選手だけです」

左右両サイドバックでプレーできる酒井は、レギュラー組のコンディション不良時などにチャンスを得ていた。しかし、ポジションを獲得するまでには至らなかった。それでも多くの指揮官は彼をチームの一員に選び続けた。それは、どんな立場であっても準備を怠らず、気持ちを切らさず、チームのために尽力する酒井への評価だと言える。酒井はそれを南アフリカで学んだのだ。

終わり


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Gotoku Sakai
1991年生まれ。日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生し、新潟県三条市で育つ。2009年アルビレックス新潟ユースからトップチームに加入。‘12年1月、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍。’15年7月、ハンブルガーSVへと移籍。古豪の名門クラブでキャプテンに指名される。ブンデスリーガ初の日本人キャプテン。’14年ブラジル大会、’18年ロシア大会と2大会連続でW杯メンバー入り。日本代表Aマッチ通算42試合出場。


『W~ダブル~ 人とは違う、それでもいい』
酒井 高徳
ワニブックス 1,296円


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一