【FC東京】名物ホぺイロが語る「今季の勝因は"人が変わった"東慶悟キャプテン」

現在、Jリーグで優勝争いをしているFC東京。史上最高の観客動員数も記録するなど、ここ数年で激に進化し続けているのはなぜか。その鍵を握り、FC東京を支える各分野のプロフェッショナル6人にインタビューを行い、躍進の秘密を解き明かしていく連載【FC東京躍進の理由】。3人目はホペイロの山川幸則氏だ。

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20年間にわたり、選手の"準備"を支えるプロフェッショナル

山川幸則、1975年生まれの44歳。職業は"用具係"を意味するホペイロでありながら、実は、FC東京においてはチーム随一の名物キャラクターとしてよく知られている。Jリーグ加盟後の20年を語る上で、絶対に外すことのできないキーマンだ。

神奈川県横浜市で生まれ育った山川は、福祉関係の短大を卒業後、テレビで観たサッカー王国ブラジルのホペイロの姿に憧れて同じ道を歩むことを決意した。25歳になった1999年には一念発起して単身スペインに渡り、わずかなツテをたどってレアル・オビエド(当時1部)にたどり着く。

そこでホペイロのアシスタントとして約3ヵ月間を過ごした後、まだ10名の社員選手を抱えていた発足まもないFC東京に加入。以来20年間にわたって、選手が着用するスパイクやユニフォーム、トレーニングウェアのケアや管理を担当してきた。

今季、東キャプテンの存在が大きい

今シーズン、FC東京は優勝できると思いますか? そう問いかけると、山川はニヤリと笑いながら、小さい声ではっきりと言った。

「したいですね……。いや、じゃなくて、します」

そう思える理由は、やはり長谷川健太監督が指揮を執るようなってからのチームの変化にある。

「やはり、存在は大きいと思います。健太さんが来た時から、選手たちが監督のカリスマ性を感じ取ったことが態度や雰囲気でわかりました。事前に"怖い"という噂も届いていたので、それも影響したのかもしれませんけれど(笑)」

最も大きく、ポジティブに「変わった」と感じるのは、今シーズンのキャプテンを任されているMF東慶悟だ。2012年のロンドン五輪で日本代表のナンバー10を背負ったMFは、FC東京に加入して7年目となる今シーズン、長谷川監督にキャプテンマークを託されて背番号を「38」から「10」に変更した。第31節終了時点で全試合にスタメン出場し、文字どおり屋台骨として首位に立つチームを牽引している。

「今シーズンの東選手は、僕たちスタッフの目から見ても明らかに違います。とにかくみんなに声をかけるし、公平な厳しさを持っている。大げさではなく、180度変わりました。今の彼の姿を見ていると、チームにとって、キャプテンという立場の重要性を感じるんです」

かつての東は、どちらかといえば先頭に立って引っ張るキャラクターではなく、2番手、3番手としてリーダーを支えるタイプだった。それが今では、シーズン終盤を迎えて「昨年だって悔しい思いをしたんだ。わかるだろ!」「俺たちならできる!」とチームメイトを鼓舞し、積極的に声を発して"1番手"としてチームの先頭に立つリーダーに変貌している。

そうした姿勢はチームメイトに波及し、学年で2つ上の永井謙佑は風紀委員のような立場で若手に指導するようになった。ベテランが動けば、若手も動く。ホペイロの仕事には管理する大量の荷物の持ち運びがつきものだが、最近はベテランも若手も関係なく、それぞれが自発的に山川の仕事を手伝おうとするという。時には社長や強化部といったフロント幹部まで手を出そうとする姿を見て、山川は本当の意味の"チーム"を強く実感している。

選手たちの行動は"チームのために"に変わった

「チームバスでは右側の最前列に監督、左側の最前列に僕とマネージャーが座るのですが、マネージャーは席を立つことが多いので、僕が監督と話をする機会が多いんです。監督から質問をされることもあるので、事前にいろいろなことを頭に叩き込んでいるんですよ。飛行機の便名や道路の状況なども聞かれます。でも、そうやって会話をしていると、監督がかなりのモノ知りであることに気づくんですよね。『あのビルはね』『この裏道は』と、本当にいろいろなことをよく知っている」

山川の指摘は、もしかしたら長谷川健太という監督の本質を突いているかもしれない。

「監督は、僕が調べることはだいたい頭の中に入っている。それでも、バスの中で僕に質問をする。まるで『スタッフも高い意識を持て』と言われているような気持ちになるんです。つまり、選手たちも同じような感覚を持っているんじゃないかと思うのです。考えて、先に動けと」

考えて、先に動く。その重要性を、山川は誰よりもよく理解している。

2010年。FC東京はJ1で16位に低迷し、J2への降格を強いられた。"準備"を仕事とするホペイロにとって、J2でのアウェイ戦のほとんどが「勝手のわからないスタジアム」であることのストレスは計り知れない。しかも2011年は、宮崎県の新燃岳噴火によってキャンプ地を急きょ変更せざるを得ず、東日本大震災の影響で大幅な日程変更を余儀なくされるなど大小問わずさまざまな問題が発生した。

「それでもなんとか乗り切って、J2リーグで優勝しました。さらに天皇杯で優勝したことで、アジア№1クラブを決めるACL(AFC・チャンピオンズ・リーグ)の2012年の出場が決まった。あの時のことは今でも忘れられません。リーグ開幕直前のスーパーカップ、その直前に、リーグ戦とACL用のユニフォームや練習着などが1日100箱というレベルで一気に到着して、僕たちスタッフだけではさばけなくなってしまった。室内に収納できないので一時的に外に保管しようとしたら、数年に一度という大雪が降ってきました。それでもう、完全にパニックに陥ってしまった」

前年のリーグ王者とカップ戦王者が戦うスーパカップと、オーストラリアで行われたACL第1戦を必死の思いで乗り切った。しかし、肉体的にも精神的にもギリギリの状態だった山川は、選手たちに「荷物をどうすれば?」と聞かれて「自分で考えろ!」とキレてしまい、関係に溝を作ってしまった。

「本当に、頭が疲れてしまった1年でした。完全に挫折してしまいました。同僚のスタッフからは『仕事に集中しろ』と喝を入れられましたし、ACLには2度と行きたくないと思いました(笑)。でも、そうやって経験を積んで、準備することの大切さを覚えました」

"FC東京歴"も、ホペイロとしてのキャリアも20年目。他の誰よりも長く、現場でこのチームを見てきた。自身の成長も、チームの成長も、青赤のユニフォームを通じて感じてきた。

「ACLに出場するようになった頃から、僕自身も仕事を1人で抱えず、『手伝ってほしい!』と言えるようになりました。最初は"仕方なく"という雰囲気があったのですが、アジアでの戦いを続けるうちに、選手もスタッフも、みんなが日本の代表として戦っているという意識を持ち始めた気がします。そうなると、必然的に一体感が高まる。僕の仕事を基準にすることが正しいかはわかりませんが、今はもう、"チームのために"という選手たちの行動が、僕たちスタッフの仕事を自然に手伝ってくれるまでに及んでいますから」

すべては勝利のために――。ホペイロとして、チームの一員としてFC東京の優勝を目指す。

「自分の仕事が勝利に直結するとは思わないけれど、僕は、サッカーがうまい人たちが、サッカーが好きな人たちを幸せにすることを全力で手伝いたい。選手が思い切りサッカーに集中できるように、僕たちがサポートする。スパイクの手入れや用具を管理するホペイロの仕事は、そういうものだと思っています。まあ、最近は選手に手伝ってもらうことも多いんですけれどね(笑)」

選手たちもプロなら、山川もまた、1年ごとにクラブとの契約を更新し続けてきたまぎれもない"プロ"だ。バックヤードに20年の歴史を知る大ベテランがいることは、FC東京にとって何より心強い。


Text=細江克弥 Photograph=鈴木規仁


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