【阿部勇樹】Jリーグ再開で改めて感じたこと

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~18】

自粛期間を振り返って

新型コロナウイルスの影響で、チーム練習がなくなり、家にいる時間が増えた。

家でできるトレーニングを行い、生活リズムに大きな違いはなくなったものの、家にいる時間が長いからこそ、自然と家事を手伝う機会も増えたと思う。

普段も洗濯ものを畳むのは僕の役割なのだが、それ以外にも食事後の食器洗いや後片付けをしたり、買い物に出かける機会も増えた。いつもは妻がやってくれて当たり前だと思っていることが、実はけっこう大変なんだなと改めて感じた。僕も家族の一員として、やらなくちゃいけないことは少なくない。

高校の同級生だった妻と結婚したのは2004年。付き合い始めた頃から考えると20年近い時間が過ぎたことになる。

高校時代から、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)で、Jリーガーとしてプレーしていたけれど、結婚する相手に「サッカー選手の奥さん」として、食生活への知識を持っていてほしいとか、特別に望むことはなかった。当時は彼女も仕事をしていたし、彼女は彼女なりに、精いっぱい僕に寄り添ってくれていたから、それで十分だった。

結婚を決めた理由を簡単な言葉で説明するのは難しい。

ただ、僕自身が自然体でいられる存在だということだ。

結婚してからもリーグ戦だけでなく、代表戦があったりして、僕はサッカー選手として忙しい毎日が続いた。そして子どもが生まれ、家庭や家族のことはいろいろと妻に頼りっぱなしだった。

2010年に英国レスターへ移籍したときは、試合数が多くなかなか家に居られないことや子どもが小さかったこともあり、単身での渡英を選んだ。言葉の壁もあり、文化も違う。そういう場所へ家族を連れて行くことへの不安を考えたからだ。たとえ、僕がいなくても日本にいたほうが家族を助けてくれる人も多い。僕自身も安心できると思ったからだ。

日本に残った家族とは、スカイプで会話を交わすくらいの交流しかできず、もちろん寂しさはあったけれど、初めての海外移籍で味わう刺激を堪能できた。これも妻が日本で家族を守ってくれたからこそ。感謝しかない。

「うちには大きな長男がいるから」

サッカー選手の奥さんたちが、夫についてそんなふうに笑って話すケースは多いと思う。それを聞きながら、僕ら夫は照れ臭そうに笑い、ただ納得するだけだ。選手同士で確認したことはないけれど、多分みんな同じ気持ちに違いない。

妻には感謝しかない。

それを示すために、今、僕らはサッカーをプレーするだけだ。

怪我をしたり、試合に出られなかったり、勝てなかったりという日々になれば、自然とストレスも溜まってしまう。「家には持ち帰らないようにしなくちゃ」と思ってはいても、やっぱり不機嫌になったり、そういうことはあったと思う。自分が気づかないうちに家族に迷惑をかけてしまうこともあっただろう。

そんなときも妻は、過度に寄りそうわけでもなく、ほっておくわけでもなく、いつも適度な距離感でいてくれた。

練習が終わり、試合が終わり、帰宅したとき、妻がいて、息子たちがいる家。僕の家族の空気感、雰囲気、光景を実感できる。そういうとき、結婚してよかったなと思う。

もちろん、ひとりで過ごす時間でも落ち着く。でも、家族と過ごす時間はまた違うリラックス感を与えてくれる。

オンとオフ。

僕の仕事はそれが必要な職業だと思っている。

よいオフの時間をもたらしてくれるのが僕の家族だ。

Jリーグが再開し、スタジアムにも人が戻ってきた。

しかし、僕はベンチにも入れない日々が続いていた。

僕がどんな状況に陥っても、日々は過ぎていく。

変わらない家族との時間が僕を癒し、力を与えてくれている。

家へ戻り、リセットできるから、夢中になって、仕事に熱を注げる。

そんなことを今、あらためて思っている。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。'10年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 ©URAWA REDS