MIT MEDIA LAB所長 伊藤穰一 世界中で、ありとあらゆる分野で同時多発の革新を目論む。アウトロー日本人の「真の人脈術」

はっきりいって異端である。だが、その人脈を駆使し、本気で世界中で革新を起こそうとしている。しかも同時多発的に。世界の最先端デジタルのトップに立つMIT MEDIA LAB所長 伊藤穰一という男の、日本人の常識を超えた仕事ぶりを追う。

2度の大学中退者が超エリート校のトップに

 2011年4月、マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボが所長に伊藤穰一を任命したとのニュースが世界を駆け巡った。インターネットの世界では超がつくほどの有名人とはいえ、2度大学に進みながら2度とも中退した伊藤を、アメリカでもトップのランキングに必ず入る超エリート校が迎え入れるという人事は、ニューヨーク・タイムズ紙にも「珍しい選択」と報じられた。
 読者には伊藤のことを「何をやっているかよくわからないインターネット屋」と思っている人が多いかもしれない。実際のところ、伊藤の履歴はあまりにもユニークだ。現在はメディアラボの所長のほか、ニューヨーク・タイムズの日本人初の取締役。他にもインターネット上の著作権の制限緩和を目的とする国際的NPO、クリエイティヴ・コモンズの会長を務め、ベンチャー・キャピタル企業の経営者でもあり、各種財団の理事を務めてもいる。ところが、過去には事業に失敗し巨額の借金を抱えてギリギリの生活を送ったり、洋服を売っていたこともあるし、クラブでDJをやっていたこともある。ベンチャー・キャピタルで成功して以降、日本、欧米、そして中近東まで、国境、企業の枠を超えて動き回ってきた。
 実際、就任前は拠点をドバイに置いていたのだ。
 その伊藤が、今ひとつの場所に落ち着いたわけである。

つながらないものをつなげて革命を起こす

 ボストンから川を渡ったケンブリッジ市にあるMITのキャンパスの端っこにメディアラボがある。ラボが設立されたのは1985年のことだ。伊藤の友人でもある世界的に有名な科学者のニコラス・ネグロポンテ教授が、当時の学長とともに設立した。世界で最も先端を行くデジタル技術の研究を行っていると思われがちだが、広い意味でイノベーションを起こす取り組みをする、いわば何でもありのラボである。設立当時の理念にその精神が織りこまれていたわけだが、伊藤は所長に就任してからこれをさらに一歩進めた。メディアラボのミッションを表現するのに「Anti-disciplinary(アンチ専門分野主義)」という言葉を採用したのだ。
「極端にいえば、世の中にはメディアラボにつながらないことはひとつもないんです。例えば、ワインの個人コレクションをITを使って世界中の販売者や作り手とつなげてさらに充実させたり、自分のコレクションの評価を他のコレクターと共有できたり。食とITの研究で世界中の有名レストランを訪ねている学生もいます(笑)。ある分野でイノベーションを起こすきっかけになる技術が別の分野ですでに開発されていても、専門分野のなかにいては、それに気づかず、その分野の常識では不可能だと結論づけられてしまう。僕は放っておくとつながらない、出会わない人をつなげてイノベーションを起こすきっかけをつくりたい」

Shark Dive/シャーク・スーツなるものを着て、サメの餌づけダイビング。伊藤はこういったエクストリームダイブの資格を各種持っている。

 伊藤のある1週間のスケジュールを見ると、毎日朝一番からびっしり予定が詰まっている。極度に貧しくて街灯が盗まれてしまうデトロイトの貧困地区に、盗まれない街灯を設置するプロジェクトについてラボのスタッフと打ち合わせ、ロボット業界のトップたちと会食、フィナンシャル・タイム紙の記者による伊藤をテーマにした単行本の取材……と分刻みで予定が入っている。ニューヨークに行けば、市立図書館の館長と朝食を食べ、自分が役員を務めるベンチャー企業の役員会に参加し、ニューヨーク・タイムズ紙のCTO(最高技術責任者)と会う。会合の目的や内容によって、時間は15分から数時間まで。オフィスにひっきりなしに人が出入りする間に、前のめりの駆け足でトイレに走る。面会を希望する要人が常に100人をくだらない状態だという。現在は面会希望の9割は断っているというが、誰と会うかを決めるのに重要なのは肩書きや社会的地位ではない。「ユニークネス、インパクト、マジック」という3つの条件を緩やかな軸にしているという。

Joi's Network 面会希望の要人が 100人以上/AIBO開発からシステム生物学まで 世界が認める天才。ソニーコンピュータサイエンス研究所 代表取締役社長 北野宏明氏(写真左)。北野教授がラボの学生に、最近のプロジェクトについて講演。

「珍しいか、その人にしかできないことをやっているか、社会的に影響を及ぼす可能性があるかです。肩書きは関係ありません。よく日本のパーティーで有名人と名刺交換することが人脈だと勘違いしている人がいます。自分の人脈は作品。多彩な色や形がある多様性がないと。日本の大企業の社長はみんな同じ色をしていますよね」
 とにかく人に会いまくる。人と会うのに目的や議題があるわけではない。伊藤の会合はカジュアルな雑談のように見えることも多々ある。それでも最後には、「次」への方向性が決まっている。
「会って話していると、そこから何かが生まれてくる。面白いことを発見するのが僕の仕事で、目的がない打ち合わせこそ、面白いものが生まれるんだと思うんです」
 オバマ大統領が政府を透明化するために設立した「オープン・ガバメント・イニシアチブ」を率いたことで知られ、ニューヨーク・ロースクールで教鞭を執るベス・ノヴェック氏は伊藤の魅力をこう語る。
「猛烈に好奇心があり、何かを引き起こすために豊富な人脈をどう使うかに関しては天才的。特別な人です」
 ドット・コム時代以降、やや影の薄くなっていたメディアラボの所長に伊藤を指名したネグロポンテが評価したのも、まさに伊藤のこの資質だ。
 アンチ専門分野主義、という考え方は、伊藤の生い立ちやアイデンティティーと無縁ではない。

Joi's Network 会うかどうかの基準は 肩書きや地位ではない/その権力たるや一国の統治者並み。図書館の存続に情熱を燃やすNew York Public Library President & CEO Tony Marx氏

「完全なる自由人」はどうしてできたか

 京都に生まれ、3歳の時にデトロイト郊外に家族で引っ越した。日本車に対するボイコット運動がニュースを賑わせ、中国人が日本人に間違えられて襲われるような時代に、学生の9割以上が白人という公立の小学校に通った。当然、激しい差別にも遭った。中学時代に帰国してからは、インターナショナル・スクールに進学した。違う人種や文化が当たり前に混在しているなかで思春期を過ごした。
「僕の人生は枠に入らないところから始まった。日本とアメリカのどちらの枠にも入らなかったなかで、自分とは何かを模索してモデルを作っていった。枠に入らずに、人とどうつながるかということが人生のテーマになったんだと思う」
 密着した1週間にこんなことがあった。伊藤がラボの学生とともに企画したパーティーの打ち合わせでのことだ。参加者が100人以上の集会を開く場合は警察に届け出なければいけない、という法律を逆手にとって「99フライデー」と名づけられたパーティーのネーミングに難色を示した学生がいた。伊藤は、彼が納得するまで、ネーミングについてのディスカッションを続けた。自宅にスタッフや学生を招いてパーティーを開催した際にも、スタッフにとあるプロジェクトに積極的に参加するように説いた。サインアップシートを作り、希望者は伊藤と食事に出かけられるような仕組みになっている。

「トップダウンではなく、ボトムアップでラボを進化させる」という考え方の表れでもあるが、枠にはまらなかった自分と、MITの学生に重なり合う部分もありそうだ。合格率は9%代と超難関なうえ、授業はトップの学生のレベルに合わせて進んでいく。超エリート校のなかでも、自殺率が高いことでも知られる。
「メディアラボは、子供の頃は仲間はずれだったけど、それぞれが特異な能力を持っていて入学したという人材の集まり。遊び友達がいないからクラブやパーティーで楽しい思いをしたことのない子がいる。彼らの心をほぐしてあげたいし、学生にとっての思い出を作ることがメディアラボ自身の文化を作るうえでも重要です」

人を動かせるのは権力ではない

 インターネット業界の人というイメージが強いが、過去には泥臭い経験も多々してきた。若い頃、映画の現場で仕事をしたこともある。「映画を作る」というミッションのため、過去の名作で使った大道具の不可能と思える調達から、ボスの離婚の手続きまで、あらゆる難題を解決しなければならなかった。伊藤はそこで「やろうと思えば何でもできる」ということ、そしてそこに集団としてのミッションが作用することを学んだ。
「組織のミッションが壮大なほど、関わるひとりひとりの人間の許容量を超える勇気が出て、怖くなくなる。MITは大きな権力です。でも人は権力で縛ってもついてこない。ミッションを信じれば何でもできるんです」
 今伊藤がやろうとしていることはMITやメディアラボの枠内に限られたことではない。所長に就任してから、学外の人材に「フェロー」の肩書きを与え、プロジェクトに巻きこむことで、ラボの思想を拡散させようとしている。例えばデトロイトのプロジェクトでは、 なんと、過去に事件を起こし収監され、刑務所で勉強に目覚めたという若者をフェローにした。
「大学が社会に貢献するためには、人材を学外に送りだすことが多いけど、それでは人材が足りなくなる。だったら、それぞれの場所で優秀な人材を見つけて、関係者にしたほうが長く付き合えるし、拡大しやすい。多様な人材が参加してくれたほうがネットワークも面白くなるし、こちらも学ぶことも多い」
 与えることと得ること。ちょっと聞いただけだと「ギブ&テイク」というドライなコンセプトを考えてしまいそうだが、伊藤の人とのつながりはドライなものなどではまったくない。

Joi's Lifestyle Hotel 快適とは何かをどこでも追求/単なるモーレツ仕事人間ではないし、バブルな暮らしぶりでもない。伊藤にとって重要なポイントは、いかに自分が快適でいられるか。自分のセンスに合っているか。NYの常宿は「ソーホー・ハウス」。厳しい会員制で“ノーネクタイ”が必須。

「人がギブする時は、リターンを考えて投資することが多い。でも僕のネットワークのなかで本当にすごい人たちは、ただひたすらギブしている。そうするとギブする同士でつながっていって、全然関係ない別の方面から返ってくるようになる。日本語のネットワーカーという言葉にはネガティブなイメージがあるけど、僕が欲しいのは、いくつギブしたからいくらテイクしようとか計算しなくてもうまく回るネットワークなんです」 
 要人と面会している時も、学生と会っている時も、遊んでいる時も、伊藤は同じように楽しそうだ。遊びと仕事の区別はない。けれど一方で、分刻みのスケジュールに追われ、1日に約500通のメールが来る毎日だ。ベンチャー・キャピタリストとしてひととおり稼ぎ、生活に不便はない今、何をモチベーションに生きているかという質問をぶつけてみた。
「インスピレーションを与えてくれる人たちと1日中会って、その人たちと一緒に世の中を変えていく環境を作りたい。メディアラボをブランドにして、世界全部を仲間にしたい」
 伊藤の究極の目標は世界のありとあらゆる社会をより暮らしやすく、より幸せな場所に進化させること。大げさにいうと、世界を変えることだ。確かに、伊藤の人脈とメディアラボの最先端の研究があれば、デトロイトの貧困地区の街灯問題から、国家を変えることまで、同時多発的にできる。  最後に日本を飛びだした伊藤に、日本への思いを聞いた。
「今はまだだけど、今やってることがいずれ日本にも貢献できるんじゃないかと思うんだ」

気持ちいい庭でスタッフや学生を招いてパーティー。

Text=Yumiko Sakuma Photograph=Akira Yamada

*本記事の内容は12年11月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい