京都人しか知りえない!? 秘められし京都、潜入。 邸宅編 Part.1

粋な町、京都。男なら誰もが憧れる町。しかし"一見さんお断り"に代表されるように、人とのつながり、人間としての気品が何より大事にされる場所であり敷居の高い店が数多く存在する。ゆえに、おいそれと、その扉は開かれない。あるお茶屋の女将さんはこう語った。「京都だから、お茶屋だからといって特別なことは何もないです。ただ、気品ある振る舞いは一流の世界ではどこでも必要なことではないでしょうか?」だからこそ、その誇り高き町、京都で学び、認められれば男は一人前。そう、本誌は結論づけ、認められた男たちに徹底取材を敢行。ゲーテだから開けた扉の向こうに、彼らが本当は教えたくなかった秘められた京都があった。ここには一流の男になるためのヒントが多く隠されている。

伝統を守る、重鎮ふたりの豪邸に潜入! 生涯、京都に住み続けることの価値

京都で生まれ京都に暮らす。たとえ事業を国内外に広げようとも、拠点は京都。その生き方の真意と見習うべき流儀をさぐる。

後世に残すべき、
風流で繊細な美しさを持つ数奇屋造りの名建築

フクナガ代表取締役会長

福永晃三

茶室として造られた部屋だが、今はテーブルと椅子を置き、来客をもてなす場になっている。部屋の両側に庭があり、ここに居るだけで四季の移ろいを感じられる工夫がなされている。

京都市の中でも東北の端に位置する閑静な住宅地・修学院。17世紀半ばにこの地に離宮を造営した後水尾(ごみずのお)天皇も、都を一望できる小高さや、比叡山を借景にした風光明媚な景色をこよなく愛したという。

「この家は、私の父が40年ほど前に隠居所(いんきょじょ)として建てたもの。それまで父は、町中で暮らしていて、365日仕事でした。だから晩年は、にぎやかな場所から少し離れた郊外で暮らしたいと思ったのでしょう。父は101歳まで生きましたし、母は100歳を超えていまだ健在です。長生きできたのは、修学院という気持ちのいい環境もあったのではないかと思います」

そう話すのは、「リプトン」や「かつくら」など食料品の輸入および販売、飲食チェーンを展開するフクナガ代表取締役会長の福永晃三さん。

Kouzou Fukunaga
1939年京都府生まれ。リプトン紅茶の販売から飲食店「かつくら」や菓子類の製造販売も手がける、京都フードビジネスのパイオニア。

「日本建築の素晴らしさや、修学院という地の自然美を感じられます」

屋敷を取り巻くようにしてつくられた日本庭園。窓が多く、外の景色が目に飛び込むつくりで、廊下からすぐに出られるよう設計されている。木々の間にはちょっと座って寛げる陶器の椅子も置かれ、見るだけでなく庭での時間を楽しめる造園になっている。大人数でのバーベキューやガーデンパーティーも可能なほどの広さ。天気のいい日には、この庭からも、京都を一望できるそう。

父は、昭和の紅茶王として知られる福永兵蔵(へいぞう)氏。晃三さんは、父の遺志を受け継ぎ、リプトン紅茶の美味しさを全国に広めるとともに、1993年、炭火焼「串くら」、とんかつ「かつくら」など、新規事業を立ち上げ成功。自宅だった町家を店舗にし、それ以降京町家を生かした飲食店を世に送り出してきた。現在では、京都をはじめ、関西や東京など国内40事業所と上海にも支社を持つ。国内外を飛び回り、慌ただしく過ごす福永さんにとってこの家は、なんといっても両親との思い出の場。故郷的な場所でもあるから、敢えてここでは暮らさないのだと言う。

「数寄屋建築で有名な故平田雅哉さんに依頼し、試行錯誤しながら3年以上かけて建てた家です。父母もその価値をわかっていて、手入れを怠らず、大切に暮らしていました。日本建築の素晴らしさや、修学院という地の自然美を感じられます」

「家を継承していくことが、父の想いを未来へ紡いでいくことになるのです」

石を敷き詰めた玄関。玄関前には白砂の庭が。

数寄屋建築とは、庭園の中に建てた別棟の茶室を備えた日本建築のひとつ。現在では高級建築の代名詞となっている。

庭も含めた敷地はおよそ300坪、1階、2階合わせて8つの部屋がある。広々とした玄関の先には、客を迎える応接室、その隣には、茶室が設けられている。先庭は白砂の枯山水風、部屋から見える奥の庭は、松や桜など日本の樹木を配した風雅な日本庭園だ。ただし、誰かが住まないと、却って家がすさむから、今は晃三さんの次男夫妻が暮らしているという。

京都商工会議所副会頭という立場から、海外からの来賓を迎えることも。けれど、居るだけで心落ち着くこの家は、家族や社員と心を通わせたい時に、過ごすことのほうが多い。

「社員たちを招いて、庭でバーベキューをするんです。町中で仕事をする人たちにとっては、この空間はまさに別世界だと言います。ここに来るとみんなほっとするようですね。そういう意味では、父がつくったこの場所の価値は、計り知れません」

すっと障子をあけると、廊下を隔てた先に風の通る格子窓が。その窓から見える庭は、一枚の絵画のような、完成された構図がある。なんでもないように見えて、実はたっぷりと技を凝らした空間は、年齢や人種を超え、そこに居る人々の心を静かに揺さぶる。

茶室の隣にも和室があり、襖をあけると大人数でも集える広間に。

「おそらくこの家は、100年以上経った後もこのままでしょう。メンテナンスや維持は確かに大変です。けれど、いろいろと手を尽くしてでも、この家を継承していくことが、父の想いを継ぐことだと思っています」

生まれ育った町・京都をこれからも拠点としていくのは、もちろん京都が好きだから。だがそれ以上に、大切に残し継いでいくべきものを守る使命が自分にはあるのだと話す。


Text=編集部、中井シノブ Photograph=渞 忠之、内藤貞保 Coordination=中井シノブ Special Thanks=慈照寺

*本記事の内容は16年10月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。 14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)