【令和2年の祇園さん⑥】コロナ禍のなかでやり遂げた祇園祭が将来へ残したものとは?

令和2年の祇園祭が7月末に幕を閉じた。神輿渡御も山鉾巡行も行われない祇園祭 (祇園御霊会)を「GOETHE web」では、日本史学者、八坂神社、三社神輿会、山鉾連合会、宮本組とそれぞれの立場に添い、連載としてお伝えした。コロナ禍というかつてない苦境に立たされ、苦心を尽くして行った前例のない祭を終えた今、神職や町衆はどのように感じているのだろう。八坂神社、三若神輿会に話を聞いた。

誰もが涙した石段下の出迎え

「まわせぇ、まわせぇ」という輿丁(よちょう)たちの声が八坂神社石段下に響く。しめやかな雅楽の音色がそれに重なり、花街祇園の芸舞妓の手打ちの音が一体となる。2020年7月24日、御旅所(おたびしょ)をでて神泉苑、又旅社で祈りの神事を終えた神様とそのお供をした神職、宮本組の一行を祇園町や神輿を支える町衆が厳かに出迎えた。

「前日の23日に宮本組の役員さんなど10名ほどで、翌日の段取りなどを打ち合わせました。石段下に戻られた際に、携わってくださった方への感謝や神様をお迎えする気持ちを表すことが何かできないかと宮本組の組頭や祇園商店街の理事長などから提案がありました」と話すのは八坂神社・権禰宜(ごんねぎ)の東條貴史さん。そこで、氏子や報道関係者には知らせないが、一部の関係者にのみに「手打ちで出迎えよう」と連絡を入れたそうだ。

だが、連絡した関係者以外にも、弥栄雅楽会(やさかががくかい)や三若(さんわか)、四若(しわか)、錦の輿丁有志、花町祇園の芸舞妓などが、神様が戻られるだろう時間を察し自ずと集まってきた。「神様をお迎えしたい」という気持ちが町の人たちの足をその場に向けさせたのだ。

ざあざあと音を立てて降る大雨のなか、それら出迎えの人々に応えるように、神様を背に乗せた神馬がぐるりぐるりとめぐり歩く。いる人皆が「まわせぇ、まわせぇ」と声を合わせ、手を打つ。「今年も無事、神様の渡御を執り行うことができてよかった」と誰もがその光景を見て思っただろう。皆の気持ちがひとつになった瞬間だった。

神事のみを粛々と執り行った令和2年の祇園祭。そのクライマックスともいえる御神霊渡御(とぎょ)祭は、いつもの年以上に、氏子や神輿関係者の心に残るものになった。

初めての神事には反対の声もあった

17日に八坂神社から御神霊を遷(うつ)した榊(さかき)が御旅所に渡御し、24日には例年は三若神輿会(さんわかしんよかい)が担ぐ中御座神輿の渡御ルートをめぐって神様をお乗せした神馬が八坂神社に戻り、大雨の中、御神霊が本殿に遷された。神様が洛中に赴き、1週間の間、氏子など人々の祈りを受け止めるという祇園祭の本義は貫かれたのだ。

それに加えて、今年は神様が御旅所におられる間に、毎日氏子の町をめぐるという始めての神事が執り行われた。

「18日~23日の間、氏子の学区を巡行しましたが、これについては反対の声もあがりました。これまでの感謝も込めて、清々講社や氏子婦人会を中心に普段は神輿が通らない氏子学区を6日に分けてめぐる、かつてないことでした。

ですから、先例にないことをやるのはどうだという人、神様が氏子区域を隈なくめぐるなど“畏れ多い”と反対する人もいました。当然かもしれません」(東條)

初めての試みに対しては氏子の中でも賛否両論あり、温度差もあったのだ。だが、氏子に寄り添うことが、今年こそ必要だと実行したところ、多くの人が家の前で神様を待ち受け手を合わせた。「神様がわざわざ来てくださった」と涙するお年寄りもいたという。

「22日に本能寺学区の老人施設にうかがいました。ちょうど夕食時でしたが、みなさん夕食を後にして施設の前に出て待っていてくださったんです。車椅子の方も多くて、御旅所まで行くことができなかったと言って喜んでくださいました。巡行して良かったと改めて感じました」(東條)

1150年の歴史で初めての神事を執り行うには準備もいるし実行力もいる。6日間神様に供奉した神職や宮本組の組員には大きな覚悟も必要だったろう。だが、これで先例ができたと東條さんは言う。100年後、200年後にまた同じような状況になったとき、令和2年の神事が手本になれればいい。

「今年の神事については、写真や映像などデジタルデータや紙の資料も残しています。それを外部の方に見ていただくことはありませんが、100年後、もし同じような疫病が流行した際にはきっと価値のある資料になると思います」(東條)

神社、宮本組、神輿会、それぞれのプライドが祭を守る

神輿渡御のない今年の祇園祭を神輿会はどのように受け止めたのだろう。

三若神輿会会長の近藤浩史さんは、「神輿渡御が行われなかったことは、本当に残念ですが、だからと言って私たちの信仰が変わるわけではありません。神輿の輿丁はみな、これまでもこれからも自分たちが祭を支えているというプライドをもっています。それが表れたのが、24日の御御霊渡御祭でしょう。誰が声をかけたわけでもなく、輿丁の有志が石段下に赴いて手を打って神様をお迎えしました。自分たちは神様にお仕えしているんだという気持ちは決して変わりません」と話す。

神様をお迎えしたいという気持ちを抑えきれず、大雨の降る中、石段下に駆け付けたのだ。

18日~23日までの氏子学区の渡御についても、より神様と氏子を近づけることになったのではと近藤さんは言う。

「隅々まで神様がめぐってくださいました。目に見えるかたちで祇園祭を行ってくださったことは新鮮でもあり、土地の守り神様であることを、改めて感じる機会になったでしょう」(近藤)

三若神輿会では、いつもどおり1400本の粽(ちまき)を、一軒一軒氏子の家に届けたそうだ。

「今年は、祇園祭はないんやと思っていたから、町を歩いてて神様が町をめぐってらっしゃるときにたまたまお会いして、感動しました。きちんとお祭りは行われてたんですね」と町の人も言う。神社の想いは氏子はもちろん町の人たちにも届いている。

「祇園祭は素晴らしいお祭りだと神職もあらためて感じさせられました。これまで以上に、さまざまな方に支えられていることに感謝した年でした。すべては4月20日の記者発表の際の森宮司の言葉があらわしています。祇園祭は、これまでも時々に応じて形をかえ執り行われてきたのです」と東條さん。

不自由であったからこそ、皆がひとつになってより良い祭を考え、身を粉にして実行した。その結果、氏子と神社の関係がより深くなった。

神社、氏子、またその代表ともいえる宮本組や三社神輿会、それぞれのプライドと想いがあるから、正当に厳かに祇園祭は継がれていくのだ。令和2年祇園さんが終わり、暑い京都の夏も終盤を迎えようとしている。

Text=中井シノブ Photograph=大道雪代 Cooperation=八坂神社、三若神輿会