水墨画家兼作家・砥上裕將「文字を絵に、絵を文字にすること」~野村雅夫のラジオな日々vol.34

現在、大阪のFM802を中心に、ラジオDJや翻訳家などさまざまな領域で活躍する野村雅夫さん。この連載は、野村さんのラジオというメディアでDJをすることの醍醐味や、ラジオで出会ったアーティストとのエピソードを披露してもらう。今回は、話題の小説『線は、僕を描く』の作者、砥上裕將(とがみひろまさ)さんだ。


僕は、描かずにはいられない

小学生時代、祖父母の古い日本家屋へ夏休みなんかに遊びに行くと、僕には普段使っていない広い和室があてがわれ、そこに布団が敷かれた。そこでひとり眠るのは何とはなしに心細くて、闇にすっかり慣れてしまった目で、床の間にかかっていた水墨画の掛け軸を眺めたものだ。僕はそのモノクロの風景から未知の世界を想像しては、やがて夢の中へと意識が吸い込まれていった。

ただ、正直なところ、それ以来、水墨画に接する機会も興味も無に等しかったにもかかわらず、僕は今かなり心惹かれている。それは40歳になって趣味が渋くなってきたからとかそういうことではない。一冊の小説を読んだからだ。その名は『線は、僕を描く』。6月27日に発売されて以来、快調に売り上げを伸ばしているらしい。僕のたっての希望もあり、7月30日、FM802 Ciao Amici!に作者の砥上裕將(とがみひろまさ)さんをお迎えすることができた。

――砥上さん、チャオ!

チャオ!

――はじめまして。

はじめまして。よろしくお願いします。

――お会いしたかったんですよ。というのも、すごい小説があるという噂がFM802局内で流れておりまして、僕も職業的な特権というやつを行使して、発売前に入手して読ませてもらい、これは確かにすごいもんだと実感したのが、砥上さんの作品です。第59回メフィスト賞の受賞作でもある『線は、僕を描く』。ぜひ作者ご本人にお話をうかがいたいと思いまして、番組にお越しいただいたしだいです。

ありがとうございます。

――まずは、ザクッとあらすじを紹介しておきましょう。両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介(そうすけ)。両親を失うのは、彼が高校生時代のできごとですよね?

はい。17歳くらい。

――そこから大学には入るものの、まだまだ心の整理ができていない状況です。そんな霜介が主人公。バイト先で水墨画の巨匠、篠田湖山という人物と出会います。そこで、なぜか湖山に気に入られ、内弟子にされてしまうんですね。ほぼ選択の余地なくね。

そうですね。

――「なんでこの人が内弟子なの?」と反発するのが、湖山の孫娘で相当な美人の千瑛という女性。そんな彼女と霜介が、翌年に予定されている湖山賞という水墨画の名誉ある賞をかけて勝負をすることになります。とはいえ、霜介には水墨画の経験がまったくない状態。ド素人です。これじゃ相手にならないだろうということなんですが、彼は内弟子となって湖山から直々の指導を受ける中で、線を描くことで、次第に恢復(かいふく)していきます。さあ、一年後の勝負の行方は? そんなお話です。もちろん、他にも登場人物は色々います。大学の同級生だったり、湖山の他の弟子だったり、湖山同様に巨匠と呼ばれる水墨画家だったり。こうした人達との交流の中で、湖山賞の行方がサスペンスとして機能して、物語のアクセルを踏み込んでいきます。

そう、謎としてね。

――読んでみるとよく分かりましたが、水墨画の非常に細かい専門知識であるとか、霜介が初めて筆を手にして描いていくときの心模様や描くさまそのものであるとか、これは水墨画を知らないとまず書けないだろうって思うんです。それもそのはずで、砥上さんは水墨画家でもいらっしゃる。

はい。ずうっと描いています。

山葡萄

――1984年、福岡生まれでいらっしゃいますが、水墨画はいつ頃から?

20歳とか21歳の頃からですね。

――青山霜介を砥上さんと重ねて読むなんてことはしていませんでしたが、時期としては同じくらいに水墨画の世界に入られたわけですね。

青山くんの方がちょっと早いかな、くらいですね。

――きっかけは?

学生時代に揮毫(きごう)会を見たんです。水墨画家がパフォーマンスをする、言わば実演会ですね。それが面白かったんでいろいろと質問をしにいっていたら、便利がいいんで、パネルを運んでこいとか、事務室に行って誰それと話をつけてこいとか、そういうことをやっていたんです。

――ははぁ! 小説の中にも似たようなエピソードがちらりほらりとありました。

そうです。パネルは実際に運んでいたので、その重さや大変さはよく知っていますね。

――なるほど。それじゃ、水墨画家歴はもう結構になりますね。

十数年やりました。

雨脚と紫陽花

――文章はどうだったんですか? 小説に限らず、ものを書く習慣やご経験はおありだったんですか?

大学に入って何年間かは「できたらいいな」と思っていたんですが、簡単に挫折しました。長く書けなくて。

――文章を書く方の筆はあまり進まなかったわけだ。

当時はあまり能力がなかったなぁ(笑)

――では、これは書けるぞとなったのには、何か転機があったんですか?

書けるぞとは思っていなくて、(水墨画を始めて)10年くらい経った時に、「昔小説を書いてたよね?」と知り合いに言われて、「久々に書いてみたら?」という勧めに軽くのると、原稿用紙で500枚くらい書けたんです。

――すごいもんだ。そして、いきなりのデビューですか?

実はその500枚の原稿を含め3作書いています。その3作目が受賞作です。

――そっかそっか。そうですよね。だって、魅力あるキャラクターの配置であるとか、謎に向かって話を進める運び方であるとか、これはさすがに1作目では無理だろうっていうくらいの手練(てだれ)感がすごかったですから。

ありがとうございます。

――ぐいぐい読まされるし、何よりも水墨画そのものへの興味を喚起されるわけです。面白かったのは、たとえば「自画自賛」という言葉。当たり前のように四字熟語として使っていますが、これって実は水墨画など、東洋画が由来なんですね。

はい。自分の絵に自分で褒め称えるための言葉を入れるという。

――キャプションのような形で、詩を書いたり…… これは知らなかったので、そういう場面が出てきた時に、なるほどって膝を打ちました。小説でも映画でも、自分の知らない世界を知る喜びってあるじゃないですか。砥上さんにも、そういう意図がおありだったと思うんです。水墨画の世界を覗いてみてくださいって。しかも、それをちゃんと物語の歯車として配置する技に感心しました。

それは結果論なんですけど、多くの方に思った以上に興味深く読んでいただけているということに驚いていて、嬉しく思います。

――水墨画は制約がとても多い絵画ですよね。描き直しはきかないし、油絵のような塗り重ねもできないしと。しかも、白黒が基本。ま、ちなみに、着色の作品があるってことも僕はこの作品で知ったわけなんですけどね。で、本にはいくつか砥上さんの描かれた水墨画が載っていますよね。

はい、いくつか小さなものが。

――それを観ながら、なるほどこういうものかと。ただ、それにとどまらず、僕ときたら色々と水墨画を探して観るようになりましたよ。

そうですか! それは、ありがとうございます!

――小学生時代に書道はかじっていたんですが、あれで絵が描けるのか、もっと観てみたいという欲が湧きました。そのきっかけをくれた砥上さんにぜひうかがいたかったんです。小説の中では湖山という大家が弟子たちを指導する場面が何度か出てきますけど、あまり言葉では伝えませんよね。基本は実演。

はい。実演してみせます。

――俺の背中から、じゃないですけど、俺の筆さばきから盗んでいけと。これは実際にそういうものなんですか?

そうですね。そして、ここには自分の考えもあるんです。青山くんという主人公が何かを掴み取って、自分の力でそこに歩み寄っていく喜びそのものを奪ってはいけないという優しさもここにはあります。その人の人生にとって意味のあることを、湖山先生はあえて選択をしているという、そういう教え方なんですよね。

――言葉にするものもあれば、しないものもある。そして、水墨画には詩が添えられることもあれど、基本的には言葉では説明できない、描写できない何かが込められていて、だからこそ描くわけじゃないですか。

そうですね。

――そんな世界にずっといらっしゃった方が、これだけの分量の小説で、言葉にしよう、言葉を信じてみようと思われた。言葉と、絵で表現するもののバランスってのはどうお考えですか?

10数年ずっと絵を描いてきて、自分の中でバランスが取れていないと思ったんです。それもあったので、文章を書き始めると、すごく楽しかったんですよ。自分はこんなことを考えていたんだとか、こういう風に言葉は機能するんだとか、まったく逆のことを執筆ではやるわけです。それが新鮮でしたね。

セロニアス・モンク

――僕もラジオDJというこの仕事を始めて、最初はよちよち歩きでした。当然、うまくできなかったり、その理由すらわからないなんて具合に壁にぶち当たりました。主人公霜介のように。これはどんな仕事でもあると思うんですよね。そうかと思えば、ふとしたタイミングで視界の開けるブレイクスルーも経験する。ただ、あれは何だったんだろうって説明するのは難しいわけです。

確かに難しいですね。その肝心な部分を言葉にできないということはあって、でも、案外それが生き方を機能させている場合もあるんですよね。その輪郭を言葉がなぞらえれば、これは物語になると思ったんですよ。

――そこ! そこなんですよ。今僕は少し鳥肌が立ってしまいました。登場人物の筆さばきがしっかり小説で描写されていて、まさしく『線は、僕を描く』ということで、彼は絵を描いているんだけれども、だんだん自分のことがそこに投影されていることに気づいたり、ほぼ無心で描いた自分の作品を観て、自分が違う境地に達していることを悟ったりっていうことを追体験できる、僕にとっては初めての小説でした。この感覚を味わうには、読んでいただくしかありません。がしかし! 正直、活字は苦手で長い小説はちょっと……なんて方には……

フフフ

――週刊少年マガジンで漫画版が好評連載中ということです。これはひょっとすると、映画化なんてこともあるんじゃないですか?

そうですねぇ……

――あ、ご自分の口からはおっしゃらなくてもいいですよ!

よくわからないんですよ。そこに関しては。

――小説ならではの魅力ってのはもちろんわるわけです。絵がないからこそ、僕みたいに観てみたくなるという。だけど、漫画だったら、砥上さんご自身が水墨画を描かれてるんですよね?

はい。毎週、本物を入れてますね。

――だから、漫画ではその魅力があるわけだし、映画になったら、どれくらいのスピード感で作品ができあがるのかとか、どんな眦(まなじり)をしてるんだろうとか、違った魅力が浮き立ってくると思うんで、僕はこれさらなるメディアミックスを勝手に期待しています。そんな想いを最後に添えて、そろそろお別れです。砥上裕將さんの小説『線は、僕を描く』について話しました。このタイトルも、読み終えた時にまた「なるほど」と思えます。今日はどうも、ありがとうございました。



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