JRAはいかにして競馬のブランド力を築いたのか?

秋の深まりとともに、競馬シーズンが本格化する。年末まで、ほぼ毎週開催されるGⅠ競走には、時に10万人を超えるファンが集まり、好きな馬や騎手を応援し、馬券に一喜一憂する。7年連続で売り上げを伸ばしているJRA(日本中央競馬会)は、どのようにして競馬のブランド力を築いてきたのか。日刊スポーツの競馬担当・木村有三記者が、人気の秘密を探った。


①中央競馬の価値を高めた"絶対的存在"武豊のすごさとは?

競馬場のイメージアップ化など、さまざまな"企業努力"をしているJRAは、売り上げも年々伸ばしている。昨年2018年度の売得金は2兆7950億830万4000円で、前年比101.7%。7年連続の増加だった。人気があるから紙面の掲載量も多くなるのか? それとも、各紙が多くの情報を提供するから人気も出てくるのか? それを考え出すと「鶏が先か、卵が先か」という話になるが、ネット全盛の時代に、出走箱から得られる多くの情報を求めて新聞を購入するファンが多数いることは、我々スポーツ紙で働く者にとってはありがたく、大きなモチベーションになっているのは間違いない。しかし、誰より「ファンのために……」という意識を持っている男が、当事者側にいる。第一人者の武豊騎手だ。

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②外国人への門戸開放政策と、人気俳優起用のメディア戦略とは?

JRAは1994年に外国人騎手が中央競馬で騎乗できる短期騎手免許制をスタート。ルメール、デムーロともにその制度を利用して日本で実績を積み重ねてきたが"短期"の名の通り「年間3ヵ月まで」という期限付き免許だった。それが、外国人でも1年を通して騎乗できるように改革されたのが、2014年度から。また、これまで競馬に関心がなかった人にも、その魅力に触れてもらうため、2年前の'17年にプロモーション部を立ち上げた。

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③ディープインパクトが示した「血」のスポーツとしての魅力とは?

競馬は「ブラッドスポーツ」と呼ばれる。優秀な血を引き継ぎ、さらに強く速い馬をつくり出すことで、数百年もの歴史を紡いできた。血統は、他のギャンブルにはない"唯一無二"の大きな魅力だ。ディープインパクトの父サンデーサイレンスは米国産でケンタッキーダービーを制すなどGⅠに6勝。引退後は日本に輸入され、1991年から種牡馬生活を始めた。初年度産駒からフジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシらGⅠ馬が続々と誕生。そして最後の世代から1年前の産駒として、2002年に生まれたのがディープだった。

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