音楽と契約した男、瀬尾一三とは何者か?~野村雅夫のラジオな日々vol.42

現在、関西のFM COCOLOを中心に、DJや翻訳家などさまざまな領域で活躍する野村雅夫さん。この連載は、野村さんのラジオというメディアでDJをすることの醍醐味や、ラジオで出会ったアーティストとのエピソードを披露してもらう。今回は 、日本の音楽プロデューサーの草分け、瀬尾一三さんだ。
   

瀬尾一三を知らずに、日本の音楽シーンは語れない!

僕が普段番組に迎えるのは、ミュージシャンや俳優、監督など、表に立って表現をしている人がほとんどだ。一方、たとえばアルバムや映画のパンフレットを手に取った時に、僕は必ず裏方と呼ばれる人たちのクレジットに目を通す。映画や演劇が集団芸術であるのは自明だけれど、音楽だってそうで、一枚のアルバムを世に出すには大勢のスタッフが関わっている。その名前を丹念に見ていくと、この人は確か前にも別の作品で見かけたぞということがままあって、瀬尾一三さんはその代表格。日本のポップスの黎明期から今に至るまで、シーンをリードするように、ジャンルを問わず活躍されてきた。そんな瀬尾さんとお話できるとあって、僕はかなり興奮して当日を迎えた。以下、2020年3月17日(火)に放送したインタビューの模様をお届けする。

☆☆☆

斉藤哲夫 『グッド・タイム・ミュ―ジック』をお送りしたところで、この方をスタジオに迎えしました。自己紹介いただけますか。

瀬尾一三といいます。よろしくお願いいたします。

――瀬尾さん、チャオ!

ハハハ! チャオ!

――すみませんね、いきなり馴れ馴れしくしてしまいまして。イタリア系の僕がやっている番組の決まりごとでして。どうぞ、よろしくお願いいたします。

こちらこそ。

――初めてお目にかかりますし、当然ながら、番組にも初めてご出演いただくので、まずは少しプロフィールについて… お生まれは1947年で、ご出身は兵庫県ですよね?

そうです。

――でも、幼少期は結構あちこちと…

親父の仕事の関係で2年ごとに移ってました。

――転校を繰り返しながら育っていらして、関西大学に進まれます。そこから、音楽プロデューサーへの道を歩み始める、ということになるんですけど… 当時はまだプロデューサーなんて言葉も世間的には馴染みがなかったでしょ?

そうですね。全く業界的にもなくて… そういうところを草分けながら、野獣のように這い上がってきましたけれど…

――本当にパイオニアでいらっしゃいます。そして、69年には「愚(ぐ)」というグループで金延幸子さんとご一緒されていました。

はい、はい。

――金延さんがですね、この前、FM COCOLOでもイベントにご出演いただいたんですよ。

そうなんですね。

――金延さんとは、今もご交流はあるんですか?

彼女はアメリカの方に住んでいるので、あれですけれども… 来日したときには必ず会ってます。

――そして、73年にはソロ・シンガ―としてアルバム『獏』を発売されます… あれ? どうして笑ってらっしゃるんですか? 

いや、いや、いや… それはもう、僕の若気の至り。行ったり来たりというか、突き当りというか…

――ハハハ!

やってしまった感が…

――同じ年には、日本初の本格的なライブ盤と言われる、吉田拓郎『たくろうLIVE'73』を、吉田拓郎さんと共同プロデュースされました。で、これは延々と続くので大胆に端折っていきますと、中島みゆきさんとのタッグを、もう30年ほどされています。

長いですね…

――吉田拓郎さん、長渕剛さん、徳永英明さん、CHAGE and ASKAなどなど… 本当に大勢のミュ―ジシャンと一緒に仕事をされてきて、芸能生活は50年!

まぁ、50何年になりますね。52年くらいですね。

――おめでとうございます。

いやいや、ほんとに…

――半世紀!

ありがとうございます。どうにか生き延びてきましたけど…

――現在は、その中島みゆきさんのラスト・ツアー「結果オーライ」にも参加されている…

メンバ―というか、まぁ、お目付け役ですね。

――みゆきさんとは、ライブもレコーディングも、もうト―タルにずっと関わってらっしゃいますよね。

音楽に関するところは、一応全部立ち会っています。

――中島みゆきさんは、FM COCOLOの1月のマンスリ―・ア―ティストでした。僕の番組は毎朝5時間もあるので、膨大な過去のディスコグラフィーから1曲、そしてもう1曲は新譜の『CONTRALTO』からと、毎日2曲かけていました。

ありがとうございます。

――もちろん、その『CONTRALTO』も、瀬尾さんが全曲プロデュースされました。で、このラスト・ツアーについては、みゆきさんからも番組にコメントを頂戴したんですけど…

あ、それはそれは…

――「ラスト・ツアーと言いつつ、ラスト・コンサートではないぞ!」っていうね。

よくわからない話ですけど…

――ハハハ

いわゆる音楽活動をやめるわけでもなんでもなくて、ツア―をやめるということだけです。

――みゆきさんとのタッグというのは、当初からずっと、3年先までスケジュールが決まっているらしいですね。3年周期というか。

そうなんですよ。はい、3年。今から3年。で、来年になるとまた3年っていう風に…

――すごいなぁ。みゆきさんとしては、とにかく瀬尾さんじゃなきゃってことでしょ?

う―ん。まぁ、どうなんでしょうね… 僕はいつも精いっぱい全力で走ってるんですけども… 二人三脚のつもりでも… 僕の方が引きずられてるかな… ハハハ!

――瀬尾さんは、半世紀に及ぶキャリアの中で、さっきをお名前を一部挙げたミュ―ジシャン以外にも、それはそれはたくさん手掛けてらっしゃいまして… その功績をまとめたCD『時代を創った名曲たち3 〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』が1月に出ました。もう3ですよね。収録されている曲数も、目一杯の17トラック。六文銭から始まって、かぐや姫、石川セリ、大貫妙子、チャゲアス、松田聖子と、もうきりがないぞと。

ほんとにたくさんの人と… ほんとに幸せです。

――もうひとつのトピックとしては、『音楽と契約した男 瀬尾一三』(ヤマハミュージックメディア)という書籍の発売。

凄いタイトルでしょ!?

――「音楽と契約した」って、確かに強烈です。

ねぇ、大袈裟!

――どこかの事務所と、とかならわかりますけど、音楽と契約というのはただごとではありません。仕事を振り返るような、こういうご本は初めてなんですって? 

初めてです。

――キャリアが総括されていますよね。そして、これまた興味深いのが…

対談ですね。

―そうです。松任谷正隆さん、山下達郎さん、亀田誠治さん、萩田光雄さん。日本の音楽を作ってきたレジェンド4名との対談。読んでいたら、それぞれに手法が違うんですね。

違うんですよ。面白かったです。僕たちは、たまにスタジオですれ違うこととか、個人的に会ったりすることはあるんですけども、そういう話ってのは、なかなかしないので… 対談という形で初めてお互いの手の内を明かすような感じがあって… すごく興味深かったです。

――互いに刺激を受けてらっしゃる様子が伝わってきました。

「え―、そんなことやってるの?」って、お互い初めてそういうことが言い合えた。対談ですからね。だから、それは僕にとってもすごく楽しかったです。

――今日は斉藤哲夫さんから始めてみました。僕は78年生まれなんです。なので、瀬尾さんは僕の生まれる前から活動されていますよね。本を拝読していて、僕が若い頃、聴いていたような音楽をあれもこれもとたくさん手掛けてらっしゃったことを確認しつつも、僕の生まれる前の活動がこれまた興味深くて…

そうですか…

――知らないもんだから、っていう…

あ、なるほどね。

――僕にとって今回大きな発見だったのが、斉藤哲夫さんの三部作です。『バイバイグッドバイサラバイ』『グッド・タイム・ミュ―ジック』、そして『僕の古い友達』。この70年代半ばにかけてのこの三部作が、いかに瀬尾さんにとって大事だったのか、よくわかりました。

そうですね。僕の20代のいろんなエッセンスが入っています。詰め込んだエネルギ―というか、マグマの爆発みたいな感じですね。斉藤君と仕事をすることによって、目覚めたこともいっぱいあって。あの時はすごく楽しかったですよ。興奮の日々でした。

――その興奮の様子ってのが、活字からこちらにも伝わってきました。僕も不勉強でダメなんですが、今日初めて斉藤哲夫さんをラジオでかけたんです。

そうですか! 嬉しいなぁ。

――本の後ろには瀬尾さんが手掛けた膨大な作品リストがありますよね。作品リストを作る専門の方が必要なほどで、昔の電話帳並みになっているこのリストの中から、僕がなぜ斉藤哲夫さんを選んだのか。それは、本をきっかけにして、アルバムをどうしても聴きたくなりまして…

あ、ほんと?

――聴いたわけですよ。

どうでしたか?

――感動しました。特に『グッド・タイム・ミュ―ジック』に関しては、目指したのがビートルズの「ホワイト・アルバム」でしょ?

はい。

――それって、つまり、当時の技術でできることは全部やってみたいということじゃないですか。

昔はもうトラックがないんですよ。

――そうですよね。逆に、今はもう無限に…

無限大にチャンネルがあるけど… 俺たちは当時は、8トラックで録っていたので、もう大変。頭からずーっと考えて、曲順も全部その通りに録音していったので、もうあの苦労は… でもあんな楽しい日々はなかったですね。

――先ほどオンエアしましたから、リスナーにもわかってもらえると思うんですけど… かなりの音数ですよね。しかも、それぞれのタイミングもあるわけだから。

そうですね… 大変なんですよ。今ならコンピュ―タですごく楽に編集ができるんですけど、あの頃はそういうのがまったくなかったので… もう大変な苦労でした。

――僕も「ホワイト・アルバム」が好きな口なので興味を惹かれて、どんなものだろうと思って斉藤哲夫さんを聴いてみたらば、ワクワクしましたし、すごく嬉しかったんです。まだまだ日本の音楽シ―ンの傑作に触れてないものがあるだなぁと痛感して…

ありがとうございます。

――『グッド・タイム・ミュ―ジック』では、瀬尾さんがそれまでずっと独学でやっていらした編曲の手法を総動員されたんですよね。

あのアルバム三部作をやり終えた時には、自分の中でやっとプロとしてやっていけるのかな、という感覚がありましたね。

――でも、アイデアをすべて盛り込んで、不安にはならかったですか?

不安でしたよ! だから、その不安の中から新しく自分というものを作り出すことで、これでやっとプロになれるんだ、と思えたんです。それまでは、好きでやっていただけだったので…

――なるほど。

ティーンエージャーの頃から色々と溜めてあったアイデアを全部出した後で、「お前はこれからどうするのか?」って。そこからさらにアイデアを出していけるのがプロだと思うんです。

――本の中で印象的だったフレーズがあります。こんなにヒットソングをたくさん手掛けてらっしゃるのに、目指したのは、使いやすい日用品のようなサウンドなんだと。

そうです。

――どういうことなんでしょう?

みなさん、ミュ―ジシャンとしての音楽性を追及されるのが当たり前なんですけど… 僕はそれよりも、どっちかというとほんとに日用品として、こういう場面にはこういうのを聞けるな、とか考えるんです。かしこまって聴くんではなくてね。落ち込んだらこれがあるとか、楽しい時にはこういう音楽があるとかって聴いてくれるのが一番いいなぁと思っていて。神棚に上げたいようなものではなくてね。ある意味、リスペクトされるよりも、友達のようにフレンドリ―で聴いてくれるのがいいなと。それが僕の信条になってるところがありますね。

――当然、時代によってサウンドは変化していく中で、プロデューサーとしてシングル・ヒットを出してほしいんだとか、色々と期待をかけられることが多かったと思うんですが…

多かったですよ~ 特に70年、80年代は!

――とはいえ、そこで、今はこういう音が流行ってるから、とりあえず入れときゃいいんだ、ってことではないんだというのがよくわかりました。

僕はそういうことは考えなかったですね。というと、少し語弊があるけれど、できるなら、なるべくエヴァーグリーンなものにになるように、スタンダ―ト的に扱ってもらえるように努めました。後で思い出と一緒に聴いていただくのはいいんですけども、そこにあまり時代性を入れてしまっていると、時代が勝ってしまうことがあるじゃないですか。だから、そういうトレンドみたいなものはなるだけ入れないようにという考えです。でも、こういうのやってくださいって言われて、やってしまったものもありますけどね。ハハハ!

――ハハハ! 実は打率の良いバッタ―じゃないんだともおっしゃっますね。

はい。だって知られてる曲って少ないですよ。

――いやいやいや。だって、コンピレーションがもう3枚目ですよ! しかも3枚もあるのに、それでもスーパーダイジェストなんですから。

いやいやいや、それは僕が付けたタイトルじゃないんです。すいません。そんなおこがましい題を僕が付けるわけないじゃないですか(笑)

――これまた面白かったのが、78年のアルバム『加山雄三通り』を手掛けられたくだりです。既にレジェンドでいらした加山さんに、瀬尾さんがどうアプローチしていくのかという時に、「曲は好きになっても僕は人のファンにはならないんだ」って。これは意外な言葉だと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

あ、そうですか?

――僕はラジオDJとしてですが、実はわりと似たスタンスなんですよ。ア―ティストはリスペクトはするんですが…

当然、当然。

――その人のパーソナリティだったり経歴だったりというよりも、曲そのもの、音楽そのものに興味があるんです。

はい。僕も結局、ファンになってしまうと、プロデュ―スができなくなるんですよ。やっぱり、どこかで冷静な目を持ってなきゃダメだし。ただ好きで仕事をやってると、いわゆる第三者的な見方ができなくなってしまうんですね。だから、申し訳ないんですけども、僕は一緒に仕事をするア―ティストのファンではないです。ある意味、一番身近にいる味方であり、敵であるかもしれませんね。

――敵でもある。

だから、一番辛らつに物事を考えているのかもしれません。彼ら彼女らが作るものなら、すべていいね、とかじゃなくて、「それをもう少しこうすれば?」ってことをいつも考えているのかもしれません。普通、ファンだったら、そのすべてをありがたがるじゃないですか。

――ファンとはそういうものだと思います。

僕は、それだとプロデュ―スはできないので、ちょっと冷めた目で観ているって感じで、距離感は必ず作ります。

――本を拝読しましたので、ここであえて意地悪い質問をしますよ。

どうぞ。

――リタ・ク―リッジさんと仕事をしたのは、ファンとして嬉しかったでしょう?

はい。リタ・ク―リッジとの仕事ね、あれは僕が売り込みました! ハハハ!

――ハハハ! 例外だ。

自分で売り込みに行きました!

――ハハハ!

もう、僕の青春のアイドルだったので。ほんとにいい姉御で、楽しかったですよ。

――今お話したようなエピソードがわんさと出てくるこの本、『音楽と契約した男 瀬尾一三』。時代を彩った名曲がこういう風に作られたんだという裏側をたくさん知ることができますし、日本の音楽シーンの成り立ちも垣間見えます。既に3枚出ているコンピレ―ションCD『時代を創った名曲たち』の副読本としても、非常に役に立ちますので、オススメです。

ありがとうございます。

――ついつい時間を超過して話し込んじゃいました。お別れの1曲も僕からのリクエストで、徳永英明さんにしてもいいですか?

はい、どうぞどうぞ。

――このコンピレ―ションには、『夢を信じて』が入っています。僕はこれは小学生の頃、ドラゴンクエストのアニメで…

そう、ドラゴンクエストでみんな覚えてくれているんですよ。

――巻末の対談でも、たとえば松任谷正隆さんが「瀬尾さんはフォ―クロックの人だ」というようなっていう感じで話をされていました。でも、コンピレ―ションを聴いてみると、そしてリストを眺めてみると、そうとも言えないんですよね。

僕はあんまりジャンルを考えたことがないので…

――そうなんですよ! なので、そのひとつの例としても徳永さんを。この曲だってギターの弾き語りでもできる曲でしょ?

そうです。そうです。

――でも、サウンドはまったく違いますもんね。

これは時代をちょっと入れてみましたけどね。ハハハ! アニメ―ションということもあったので。

――徳永さんで言うと、『壊れかけのradio』をどうアレンジしていったのかというプロセスが細かく本に書いてありますよね。

そうですね。

――頭の中に映像を思い浮かべて構築していくんだと。

そう、映像から。

――そのあたりは、ぜひ本を手に取って読んで、改めてそれぞれに曲を聴いていただきたいと思います。それでは、徳永英明『夢を信じて』を聴きながらお別れです。今日のゲストは、瀬尾一三さんでした。どうもありがとうございました。

どうもありがとうございました。


野村雅夫
野村雅夫
ラジオDJ/翻訳家。1978年、イタリア生まれ、京都在住。大人のためのミュージック・ステーションとして人気を博すFM COCOLOで、モーニングショーCIAO 765(mon-thurs. 6:00-11:00)を担当するほか、イタリア文化を紹介する京都ドーナッツクラブの代表を務め、映画や小説の翻訳を行う。訳書や映画評、エッセイなど多数。
気になる方はこちらをチェック