【短編小説】第二回ブックショートアワード大賞作品『ユキの異常な体質』原作(後編)公開

6月の開催で20周年をむかえるアジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018」。そのなかのプロジェクトのひとつが今年で第4回目を迎える「ブックショート」だ。おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに二次創作された短編小説をWebで公募し、大賞作品はショートフィルム化される。 このショートフィルム『ユキの異常な体質/または僕はどれほどお金がほしいか』は、1,886作品もの応募のなかから選ばれた第二回の大賞作品。「朝起きるとバケツのなかに水がたまっていた。」という一文から始まる受賞作は、昔から伝わる、雪女をモチーフにしたもの。”雪女が溶けて水になる”というワンアイデアを、巧みな文章と豊かな想像力で膨らませている。

ユキの異常な体質/または僕はどれほどお金がほしいか』後編/大前粟生

きのうのことも、前のパパが死んだ日のことも実はぜんぶ幻で、僕は長すぎる夢を見ていたんだ、起きたらそうなっていたらいいと思いながらねむった。いや、ねむったというよりは気絶したのだった。寒すぎて。

朝起きたら床でユキがねむっていて、僕は「帰ってくれ」といおうとしたけれど口が凍りついていた。他の雪女がそうするのかどうかは知らないけど、ユキは立ったままねむっていて、足は青い、大きなバケツに入っていた。どこから持ってきたんだろう。僕がお湯で口を溶かして部屋にもどるとちょうどユキも起きたところで、僕は「なんでバケツに入ってるの?」と聞いた。

「ほら、私って、いつ溶けるかわからないから」ユキは笑いながらいったけど、そのときの顔はよくテレビドラマなんかで見る、余命がもういくらもないのに周りの人を気づかって無理に笑っているみたいな笑顔だった。

「どうして、僕なの?」と僕は聞いた。「どうして僕のところにきたの?」

「別に、あなたを選んだわけじゃない。たまたまよ。たとえば前を歩いている人が道で急にだれかに襲われたとするじゃない。そしたら警察に通報するよね。ほとんど反射的に。そういう感じ。わかる?」

「うーん、なんとなく」

「それにしても、二回も襲われるなんてね」

「だれが?」

「あなたが」

「え?」

「レイプ」

「が、どうしたの?」

「されてたじゃない」

「僕が?」

「私がくるの、間に合わなかったけど」

「いつ?」

「私がくるまで。でも、よかったね。助かって」

ユキは善意でパパたちを殺したらしかった。

「あぁ、うん。そうだね。されてた、レイプ。ありがとう」

僕はうそをついた。本当のことをいっても別にだれかが救われるわけじゃないし、少なくとも僕がうそをついたことでユキが満足してくれるならそれでよかった。満足して、もう帰ってほしい。

「どうやったら、もとにもどると思う?」と水がいった。

「うーん、凍らすとか?」

「それだと、氷じゃない。氷女になっちゃう」

「じゃあ、雪にしたらいいのか」

「水を雪にするのって、どうするの?」

「蒸発して、雲までいくんじゃない?」

「それは……こわいなぁ」

「ねぇ、私、ここに住んでもいい?」ユキがいった。

「は?」

「いくとこないの。身内、いないから」

「そうなんだ」そんなことでは僕は気を許さない。

「今はまだ冬だから、外にいても大丈夫だけど、夏になったら死んじゃう。もう、嫌なの。スーパーとかお肉屋さんの冷凍室に住むのは。ずっとひとりぼっちなのは。話しかけても、幽霊だと思われてしまうし」

「わかった。いいよ。住んでも」

「ほんとに?」

「その代わり、お金ちょうだい」パパがいないんだ。だれかが代わりに僕にお金をくれないといけない。

「なんだ、そんなことか。ちょっと待っててね」

ユキはそういって、部屋を出ていった。僕はユキが出ていってホッとした。でもすぐにユキが出ていったことを後悔した。部屋が温まりはじめると氷が溶けて、水浸しになって、テレビやパソコンが壊れてしまったんだ! これじゃあまるで通り魔だ! あいつは最低だ! 僕が激怒してスピーカーとか食器とかを壊しまくっていると、ユキが帰ってきた。

「はい、これ、とりあえず」ユキは僕に札束を渡した。

「どうしたの、これ」

「秘密」

「大丈夫?」

「安らかな顔してたわ」

「逮捕とかされないよね」

「うん。明日も別の人にもらってくる」

その年の冬にたくさんの人が死んだのはそういうわけだ。

僕はペットボトルをいくつか持ってきてコップの水を注いでいった。少しこぼしてしまって、慌ててティッシュで拭いて水にばれないようにした。ペットボトルでパンパンになったバックパックを背負って外に出た。

「暑いー。死ぬー」と水がいった。

「水が溶けることはないから、大丈夫だよ」

「これが夏かぁ」

「海が待ってるよ」

海にいきたい、とユキがいったときには僕たちは同棲をはじめていた。ユキがお金を提供し、僕が部屋と、だれかと暮らすということを提供する。僕たちはうまくやっていた。寒い日にはふたりで外に出ることさえできた。僕たちはよく湖にいった。ユキの足が湖に触れると、一瞬でスケートリンクができる。僕たちはユキがまるで魔法みたいに氷で作ったスケート靴を履いて、ぎこちなく滑っていく。まるで同年代の女の子とデートしているみたいだった。こんなこと、パパたちとはやったことがなかった。

「もうすぐ、冬が終わるね」とユキがいった。

「そうだね」

「私ね、夢があるの」

ユキは唐突にそういって、その言い方はうさんくさくて、まるでドラマみたいで、でもドラマみたいなシチュエーションだった。あたりにはだれもいない。魚たちは死んでしまっていて、鳥さえ飛びながら凍った。僕たちの声だけが聞こえて、世界にふたりだけみたいだった。

「夏」

「夏?」

「夏を、感じてみたいの。海にいったり、ね」

「うん」

そんなことは雪女には無理だって、ふたりともわかっていた。

でも、水なら海にいくことができる。よく晴れた日で、空には大きな入道雲がかかり、セミがけたたましく鳴いていた。駅に着くと、水がいった。

「私、電車に乗るのってはじめて」水の声はうきうきしていた。

僕がはじめて電車に乗ったのはいつだったろうか。もう思い出せない。僕が忘れてしまったたくさんのことを水はこれから経験できるのかもしれないと思った。でも、そうはならない。

ユキが僕のところにきてからはじめての春がきた。僕たちは部屋から一歩も外に出なかった。たいていのものは、というかほとんどすべてのものはネットで買うことができたから、僕たちはずっと引きこもっていた。僕はユキのことを名前で呼ぶようになり、ユキも僕のことを「あなた」ではなくて「きみ」と呼ぶようになり、夏がくると「きみ」は「ユキオくん」になった。窓の外はよく晴れていて、空には大きな入道雲がかかり、セミがけたたましく鳴いていた。ユキはなるべく〈夏〉を見ないようにしていた。けれど、一度ベランダの窓を開けようとしたことがあって、僕は慌ててユキを部屋にもどしてベランダの窓を閉めて、鍵をテープでぐるぐる巻きにして、窓をすべてダンボールで塞いで、ユキの体をおびただしい数の氷と保冷剤で覆った。

「どうして」とユキはいった。「どうして、外に出させてくれなかったの」

「だって、ユキが死んだら、僕はそのうち働かないといけなくなる」笑いながらいった。僕の口からは震えた声が出た。

浜辺ではカップルや子どもたちがはしゃいでいた。みんな笑っていた。バックパックのなかの保冷剤はもうみんな溶けている。

「ほら、海だよ」僕はペットボトルのひとつを胸に抱きながらいった。

「熱い。体が、熱い」

冬がくるとユキはまたお金を取ってきて、僕たちは湖にいって、深夜に遊園地にいったりもして、春からはずっと引きこもった。僕は着込んでも寒すぎる部屋にいるせいでずっと体の感覚がなくて、ずっと下痢で生きた心地がしなかったけど、ユキはたくさん笑った。

「まさか、雪女が夏の海にくるなんてね」

「……」水からは熱にうなされているような、肩で息をする音が聞こえる。

「吹雪の日に突然現れて、パパを凍らせた人とこんな関係になるなんて」

「あの日のことは……喋らないでって……約束……したのに」

ユキが雪女の体を持っていたら、秘密を喋った僕の前からいなくなっただろうか。秘密を喋った僕を殺しただろうか。でも、水にはなにもできない。そう思った。けれど、やっぱり雪女だ。僕の前からいなくなった。

ユキが水になる前の日、きのうの僕たちはなにをしただろうか。特別なことはなにもしていない。雪女が部屋にいることや、ユキが普通の人間といっしょにいることは特別なことだけど、もう僕たちには当たり前のことで、いつの間にか同じような明日が永遠に訪れるのだろうと思っていた。

「やっぱり、海に……流してほしい」水がいった。

「うん」

靴を波に浸しながら、ペットボトルをさかさまにしていく。水が落ちる音は、波の音で聞こえない。

最後の一本になったとき、水がいった。

「絶対……帰ってくる……から。ユキオくんのところに……もどって……くる……から。蒸発して……雪に……」

そうして、時間が過ぎていって、お金がみるみるうちになくなった。僕はバイトをはじめた。新しいパパを探す気にはどうしてだかなれない。コンビニの店長なんかに僕は怒鳴られて、怒鳴られて、怒鳴られて、もうダメだ。早くやめたい。お金がほしい。ユキにもどってきてほしい。僕はバイトの留学生にセクハラだといわれたり、店長にレジの金を盗んだだろなんていわれてクビになって、やめれたことはうれしかったけどお金はすぐになくなって、次のバイト見つけないとなぁなんて思いながらもなにもせずに過ごしていた。ユキにもどってきてほしかった。

記録的な吹雪がこの辺りを覆っていた。けれど部屋のなかは暖房が効いていて、僕はただぼんやりと、雪の被害を伝えるニュースを見ていた。外では車が立ち往生し、電車が止まり、たくさんの人が事故にあって怪我をして、街頭に立っていたアナウンサーはまるでバナナの皮を踏んだみたいにきれいにこけた。僕には関係のないことだった。チャイムが鳴った。扉を開けると、ぼやけた天井があった。窓の外ではセミが鳴いていて、僕は濡れた目を拭いながらつぶやいた。

「お金ほしい」

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