大阪でワインをつくる! ~元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT㉕

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米。巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが、さまざまな人の人生、ライフシフトを伝えていく。

人生をかけた「堅下ワイナリー」

「ぶどうは粒が大きい方が味が薄くて、粒が小さい方が味が濃くなると言われています。ですから粒の小さい品種同士をかけあわせてみたのがこれです」

スリムで上背のある白髪の男性がブドウ畑で腰をかがめながら語りかける。

「食べてみてください」

集まった人々に促す。私も口に入れてみた。

「うん?」

味がしない……というか、水っぽい。

「あまり味がしないわねぇ……」

周囲からも声が上がる。それを見て男性が言った。

「味がしませんね。これは失敗でした。なかなか理屈どうりにはいかないんです」

そうして次の畑に皆を誘った。この男性は高井利洋さん。頭髪こそ白髪だが、身体の動きや語り口は若々しく、とても68歳には見えない。否、今時の68歳とはこのくらい若いのかもしれないが。

高井さんは、大阪でワインづくりに全てを賭けている人物だ。25歳の時、サラリーマンを辞めて実家の畑を継いだ。そしてワインづくりを本格化させる。そして2019年7月に大阪で開かれたG20首脳会議では、高井さんのワインが首脳たちに振舞われた。40年余りの努力が実った瞬間だった。

それでもこの先は順風満帆とは言えない。逆風の中で日本のワインづくりに賭ける高井さん。それが今回のLIFE SHIFTの主人公だ。

大阪市の中心部、焼き肉の街として知られる鶴橋から電車で20分ほど行くと近鉄大阪線安堂駅がある。駅を出ると目の前に小高い山が見える。そこにぶどう畑が広がることは、全国的には知られていないかもしれない。

9月24日、安堂駅を出る30人余りのグループに加わった。毎日放送の朝のラジオ番組「子守康範(こもりやすのり)朝からてんコモリ」のリスナーの皆さんだ。この番組、10年以上続く関西の朝の名物番組だ。リスナーだけではない。MCの子守さんと毎日放送のアナウンサーの高井美紀さんも。身長190センチを超える長身の子守さんとスラリとした美人アナウンサーに引きつられて関西一円から参加した人々が歩き出した。ちなみにアナウンサーの高井さんは、今回の主人公の高井さんとは縁戚関係にはない。

住宅街を歩きながら、夫婦で参加している年配の男性が言った。

「このあたりは、昔は駅から直ぐぶどう畑が広がっていたんです」

――それは何年前ですか?

「私が学生の頃ですから40年以上前のことですが」

――すると、大阪でワインをつくっているというのは知っていた?

「否、ぶどうをつくっていることは知っていましたが、ワインをつくっているとは正直、知りませんでした」

だから「楽しみです」と言った。

住宅街を山の方に暫く歩くと、ワインの樽が置かれた一角が目に入った。そして古民家。これはワイナリーの横で誰も住まなくなった古い家を高井さんが購入してワイナリーの施設に加えたものだ。そう、ここが高井さんが人生を賭けるワイナリー。地名をとって「堅下(かたしも)ワイナリー」。

挨拶も早々に切り上げた高井さん。早速、ぶどう畑に連れて行く。実は私と高井さんの付き合いは10年来になる。NHK時代、大阪に勤務していた時に知り合った。面白い人がいると教わり、会いに行ったのがきっかけだった。

ワイナリーを出て直ぐにぶどう畑が広がるということではない。ここは大阪市のベッドタウンだ。ワイナリーの周辺は住宅街だ。その多くは古い日本家屋だ。高井さんは案内しながらグループに説明する。

「この地域でぶどうの栽培が始まったのは明治時代です。山梨県は国が中心になってぶどうの栽培を始めたわけですが、大阪は民間でした。うちはひい爺さんが始めて、私で4代目です」

ある一角だけお洒落な洋風の家が立ち並んでいた。

「立岩さんが昔来ていた頃、ここはまだぶどう畑でした。農家の高齢化が宅地化に拍車をかける。日本の農業従事者の平均年齢は66。これも凄いが、ここは更に73です。どんどん農地を手放していく。しかも宅地として高値で売れるから、畑を維持するモチベーションを持ち続けるのも難しい。頭の痛い話です」

傾斜が少しきつくなったあたりからぶどう畑となった。先ずはデラウエアが広がる畑に入った。

「宅地化で畑は急激に減りましたが、大阪のぶどうの生産は全国7位です。その多くはデラウエアです。生食用に生産されてきました」

そのデラウエアを使ったワインが大阪のワインの特徴だ。明治時代から試行錯誤を繰り返して進められ戦前、ピーク時には100を超えるワイナリーがこの一帯にあったという。戦争で多くのワイナリーが閉めたという。ところが高井さんのところはワインをつくり続けた。

「ワインの中の酒石酸が音波探知機に使えることがわかったんです。つくったワインから酒石酸を抜くとワインとしては駄目です。あとは消毒液として売ったそうです」

ワインの質などは当然関係ない。戦後、当然の様にワインづくりは廃れる。10年前に私が高井さんに会った頃は、ワイナリーの数は5つに減っていた。

サラリーマンを辞めて地元に戻りワイナリーを継ぐ

高井さんも畑を継ぐ気はなかったという。神戸でサラリーマンをしていた。ところが、祖父が体調を崩した。その祖父から言われた。「大阪のぶどうを守って欲しい」と。高井さんは25歳。サラリーマンとして仕事の楽しさもわかってきた頃だ。

「悩みましたね。同級生で(家がぶどう畑をやっている)仲のいいのが7人にいて、誰も跡を継いでいない。ぶどうの先に明るい将来があるとはとても思えない」

1970年代、関西は万博の開催などで好景気に沸いていた。宅地化の波はこの地域にも押し寄せ、畑を売れば高額の資金を得られる。それだけで遊んで暮らせる。

「流通の発展でぶどうはどこからでも入るようになっていた。大阪でぶどうをつくっても、もっと安いぶどうが入ってくる」

しかも、高井さん、ぶどう畑には全く関心がなく、つくり方を習熟していたわけではない。無理だと思っている高井さんに、祖父は、ワインをつくり始めた時の試行錯誤を語った。その当時の器具も見せられた。ぶどうを発酵させて酒にする……それだけの知識から始めたという。

見る見る弱っていく祖父を安心させたい思いもあった。会社を辞めて、畑を守る決意を伝える。間もなく祖父は息を引き取った。

しかし当然の様に苦戦が続く。

何度もワインブームは起きるが、当然それは外国産だ。フランスは圧倒的に強く、そこにワイン新興国が加わる。アメリカだ。更にチリ、オーストラリア、南アフリカと続く。

「外国のワインに日本人が使うお金は年間1400億円を超えるんです。でも、日本のワインはというと1億円はやっと超えた。今は、2億か3億。勝負になっていない」

「デラウエアって食べるぶどうでしょ? あんなのでワインつくって、おいしいの?」と言われたこともあるという。

「なに言うてんねん、と思った。おいしいワイン作ったろうやないか」

しかし反発しただけではない。なんでも試した。白ワインの代表的な品種であるシャルドネや赤ワインのカベルネ・ソーヴィニョンなどの品種も栽培。

先ず力を入れたのは、原点。ぶどうづくりだった。専門家を呼んで、ぶどう作づくりを徹底して学んだ。同時に、畑を増やした。どうやって?

高齢化で耕作放棄地となったところを高井さんが借り上げる。そして若い人に声をかけてぶどうづくりの魅力を説く。

「レストランをやっている若い人なんかに声をかけるんです。そして一緒にぶどうづくりをしてもらう。勿論、我々が基本的に手伝うわけや」

そうやってぶどうの生産量を維持する。「ワインはやはりぶどうで決まる」ということだ。

同時に、宅地化の波に逆に目をつけた。都市部に近いということは、違う需要がある筈だ。ワイナリーツアーだ。私がラジオのリスナーと一緒に訪れたのもその1つ。電車で気軽に来れるワイナリーに、多くの人が訪れるようになった。そこでぶどう畑を見てもらい、ぶどうをつまんでもらう。そしてそのぶどうでつくったワインを試飲してもらう。

これを繰り返すと、大阪のワインは「身近なワイン」となる。

冒頭のツアーに話に戻そう。ぶどう畑でのつまみ食いと説明が終わると、ワイン工場横の古民家で高級フレンチを食べながらワインを楽しむメインイベントとなる。

スパークリングワインから始まって、甘口の白、辛口の白、そしてフルボディーの赤と続く。高井さんの説明は続く。

「さっき見て頂いた畑を思い出してください。砂地で水はけが良い場所で育ったぶどうは糖度が高くなる。逆に粘土質の土壌では糖度が低くなる。そういうものを考えながら、どういうぶどうだったら大阪らしいワインがつくれるのか、考えるわけです」

主力のKING SELBY。祖父の命名したワインの銘柄だ。ラベルには「Japan Wine」と書かれ、その下には「大阪デラウエア」と書かれている。そこに高井さんの意地を見た。口にふくんでみる。すっきりした味わいだ。

――甘いデラウエアでつくって辛口のワインって、ちょっと不思議な感じがしますね?

そう口に出すと、高井さんが笑った。

「立岩さんも、凄いこと言うようになったね。怖いわぁ」

「身近なワイン」は確実に「私のワイン」になっていく。ツアー参加者の中に、酒店を経営する女性がいた。

「大阪のワイン、うちでも扱わせてもらいたい」

ワイングラスを傾けながら笑顔で語った。

大阪らしいワインとは何だろうか? そう考え続けて高井さんがつくったスパークリングワインがある。名付けて「タコシャン」。

「大阪は格好つけてもおもろない。たこ焼きと一緒に飲んでくれるワイン。そう思ってつくった」

使ったブドウは勿論、デラウエアだ。そこに高井さんの意地を見た。たこ焼き食べながら飲むワインで、「タコシャン」。これがヒットした。大阪のフレンチ・レストランを始め、関西の高級店から引き合いが殺到した。

「タコ焼き屋さんにまわすのは無理でした」

そう言って笑った。

それは高井さんのもう一つのLIFE SHIFTと言っていいかもしれない。デラウエアという大阪のぶどうにこだわり、そしてそれを極めた。

そして最近、再びLIFE SHIFTが起きる。2019年7月に大阪で開かれたG20サミットだ。

その開催の少し前に私は堅下ワイナリーを訪れていた。取材ではない。ワインを買いに来たのだ。それでも高井さんは、忙しい合間に畑を案内してくれ、ぶどうについて熱く語ってくれた。

その時、こう語っていた。

「G20でうちのワイン使ってくれないかなぁって思ってるんですよ」

それはいいですねと応じたが、正直、あまり本気にはしていなかった。日本でもまだ知られていないのに、そこで大阪のワインと言われても……と。

ところが、そうなったのだ。堅下ワイナリーが大阪のぶどうを使ってつくった7種類のワインが昼、夜の会合で各国首脳にふるまわれたのだ。その中には当然、タコシャンも入っている。

どのくらい使われたのだろうか? ワインツアーの合間に尋ねてみた。

「それが、わからない」

――なんで?

「別に政府からは何も言ってこないんですよ。当日にマスコミから取材があって知っただけですから」

――政府から発注があったわけじゃないんですか?

「ないです。だから何もわからないんですよ。普通の販路の中で購入したんだと思います」

それでも、報道されると、大変な状況になった。ワイナリーの近くに販売所がある。小さな販売所だ。翌朝、そこに長蛇の列ができていた。ネット販売用に立ち上げたホームページにアクセスが殺到した。そしてパンク。

「15000もの注文が来て、それがクレジット決済なんです。でも、そんなにつくっていない」

――どうしたんですか?

「返金しました。これが大変でしたが、なんとか全ての人に返金できました」
嬉しい悲鳴であることは間違いない。しかし、と高井さんは思った。

「ぶどうなんです。ぶどうが確保できれば、もっとワインはつくれる。それは悔しかった」

ワイン好きの読者には説明するまでもないが、日本のワインは表示の厳格化が進められている。これは日本のワインをよりよいものにするための国の政策で、2018年から日本産の表示が厳格になった。それまでは海外のぶどうやワインの原液を使っても日本のワイナリーで製品化していれば日本産と表示できたが、それができなくなった。

加えて、EUとの自由貿易協定の締結で、欧州産のワインの値下げが決まった。これは日本のワイナリーにとっては脅威だ。高井さんも苦悩の表情を見せていた時期があった。しかし、このツアーの日の高井さんの表情は明るかった。
なぜか? 高井さんは意外なことを言った。

「これからは日本の、否、大阪のワインにチャンスなんですよ」

え?

「温暖化でぶどうの産地がみな、北上していますね。ボルドーなどのフランスの産地はこのままだとぶどうがつくれなくなると言われています」

フランスでぶどうがつくれなくなったら、大阪でも状況は同じではないか。ところが、そうではなかった。

「今、世界中の生産者は、温暖化に強いぶどうを探しているんです」

そして続けた。

「デラウエアです」

デラウエア? 大阪ワインの原料であるデラウエア? こんなのでワインがつくれるのかと言われ続けてきたデラウエア?

「デラウエアは温暖化に強いんです」

高井さんは、更に続けた。

「ハイブリッドです。デラウエアと他の品種を掛け合わせて温暖化に強い品種をつくるんです」

なるほど、高井さんの表情が明るいわけだ。高井さんが笑いながら言った。

「立岩さん、大阪でワインづくり、やりませんか? まだまだ耕作放棄地ありますよ」

更なるLIFE SHIFTかぁ、しかしこれは夢がある。それに、どうも成功しそうな夢だ。真剣に考えようかなぁ。


元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT⇩

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立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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