マツダ「ロードスター」はなぜ世界に影響を与えることができたのか?【クルマの教養】

この連載では、国産車から輸入車まで、軽自動車からスーパーカーまで幅広く取材を行う自動車ライター・大音安弘が、クルマ業界の今を深堀する。最先端のモデル紹介はもちろんのこと、 歴史ある名車の今と昔、自動車ブランド最新事情、今手に入るべきこだわりのクルマたち等々、さまざまな角度から深く堀る!

誰にも身近なオープンカーの誕生

世界の名立たる自動車大国のひとつである日本は、世界に誇るスポーツカーも送り出してきた。そこで、多くの人が思い浮かべるのは、日産GT-RやホンダNSXなどの高性能なモデルではないだろうか。しかし、今回、紹介するのは、もっと身近な小さなクルマである。それが、マツダの「ロードスター」だ。

初代ロードスターとなる「ユーノス・ロードスター」の誕生は、1989年のこと。バブルの好景気に押され、マツダは、ブランド力の向上を狙った新戦略を展開。マツダ以外に、4つの新ブランドを打ち立てた。そのひとつが「ユーノス」であり、ロードスターは、その専売車として送り出された。

日本が誇るハイテクを積極的に取り入れた、新型車が続々と送り出された時代にありながら、ロードスターは、少し異色の存在だった。エアコンやパワステなどの当時のクルマの必須アイテムこそ備えていたが、ハイテクとは無縁。コンパクトなボディに、2名分の乗車スペース、シンプルなソフトトップなど、至ってシンプルな作りであった。スポーツカーの要ともいえるエンジンさえ、大衆車ファミリアからの流用し、改良を加えたもの。さらに細やかなパーツは、他のマツダ車のパーツから積極的に流用した。時代背景を鑑みれば、実に質素といえる。その狙いは、誰もが気軽に楽しめるオープンスポーツカーの開発にあった。

安価なモデルを実現させるのは、使える材料と予算には限度がある。それでもマツダの開発者たちは、自分たちの理想とするスポーツカーを送り出そうと、必死に開発に打ち込んだ。開発メンバーの中には、本来の担当業務の合間に、時間を作り、自ら開発協力に名乗りでたものもいたと聞く。それだけ開発者たちにとって、夢と希望に溢れたクルマだったのだ。そのため、走りを含めて、キャラクターを左右する部分には、きちんとコストを投入。一方で、抑えるべきところはしっかりと抑えた。その取り組みのユニークなエピソードのひとつが、灰皿だ。ユーノス・ロードスターには、やや大振りの灰皿が備わるが、これはヘビースモーカーを意識したものではなく、なんとマツダの小型トラックからの流用品だったのだ。こうした小さな積み重ねが、手軽な価格へと繋がっていくのである。

「だれもがしあわせになる」クルマ

1989年に発売されたロードスターのカタログには、「だれもがしあわせになる」というメッセージが添えられていた。これはクルマと暮らす幸せが、十分に詰まった一台であることを伝える、開発者たちの想いを凝縮したものだった。

デビュー時の性能は、1.6Lエンジンで、最高出力120psと平凡なものであったが、960㎏という軽いボディには十分なもので、何よりエンジンパワーを使い切る楽しさがあった。注目の価格は、200万円を大きく下回る170万円(ベースグレード・5MT車)。エアコンこそオプションであったが、若者でも十分狙える現実的な価格のスポーツカーとして成立していた。


前向きな時代背景もあり、スポーツカーらしいスタイル、華のあるオープンルーフ、軽快な走りなどのロードスターの魅力は、クルマ好きだけでなく、多くのファッションリーダーたちをも刺激した。

日本でも爆発的な人気を見せたロードスターだが、より大きな反応を見せたのは、米国や欧州のクルマ好きたちであった。そもそも軽量、コンパクト、低コストのスポーツカーというロードスターの開発手法は、かつて英国メーカーが盛んに送り出したライトウェイトスポーツカーに倣ったものだ。しかし、クルマの高性能化や高機能化が進むと共に、その市場は絶滅してしまう。その失われた市場の掘り起こしに、ロードスターは成功したのである。


その後、欧州メーカーは、二匹目のドジョウを狙い、続々とライトウェイトオープンスポーツカーを投入。ポルシェ・ボクスター、メルセデス・ベンツSLK(現SLC)、BMW Z3(現Z4)などが送り出され、スポーツカー市場を賑わせることになる。この流れに、本場の英国も負けてはいられないと、数々のライトウェイトスポーツカーを送り出した名門MGからMG Fという新型車を投入させたほどであった。

しかし、最も成功を収めたのは、他ならぬロードスターである。2000年には、累計生産台数が531,890台を記録し、ギネスより「2人乗り小型オープンスポーツカー生産累計世界一」に認定。2016年4月には、累計生産台数が、100万台を突破。ライバルたちに大きく水をあけた。その勝因は、時代の流れの影響を受けながらも、過度な性能や機能を追い求めず、身近なスポーツカーであり続けたことにあると思う。「だれもがしあわせになる」クルマ作りは、今なお受け継がれ、世界のオーナーたちを幸せにしている。


Yasuhiro Ohto
1980年埼玉県生まれ。クルマ好きが高じて、エンジニアから自動車雑誌編集者へ。その後、フリーランスになり、現在は自動車雑誌やウェブを中心に活動中。主な活動媒体に『ベストカーWEB』『webCG』『モーターファン.jp』『マイナビニュース』『日経スタイル』『GQ』など。歴代の愛車は、国産輸入車含め、全てMT車という大のMT好き。