スターバックスCEO ハワード・シュルツ 2度の奇跡を起こした男が訴えるその力を使うべき道

「不可能だ」と言われたコーヒーチェーンの世界展開を成功させ、再生をも成し遂げたスターバックスコーヒー カンパニーCEOハワード・シュルツ。現代を代表する名経営者である一方、オバマ大統領から電話がかかり、サルコジ大統領やキャメロン首相とも経済問題を討議する。今、世界で最も存在感のある経済人である。2度の奇跡を起こした男がシアトル本社で語った、世界のリーダーの本当の責務とは。

ブランドには愛が必要だ 

シアトルの観光名所、パイク・プレイス・マーケット。その一角に、いつもひときわ多くの人だかりができている店がある。1976年にできたスターバックスの1号店だ。取材に訪れた時も、店外まで行列が続いていた。さまざまな国からの観光客の顔があり、記念写真を撮っていく人も多い。

だが、今なお時々この店に、スターバックスブランドを世界に知らしめたその張本人、ハワード・シュルツがこっそり訪れていることを知る人は少ない。開業以来、変わらぬ風情を持つ入口から彼は早朝ひっそりと店に入り、かつてはコーヒー豆を売っていたカウンターに両手を乗せ、店を見上げて静かな時間を過ごすという。

椅子のない店内は、十数人でいっぱいになる。この小さな店が、後に世界1万7000店以上を展開するコーヒーチェーンになると、誰が想像し得たか。店を見れば、それがいかに奇跡的だったかがわかる。だが、それを信じていたのがシュルツ本人だった。なぜか。彼はインタビューで何度もこう口にした。

「私たちはコーヒービジネスを展開しているのではないのです。コーヒーを提供するピープルビジネスを展開しているのです」

高い企業倫理で知られるスターバックスのシアトル本社は、社内ではサポートセンターと呼ばれる。あくまで店舗が主役なのだ。ちなみにこの建物は築100年超だった。

貧しい家庭で育ったからこそ

1971年創業のスターバックスに、マーケティング責任者としてシュルツが入社したのは29歳の時。'82年のことである。翌年、イタリアを訪れた彼は、街のあちこちにある小さなエスプレッソバーに気づいた。カウンターの向こうから気さくな声がかかる。バリスタは優雅にエスプレッソを注ぎ、カップを手渡した。心地いい雰囲気がバーを包んでいた。シュルツは驚いた。ここはただコーヒーを飲んで一休みするだけの場所ではない。居ること自体が素晴らしい体験になる「劇場」だと。

だが、当時のスターバックスはコーヒー豆を売るだけ。シュルツは退社し、自らコーヒー店を立ち上げる。翌年、投資家から380万ドルをかき集めてスターバックスを買収した。ここから、奇跡の物語は始まる。

なぜ、スターバックスはこれほど支持されたのか。

「何より“自分の場だ”と顧客が感じられること。次に、クオリティの高いコーヒー。それを接客やインテリアなど、あらゆる面で演出し、顧客の期待を超えたからだと考えています」

シュルツが目指したのは、単なるコーヒーショップではなかった。家庭、職場・学校に次ぐ“第三の場所”。自分自身を再発見する場だったのだ。そのために最も重要なもの。それこそが、心地いい雰囲気と高い品質のコーヒーを作り出せる人材だった。シュルツが何よりも大事にしたのが、彼がパートナーと呼ぶ従業員たち。だからこそ、ピープルビジネスなのである。

社内のあちこちに、顧客重視をうたう標語のような言葉が掲げられていた。顧客が自分のアイデアを自由に入力、会社に提案できる仕組み、マイ・スターバックス・アイデア・ドットコム。

シュルツの姿勢は全米企業を驚かせた福利厚生にも表れている。すべての従業員に健康保険を適用し、ストックオプションを与えた。週20時間以上勤務するパートタイマーにまで適用範囲を広げた企業など例がなかった。背景には、シュルツ本人の“個人的感情”もあった。

「私はニューヨーク州ブルックリンの貧しい団地で育ちました。父親はブルーカラーのきつい仕事を転々としていました」

7歳のある日、父親は仕事で大怪我をし、その日に解雇された。労災保険も健康保険も解雇手当もなかった。父親は達成感を抱くことも、仕事に意義を見い出すこともできなかった。働く人が決してそんなことにはならない企業を作りたかった、父親のような目に遭う人をなくしたかった、と彼はいう。

実際、シュルツは企業としてのポリシーを徹底した。人を大切にするだけではない。利益の名のもとに倫理観や誠実さを失わない、という姿勢もそうだ。だからこそ優秀な人材が集まり、顧客はそれを支持したのである。

すべては店舗から、がスターバックスの考え方。その原点が、パイク・プレイス・マーケットにある1号店。顧客からも大切にされているが、スターバックスも大切にしている店舗だ。

全米7100店を一斉に閉じた

だがそんな企業も、思わぬ暗雲に飲みこまれてしまう。2000年、シュルツはCEOを退任した。株式を公開した'92年からスターバックスの成長は加速、年平均成長率は49%に達していた。後任にCEOを譲った後も会社は順調に成長を続けたかに見えた。

「会社は間違いを犯しました。コントロールできない成長をしてしまったのです。しかし成長している時には、間違いは見えないものなのです」

後任の経営陣が“成長の麻薬”に取り憑かれてしまったのだ。無理な出店計画はさまざまな歪みを生んだ。人材不足、クオリティ低下。売り上げを獲得しようと企業ポリシーを曲げて商品開発が行われた。コーヒーの香りを台無しにする、チーズの焼け焦げた匂いが店内に広がった。何の関係もない縫いぐるみが売られたりした。ブランドはじわじわ毀損される。創業以来、初めて客足が鈍り始めた。既存店売上高は前年を割り、株価は一時、最盛期から81%も下落した。

シュルツは危機を嘆くメールを経営陣に送ったが、なんとそれが社外にリークされ、メディアも巻きこみ大騒ぎになってしまう。大混乱の'08年、シュルツはCEOに復帰。誰もがブランドの復活は不可能だと考えた。それほどブランドは傷つけられていた。だがシュルツの打ち出した変革に、全米は驚愕する。

観光客で常に行列の絶えないスターバックス1号店。この店にしかない手動式のエスプレッソマシンは常にフル稼働する。この店限定の飲み物はないが、このマシンで飲むエスプレッソはひと味違う。


'08年2月。全米7100の全店舗が一時的に一斉に閉鎖された。目的は、全バリスタのエスプレッソ作りの再教育。だが、これは低迷する売り上げがさらに減ることを意味した。実際、数百万ドルもの損失が出た。それでもシュルツは断行した。

「社内でもクレイジーだという声がありました。しかし損失を出してでも、自分たちの存在意義を守らねばならなかった。危機の時こそ、本当に何が大切で、何が必要なのかをリーダーは見極めなければならない」

矢継ぎ早の改革は続く。売り上げは稼げるがコーヒーの香りを妨げる商品は廃止。第1号店の名前を冠した新ブレンドを投入。コーヒーマシン改良のための企業買収……。従業員の声に耳を傾け、新たな行動指針も作り上げた。だがそれでも、低迷からの復活には足りなかった。

ブランドには愛が必要だ

とうとう最後の選択を迫られた。まさに苦渋の決断だった。最終的に約600の店舗を閉鎖し、約1800人を解雇した。人を何より大事にしてきた会社。だが、会社を救うための方法は他になかった。シュルツは眠れぬ日々を過ごした。

「痛みを伴う改革でした。痛みは永遠に取り除くことなどできない。父親の受けた仕打ちを忘れたことはなかった私にできることは、同じ過ちを二度と繰り返さないということです」

転機は、1万人を超える店長が集まるリーダー会議を、ハリケーン・カトリーナで大きな被害を受けたニューオーリンズで開催したこと。被災から3年経っても復興の進まない地に3000万ドルを超える予算で4日間の会議を実行した。1万人の宿泊費、滞在費が使われるという大規模な復興支援。だが、それだけではなかった。被災者支援のために累計5万時間のボランティア活動も行った。スターバックスは何を目指してきたのか、他の企業と何が違うのか。改めて会社の価値をわかちあい、集まった1万人のリーダーたちに、会社を愛する強い思いが再び沸き上がってきた。

「ブランドは愛されなければなりません。そのためには、まず従業員が会社を愛していないと始まらない。それが大きな力を生み出します。最も大事なのは現場の愛なのです」

スターバックスは、わずか2年で驚くほどの回復を見せる。2011年9月期の売上高は120億ドルと過去最高を記録。誰もが不可能と考えた奇跡を、彼はまた成し遂げたのである。

正しいことをやろう

3月7日、そのシュルツの姿は仙台にあった。スーターバックス コーヒー ジャパンのリーダーシップ会議に出席するためである。未曾有の被害をもたらした東日本大震災に、シュルツは心を痛めていた。半年前にも被災地を訪れ、「CUPファンドジャパン」設立への協力を惜しまなかった。東日本大震災のような天災が起こった際に、被災した従業員への支援を行っていく財団だ。シュルツ夫妻は100万ドルを拠出していた。

この日は、被災地域で働く従業員40名が集まる小さな食事会があった。彼らにはシュルツの来日は知らされていなかった。そこに突然、登場する。彼らの驚きたるや。歓喜の声の中、ひとりひとりと握手を交わす。わざわざ遠く仙台まで駆けつけてくれたことに感極まり、感謝の気持ちを泣きながら伝える従業員もいた。シュルツはそんな従業員の肩をそっと抱いた。震災の悲しみを包み込もうとするシュルツの優しさに、多くの従業員が思わず涙を流した。

「日本には団結力がある。周りの人を大切にする姿勢がある。日本に他の国が学べることはたくさんあると思っています」

アメリカ政界では、昨年からシュルツが始めた政治的な活動が話題となっている。民主党と共和党現職議員への政治献金を打ち切ると発表したのだ。さらに、仲間の経営者にも政治献金のボイコットを呼びかけた。

「彼らは国民の福祉よりも党派や抽象的なイデオロギーを優先している。ディズニーやペプシを始め、150人のCEOが賛同してくれました」

この行動は政府をすぐ動かした。昨年9月には、議会で雇用に関する演説を行ったオバマ大統領からその2日前に「腹を割って話し合いましょう」と電話があり、30分以上語り合った。

「私は貧しい家庭で生まれ、働きながら大学を卒業し、アメリカンドリームを成し遂げることができました。私が心配しているのは、今も同じことができる状況にあるのか、ということです。私が見たいのは、多くの人の声が反映され、誰にもチャンスがあるアメリカです」

そして企業にも、世の中を変えていく使命があると語る。

「それは企業の役割ではないと考える人もいるかもしれませんが、企業の役割は変わりつつあると私は思っています」

社会は小さいことに気づくべきだ、とシュルツは言う。異国の地であっても、苦しんでいる人、困っている人に手を差し延べるのは当然だ、と。なぜか。

「それは正しいことだからです。企業は利益や効率を常に求めている。しかし、私の経験から言えばそれを持続できる唯一の方法は、正しいことをすることです。そうすれば素晴らしい人材が来てくれる。価値観をしっかり持った顧客が支持してくれる。勇気を持って正しいことをやろう。日本のリーダーに私はそう呼びかけたい。それが、誰もにプラスを生むのです」

来日時は東京の街にも繰り出した。日本は北米以外の最初の出店地だった。「日本には競合も多い。絶対に成功しないとコンサルタントに言われた。もうそのコンサルタントは使っていないよ(笑)」。
Howard Schultz
1953年、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。ノーザンミシガン大学卒業後、ゼロックスの訪問販売などを経て、'82年にスターバックスコーヒー カンパニー入社。'87年、スターバックスを買収。一度CEOを退くが、危機を脱するため'08年に復帰。'11年最高益を記録し、「FORTUNE」誌のビジネスパーソン・オブ・ザ・イヤーに輝く。


Text=上阪 徹 Photograph=朴 玉順、石塚定人

*本記事の内容は12年4月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい