行定 勲が語る未来の映画のカタチ~野村雅夫のラジオな日々vol.48

現在、関西のFM COCOLOを中心に、DJや翻訳家などさまざまな領域で活躍する野村雅夫さん。この連載は、野村さんのラジオというメディアでDJをすることの醍醐味や、ラジオで出会ったアーティストとのエピソードを披露してもらう。今回は、映画監督の行定 勲さん。

そもそも映画とは何か?

僕のレギュラー番組『CIAO 765』で6月からスタートしたコーナー「THE SHOW MUST GO ON」。withコロナ時代のエンターテインメントの未来を、ゲストと一緒に考えています。9月15日に迎えたのは、映画監督の行定 勲さん。今年は長編2本の公開を控えていたところに、コロナが襲来…。落ち込んでいらっしゃるかもしれないなと思ったら、むしろこれからの作品のことを企て、映画の将来についてしっかり見通していらっしゃいました。すごい! 前半は主に『劇場』の特殊な公開方法について。そして、後半は現在公開中の『窮鼠(きゅうそ)はチーズの夢を見る』について話し合いました。

――行定さん、チャオ!

チャオ!

――ご無沙汰しております。よろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。

――監督は今年、新作の公開が2本控えていました。『劇場』と『窮鼠はチーズの夢を見る』。それぞれ、4月と6月の封切りを予定していましたが、コロナ禍で緊急事態宣言が出たこともあり、いずれも7月と9月に延期されて、『窮鼠はチーズの夢を見る』が現在上映中です。まずお話したいのは、極めてイレギュラーな形で発表されることになった作品についてです。『劇場』は、Amazonプライム・ビデオでの配信と、映画館での公開を同時にスタートされましたよね。

はい。

――それから、緊急事態宣言で映画館が閉まっていた4月に『きょうのできごと a day in the home』、そして5月には『いまだったら言える気がする』という2本をオンラインで無料公開されました。どちらも急遽作ることになったもので、撮影も演出も公開も、すべてオンライン・リモートで実現され、反響を呼びました。

ええ。

――「映画って何だろう?」みたいなことを、行定監督もここ数ヵ月、きっと随分お考えになったんじゃないかと思います。映画の定義ですよね。いかがですか。

野村さんの言う通りです。「誰が映画って決めるの?」というところに直面したのがこの数ヵ月ですね。要するに、建前というか、性善説で言うと…映画というものは、映画館のデカいスクリーンと素晴らしい音響で、自分たちの作ったものを浴びるように観てほしい。僕らはずっとそう思ってきました。そうでないと映画じゃない、と。それが性善説の話なんです。

――ええ。

ただ、今回のコロナ禍において、そのデカいスクリーンで浴びるように観てもらうという機会を、我々は奪われてしまうという状況があったわけですよね。

――そうですね。

でも、その時に、我々ができることは、世界が元通りになる日を夢見ながら、指をくわえてずっと待っていることなのか? 日常が動かなくなった時にこそ、映画は人々に何か喜びを与えたり、困難を乗り越えるための糧のひとつになるのではないか? そう考えると、我々が思っていた最善の形ではなくとも、今立ち止まっている人たちに作品を届けること、そういうことが映画人の使命ではないかのかと思ったんです。本来なら、4月12日に『劇場』が公開され、6月5日には『窮鼠はチーズの夢を見る』が公開されると決まっていたわけですが…

――ずれこみました。

そう、両方とも延期です。ロードショーに向けて、映画ファンは期待をマックスにして待っているにも関わらず。

――はい。

「最善の状況で観られる時まで、公開が延期されることは嬉しいです」。映画関係者もファンも、みんなそう言いながら、同時に残念だとも思っている。「観たかったのにな」って。たとえば、『劇場』の公開がさらに半年とか1年とか延期されると、この作品の旬とか、勢いとか、そういうものはまた違うものになってしまうだろうと考えました。

――まぁ、そうですね。

そこで、今、一番観たいと思っている人たちに届く方法をずっと考えた結果、『劇場』については、Amazonプライム・ビデオでの配信も同時に行いました。この映画の公開延期で、関係者には誰にもどこかでしわ寄せがいったんですよ。もちろん、経済的なことも含めて。それを回避することが、次の映画につながります。明日の糧を作るためのものですよね。それを僕らはやらないといけない。それと同時に、観客に今伝えたいものを見せたいという思いもあります。特に『劇場』という映画は、下北沢で演劇をやっている連中の話でね、今現実の下北沢のシーンに目を向けると、彼らがなかなか自分の思い通りに演劇を表現できないという状況もあるんでね。

――このコーナーでも演劇界に目を向けてきましたが、名が通っている人ならまだしも、これから演劇で名を成したい人にとっては、コロナ禍で本当にきつい状況になってしまいました。

ですよね。かといって、クラスターになってしまうような状況を望んでいるわけではないから、何でもできるわけではない。『劇場』という映画は、そういう人たちの心情みたいなことも垣間見えると、僕は思ったんです。これは今やんなきゃいけないんじゃないかと、どこかで思いながら、ただ映画界の規定としては、こんなの掟破りなんです。Amazonプライム・ビデオさんから「ネットでの公開をされたらどうですか?」という提案を受けました。ということは、本当は独占したいわけですよ。だけど作り手の気持ちもわかる、ということで、アメリカ本国にも掛け合っていただいて、スクリーンで見せてもいいと許可してくれたんですよ。だから、ネット配信と劇場公開が同時という画期的な状況になったんですよ。今までだったらありえないことが起こった。

――そうですね。

これからのことを考えれば、実は配信は敵ではないんですよ。今回の『劇場』みたいに同時にスタートするなんてほぼないので、なんとなく、「ストリーミングは二次的なもの」ってみんな考えていると思います。でも、きっとそうじゃなくて、僕はよく音楽と比べるんですけど、ストリーミングにしたことで、良いことも悪いこともあると思うんですよ。

――どっちもあります。

どっちもありますよね。でも、幅広く聴けるとか、聴こうと思っていなかったものまで聴ける可能性もあるわけでしょ? それで実際のライブを目の当たりにしたら、ずっぽりとファンになる可能性がある。映画も、定額でいくらでも観られちゃうと、視野が広がるんですよ。でも、映画はそうはならないよね、と思っていたんですが…

――思っていたが!?

ひょっとしたら、これはそれを試すチャンスなんじゃないか、と。本当にみんな劇場に足を運ばなくなっちゃうの? 「ストリーミングやっちゃったら、全員そっち行っちゃうよ」なんて極端に言われる方もいて、その不安はもちろんわかるんです。ただ、映画ファンは、このコロナ禍において、映画館での鑑賞がどれほど素晴らしいかって、痛感したと思うんです。

――家で観ても細かいところ気がつけない、物語は追えても何か足りない。これはやっぱり劇場で観たい! そんな飢餓感や渇望は、むしろ高まりました。

それなんですよ。『劇場』は、ストリーミングで観た人たちも、あのラストシーンは絶対映画館で観たいと思うはず。僕は自分のラジオなんかでそう言い続けたんです。案の定、「その通りだった」という声が届きました。もっと言うならば、『劇場』を観た知り合いたちが、普段はそんなことをしない人たちが、長い熱いメッセージを僕に送ってきてくれたんです。「映画館を出てしばらく歩きたいと思って、家まで歩いて帰りました」みたいなことを書いている人が多いんです。それが僕はものすごく嬉しくて。ミニシアターで観客と向き合って映画を公開したというのは、僕にとっては新人の時以来のことなですが、ちゃんと伝わっているんだなって、実感を覚えました。やっぱり劇場で観る幸せみたいなものや、その意義がものすごく感じられた。だから、僕は共存だと思ったんです。僕は極端に同時公開という形を取りましたが、たとえば、劇場で一定期間やるんだけども、配信も同時に並行して、それが世界配信になっていく…。そんな時代がもう来ているんじゃないかと。

――なるほど。

その方が、映画館で観る価値を再認識してもらえる気がします

――これって、コロナ以前から水面下でずっとあった問題でもありますよね。それが一気に噴出したのかもしれません。特にインディーの映画なんかは、最初からネットで公開することもありますし、一方、日本でも大作映画は圧倒的な宣伝費をかけていて、よく言われる話ですが、その中間がごそっと抜けている。これはハリウッドでも似た状況だと思いますが、その中間部分に位置するような作品が、AmazonやNetflixの資本で作られている。有名な監督も作品の規模によってはそこへ流れていくということが起きていますよね。カンヌは映画館で公開していない作品は映画として認められないから参加できないとか、ヴェネツィアはどっちでも良いとか、映画祭によって立場や考え方が実際に分かれている中で、日本ではまだそこがはっきりしていないように思えます。

そうなんですよ。

――今回、行定監督が日本の映画界に一石を投じたことで、後に続く監督が出てくるかもしれない。その意味で、本当に大きな契機になったんじゃないかと僕は思います。色々お話を伺って、非常にわかりやすかったです。一方で、現在公開中の『窮鼠はチーズの夢を見る』に関しては、全国の映画館での一般公開ですよね。

楽観的かもしれないですけど、これはヒット作になるだろうという手応えが想像を越えているんですよ。批評家さんたちが食いついて色々なこと言ってくれるのは『劇場』の方かなと予想していたんですが、同時期に試写が行われた結果、『劇場』は僕のこれまでの作品の延長線上にあるように見えたようなんです。『窮鼠はチーズの夢を見る』の方が、それぞれ言うことが、みんなそれぞれで熱い。確かに、何度観ても僕も面白く観られる作品ではありますね。

――自分で撮っているのに。

自分で撮っているのに、なんか面白いんですよね…

――水城せとなさんの同タイトルの大人気コミックが原作です。大倉忠義さんと成田 凌さん演じる、単純に言えば、同性愛のカップルを描いたってことなんですけど、そこに女性がその都度その都度、どんどん絡んでいく度に、「またかお前は!」と色んなツッコミを入れながら僕は観ていました。LGBTQは社会的に大きなテーマになっていますから、同性愛者を描く映画当然増えていますよね。すると、登場人物の孤立や孤独がテーマに据えられることも増えているように思います。ところが、これはプロダクション・ノートで読んだのですが、行定さんは「彼ら/彼女らを偏見なく受け入れて描く監督の作品が僕は好きだから、僕もそうした」と。これから作品に接する方に向けて、参照するのに良い作品があれば、教えていただきたいです。

たとえば、ペドロ・アルモドバルの映画には、何も偏見がない。特に、現代の物語を描く場合は、(LGBTQ当事者が)そこにいて当たり前だし…

――確かに。

あと、アジア映画には、比較的そういう要素がある。特に台湾映画ですね。『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』のエドワード・ヤン監督の作品には、必ずゲイの男がひとりは出てきたりするんだけど、何の違和感もない。

――特別視して描いていない、ということですよね。

僕の同世代で言えば、吉田修一さんの小説には、必ず同性愛者がひとり介在するんですよ。

――言われてみれば、そうか。

社会的に追い詰められた状況としては、描かないですよね。むしろ、そこに介在する男のリベラルさが、当たり前のように浸透していく。僕自身の友達関係を見ても、カミングアウトしている人も何人もいるし、彼らの恋バナを聞いていると、むしろ女の恋バナを聞いているより面白い。「相手の男、どんな奴だよ」とか言って、写真を見せてもらうと…「なんでこんなおにぎりみたいな奴が良いんだよ!」と言うと、「失礼だ! あんたなんかより全然優しいから!」って言われる。一途さとかピュアさを目の当たりするし、自分としては、非常に開けた会話だと感じますね。彼らはマイノリティだから、相手との出会いをものすごく大切にするんですよ。だから、喧嘩も激しくするし、それくらい愛情が深い。そういうものが映画に描けたら良いなと思っていましたね。

――この作品では、三角関係が代わる代わる、転がるようにして、ドンドン生まれていきますが、今回、シネマスコープという画面を採用されていて、「登場人物たちの距離を見せるのに適切サイズだと思われた」とのことですね。性愛描写も何度もあって、それもだんだん変化していくので、それが主人公ふたりの距離感を見せる大きなポイントなのは間違いないんですが、僕がそれ以上にポイントだと思ったのは、眼差しなんです。ふたりが同じ画面にいる時も、そうでない時も、たくさんのバリエーションが用意されています。シネマスコープの横長の画面が活かされた場面、こういったところを観てほしいという箇所があったら教えてください。

そう、対峙する場面が多いんですね。部屋とか、店とか、インドアな場所が多い。これは人間関係のセリフ劇だと思うんです。元々、水城せとなさんの原作でも、セリフが結構キーになっていて…

――刺さるセリフがちょいちょい出てきますよね。

多いですよね。その時に、向き合い方、対峙の仕方が漠然としないように、焦点を絞りたいな、と。目線を送ると、対象物が必ずどこかに引っかかってるようにするとか、ひとりがフレームから消えると、そこに不在感が生まれるようにするとか、必要だなと考えました。

――それは、画面サイズ的にもということですね?

そう。右と左に対峙している向き合い方もキーになっているかな、と思います。

――わちゃっと人がいる過密な場面もないことはないですが、少ないですもんね。

少ないです。

――画面には、ほとんど、ひとりかふたり。こんなことを言うと、バリエーションが乏しいように聞こえるかもしれませんが、そうではないんですよ。どのショットもすごく工夫されていますから。そして、インドアから外の広い空間へパッと出るということが何度かありますが、その「抜け」もすごく印象的でした。

そうですね。

――この作品を機に、久々に映画館に行くという方もいらっしゃるかと思います。純粋に人と人との恋愛の話だと思ってご覧いただけたら、と思います。決して特殊な映画ではないです。ところで、行定監督、映画作りがやりにくくなっていませんか?

いや、そうでもないです。自粛期間に作ったリモート作品に、『きょうのできごと a day in the home』と『いまだったら言える気がする』という2本がありますが、僕はどちらも素描だと思って作ったんです。画家で言うスケッチですね。そのスケッチを今後は形にしていきたいなと思っています。少人数で、あまり大きなことをするんじゃなく、小さな話なんだけど、そのスケッチが集まっていけば、後に大きな映画につながっていくような… そういうスケッチを来年は発表していこうかなと企てています。

――『きょうのできごと a day on the planet』は2004年の作品で、僕も非常に思い入れがありますが、まさかこういう形で、YouTubeでこのタイトルを目にするとは思っていませんでした。今のお話、また発表される暁には、ぜひ番組にお越しいただいて、詳しくお聞かせいただければと思います。

ぜひとも。よろしくお願いします。

――今日は映画監督の行定 勲さんにご出演いただきました。ありがとうございました。

ありがとうございました。

☆☆☆

行定監督と僕は、10月5日(月)にトークショーを行います。場所は大阪、枚方T-SITEの蔦屋書店で、「CREATOR'S SALON」というシリーズの一環。オンライン配信も実施されますので、ご興味のある方はぜひ。