【短編小説】第一回ブックショートアワード大賞作品『HANA』原作(後編)公開

6月の開催で20周年をむかえるアジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018」。そのなかのプロジェクトのひとつが今年で第4回目を迎える「ブックショート」だ。おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに二次創作された短編小説をWebで公募し、大賞作品をショートフィルム化する。 この『HANA』は、2,330作品もの応募のなかから選ばれた第一回の大賞作品。芥川龍之介の『鼻』を女子高を舞台に大胆に書き換えたものだ。『鼻』の主人公である和尚は、大きな鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんでいたが、女子高生のハナにとってのそれは小さな胸。胸の小ささを気にしていることを必死に隠す彼女が、友人から「胸が大きくなる薬」をもらうストーリーは、十代の女性を通して、誰しもが持つ人間の繊細なコンプレックスの克服を鮮やかに描き出す。  

『HANA』 後編/結城紫雄

「はい、おっぱいを大きくする薬だよー」

私の十七歳の誕生日。いつものカラオケボックスでリツが差し出したのは、一粒の白く小さな錠剤であった。表面に「D」と印刷してある。

「なにこれ。ビレバンとかで『恋に効くクスリ』とかの横に売ってるやつ?」

私はあきれた。「○○に効くクスリ」は以前流行した、雑貨屋などに置いてあるただの飴である。要は単なるおまじないだ。

「違うよ、マジに効くんだってば」

隣のキョウコ、ヒカリの目も珍しく真剣だ。茶化しているようには思えないが、飴じゃないとしたら、麻薬とか、合法ドラッグとか、脱法ハーブの類だろうか。何より、あれだけ豊胸のためのサプリを試した私が初めて目にする薬なのだ。明らかに危険な香りがする。やはりただのジョーク・アイテムの仲間なのだろう。

「あーあ。リツの誕生日にはみんなでサマンサのピアスあげたのになー。私には飴玉かあ」

だから違うんだってば、と言うリツの話によるとこうである。彼女の大学生になる姉が、夏休みに治験のアルバイトにいった。治験とは未だ認可されていない薬を被験者に飲ませ、その後の検査で効果を見るというものだ。十日前後の検査で、報酬(正確には謝礼という。治験はあくまでボランティアであり給料は発生しない)は数十万という場合もある。しかし副作用が出たとしても自己責任だというから、要は公認の人体実験だ。

「一週間も泊まらされたあげく、煙草も酒も禁止なんだってさ」

「うわーダルい」ダルいもなにも、私たちは未成年である。

リツの姉が試すことになったのは、新しい導眠薬の実験だったらしい。一回三錠を一日二回。確かに眠たくはなったらしいが、そんなことよりも副作用が問題だった。Bカップだった胸が、二日目午前の時点でDカップになってしまったのだ。それに驚き、体への悪影響を怖れた医師が以後の服用を禁じた。薬の配布は一日一回なので、彼女は午後の分の薬も持っていたが、医師に服用を止められたためちゃっかり持ち帰ったらしい。

その薬こそが、今リツが手にしている錠剤なのだ。彼女の話を聞いたリツたち三人が、キルフェボンのケーキ一ホールと引き換えに手に入れたのだという。

「なるほど」

私は頷いた。治験段階でしか知られていない未承認薬。私が知らないのも無理はない。気になるのが副作用だ。説明によると豊胸効果そのものが副作用みたいなものだが。

「副作用は、今のところナシ」

私の懸念を見透かしたかのように、リツが言った。

「むこうもビックリしてさー、バイト期間終了してからもずっと検査の連続だったよ。でもお姉ちゃん胸が大きくなっただけで何も病気とかしてないしさー、おまけに彼氏できるし、めちゃくちゃモテだしたみたいだし」

なんだかカルト宗教の勧誘みたいだ。

「じゃあ、この薬の『D』ってのはDカップのD?」

「いや、『DEKAPAI』のDじゃね?」

「リツはバカだな、『DOUMINZAI』のDだろ」

「うーん」

私は唸った。リツの話を聞く限り、試してみる価値が全く無いとは言えない。むしろ、怪しげな通販よりもよっぽど信用できる。製薬会社の治験で配られた薬だし、そんなに危険なものでもなさそうだ。

しかし問題はまた別のところにある。今まで「胸なんて気にしておりません」という毅然とした態度を貫き通した私だ。はあそうですか、と言って薬を飲むのは簡単だが、それでは癪というか、何よりも自尊心が許さない。

「やっぱ、私やめとく」

「えーなんでよ」

「そんな危ない薬飲めないし、私はこのままで十分なの」

「うそだー」

リツの一言に私の心臓がドクン、と大きく音をたてた。

「ハナいっつもブリ&トラの『ペチャパイ』いれたらさー、トイレとかドリンクとか言ってどっか行っちゃうじゃん。ホントは気にしてんでしょ?」

コイツはアホそうな顔をして案外あなどれない。腋に汗がつたうのを感じる。

「気にしてないってば」

あくまで冗談ぽく流したつもりだが、動揺が伝わっているかもしれないと思うと不安がこみあげてきた。頬が火照っているのがわかる。ほぼ空のグラスを手にとり、底にたまった氷をじゃりじゃりと口に流し込む。

「そういえば」

口で氷を転がしながら、ふと疑問が浮かんだ。

「一回分が三錠って言ってなかったっけ? 残り二錠はどうしたの」

「ハナは飲まないんでしょ、関係ないじゃん」

なぜかリツはニヤニヤしている。ヒカリとキョウコも心なしか口元が緩んでいるように見えた。一体どうしたというのだ。

「……なによ。三人とも気持ち悪い」

「一つは、ここ」

ヒカリが手を開くと、同じ「D」の錠剤が見えた。

「なんじゃそりゃ、ヒカリも貰ったの?」

「違うの。三つともハナのだよ」

「で、もう一錠は?」

「もう一つは、そこに入れた」

キョウコが指差したのは、あろうことか私が手にしているグラスだった。ゴクン。

「ぎゃー!」私は悲鳴をあげた。

グラスは空っぽだ。飲んじゃったよ!

「それじゃ、今日帰ってあと二錠飲んでくださいねーお大事にー」

「何すんのよ!」思わず大きな声が出た。半分本気、半分ポーズで。

「ああでもしなきゃ、ハナ飲まないじゃん」

「もう飲んじゃったんだから、一錠も三錠変わんないって」

呆然とする私に、リツとヒカリが残りの錠剤を投げてよこす。 私はため息をついた。結局怪しい薬を飲むはめになってしまったのである。しかし実際は、三人で「私が仕方なく薬を飲むシチュエーション」を作ってくれたのだろう(多少の悪戯心はあったとしても、だ)。つくづくコイツらあなどれん、と思いつつ、ほんの少し彼女たちに感謝した。

「よーしじゃあ『ペチャパイ』歌って帰るか!」

人の誕生日なのにデリカシーの無いことこの上ない。結局、「ハナがDカップになったらもう歌えないじゃん」とせがむリツに負けて、最初から最後まで熱唱した。本当に最後になりますように、と念じながら。

「でろーん」「でろーん」 キョウコとヒカリがふざけて胸を触ってはキャアキャアはしゃいでいる。

「だからデロンじゃなくてボロンだってば」

苦笑いしながら、右の肩を揉む。最近、生まれて初めての肩こりに悩まされている。しかしその痛みすら今は愛おしい。

私の胸は今やリツ、キョウコ、ヒカリの誰よりも大きい。薬の効き目はてきめんだった。錠剤を飲んだ翌朝のことは今でも鮮明に思い出せる。あの夜はやけに寝苦しかった。六時間は寝たはずなのに、起きると体が前のめりになりそうでフラフラした。スリッパをはこうとすると、視界から足が消えていた……全てが己の胸のせいであり、しかもそれが一夜にして起こったことだという事実を認識するためには、少々時間が必要だったのである。

当然スポブラには収まりきれないので、慌ててリツに連絡し、その日は彼女のブラを貸してもらうことにした。しかし彼女のブラでもきつかったのだ、おそらくFカップはあるだろう。Fカップ! なんと柔らかそうな響きであることか。

私は一週間たった今でも、暇さえあればそっと胸をなでてみる。秋も深まり、冬服のブレザーを着ることが多いのだが、その厚手の生地の上からでもはっきりとした存在感を放っているのがわかる。大丈夫、今日も縮んでいない。薬を飲んで数日間は、噂を聞きつけた隣のクラスの生徒がわざわざ覗きにきたり、体育教師がやけに馴れ馴れしくなったり、生まれて初めてナンパされたり、Tシャツがほとんど入らなくなったので買い物に出かけたり、とかなり慌ただしい日が続いたが、最近はやっと落ち着いてきた。

周りの反応は(キョウコなど、初めは驚きのあまり声すら出せなかったほどだ)次第に薄くなってきたが、私の日常は段々と輝きだした。服や下着を選ぶのも楽しいし、早くも来年の夏が待ち遠しくてたまらない。何より自分に自信がついた。顔やスタイルは元から悪くないし、頭もいい。ここに胸が加わったのだ。鬼にカナボー、私にニューボーだ。リツたちから「ハナ最近顔も可愛くなった」と言われるが、やはり精神面の充実というのは外見に反映されるものなのだと実感する。

豊胸効果の影響かどうかは分からないが、隣の男子高校生に告白され付き合い始め、私の日常はこれまでにないほど充実していた。そしてその幸福は、永遠に変わらないように思われた。

ところが一か月も経たないうちに、私は意外な事実を発見した。

胸が大きくなってから数日間、私が廊下を歩くと友人はもちろん、話したことのない生徒や教師まで驚きの表情を見せた。言葉を交わしたことのある生徒であれは暫し驚いた後、どんなサプリを飲んだかを聞きたがり、「すごいじゃん」などと素直に称賛の言葉を口にした。しかしそれも一、二週間程度のことであった。「ハナが巨乳」という意外性が無くなるにつれて、彼女たちは明らかに私を嘲笑するようになったのである。最初は気のせいかとも思ったが、廊下を通る度に背後でくすくすと笑い声が聞こえる。いつも一緒にいたはずのヒカリやキョウコ、リツまで同じ素振りを見せるようになって、私ははたと困惑した。

私は初め、急に胸が大きくなったせいだと思った。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。勿論、彼女たちが笑う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ笑うにしても、胸がぺたんこだった昔とは、どことなく様子が異なる。見慣れた貧乳より、見慣れない巨乳が滑稽に見えると言えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。

(前はあんなずけずけ笑われなかったのに)

私はこう呟くことが増えた。そのように考え出すと、授業中でも遊んでいる時でも気が滅入ってしまうのだ。しかしその時の私に、その原因が分からなかったのも無理はない。

笑いというのはある意味残酷だ。TVに映る不細工なお笑い芸人を見て笑う。あんな顔で可哀そう、自分だったら絶対自殺するな、と多少同情しつつも面白いものは仕方がない。あるいはクイズで頓珍漢な回答をして、顔面粉まみれの罰ゲームを受ける芸人を笑う。可哀そうであるが自分は関係がない。ゆえに面白い。より不細工な方が、より酷い罰ゲームの方が興をそそられる。

これはいじめの傍観者の心理と非常に似ているのかもしれない。極端な話、お笑い芸人はクイズに正解することを求められていない。彼らがTVで恥をかかないと、視聴者は物足りないのだ。もっと失敗しろ。もっと恥をかけ。なぜなら、私たちには関係ないから。

第三者的立場のエゴイズムとは、かくも残酷なものである。私がなんとなく不快感を覚えたのも、このエゴイズムを多少なり感じ取ったからに他ならない。

キョウコと喧嘩した日から、私の機嫌はどんどん悪くなっていった。少しでも触れれば爆発しそうなほどにである。どうせ爆発するなら両の胸が木端微塵になって元の平地に戻ればいい、とさえ思っていた。喧嘩の原因はそれほどまでに最悪である。私が告白された男子生徒は、あろうことかキョウコの元カレだったのだ。彼は私の胸と比べて、元彼女であるキョウコの胸を散々馬鹿にしたらしい。私の胸が一か月前までどんな様だったかも知らず。

「あんたなんかドーピングしてるくせに!」とキョウコはわめき散らしたが、とんだ逆恨みである。

私の豊胸が薬によるもの、という噂を耳にしたのはその後である。例の錠剤を知っているのはリツ、キョウコ、ヒカリの三人しかいない。私は激怒し、三人を問い詰めようとしたものの、女子高の噂のスピードには勝てず、あっという間に私はゲートウェイ・ドラッグ常用者からヤク中、あげくにシャブ中までランクアップしてしまっていた。

私はいい加減、大きな胸が恨めしくなった。

ある夜の事である。その日は急に寒くなり、秋用の布団で私は丸くなり羽毛布団を出そうかどうか思案していた。すると、胸がいつになく熱い。なんだかむくんでいる気もする。

(やっぱりあの薬、危ない薬だったかな、飲まなきゃよかったかな……)

やっぱり止めときゃよかったかも、と思いつつ、腫れぼったい胸をさすりながら眠りについた。

翌朝、目をさますとやけに空がまぶしい。眠たい目をこすりながらカーテンを引くと、一面の銀世界が見えた。雪だ。そういえば室内の空気が澄みきっている。昨日は体がダルくてあんまり寝てないけど、少しテンションが上がってきた。きれいな空気を胸いっぱいに深呼吸。ほとんど、今まで体感したことのない感覚が私に訪れたのはこの時である。

私は慌てて胸に手をやった。手に触れたのは、昨日までのふくよかな胸ではない。いや、ふくよかどころではない、「ギネス・ワールドレコーズ」や、お正月のびっくり人間ショーで見るような巨乳、いや爆乳が胸にぶらさがっていた、というか、これが胸本体なのである。片方がゆうにメロン大である。

そうしてそれと同時に、初めて胸が大きくなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。

(ここまでくれば、みんなどうやって笑えばいいかわらないよね)

私は心の中でこう自分に呟いた。Qカップの胸を冬の窓辺でたゆんたゆんとゆらしながら。

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