宮川サトシ ジブリ童貞のジブリレビュー vol.19『コクリコ坂から』

幼少期に兄から「ジブリを見るな」といわれた漫画家・宮川サトシは、40歳にしてなお、頑なにジブリ童貞を貫き通してきた。ジブリを見ていないというだけで会話についていくことができず、飲み会の席で笑い者にされることもしばしば。そんな漫画家にも娘が生まれ、「自分のような苦労をさせたくない」と心境の変化が……。ついにジブリ童貞を卒業することを決意した漫画家が、数々のジブリ作品を鑑賞後、その感想を漫画とエッセイで綴る。

「コクリコ坂から」レビュー   

前回までのジブリ童貞
ハウルのあんまり動かないレビューを書き終え、一通りの大物はやっつけた気でいたジブリ童貞。あとはフルジブリコンプを目指し、消化ジブリ試合をこなしていくだけ…そんな軽いつもりでなんとなく手に取った作品「コクリコ坂から」は、あの「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督作品だった…。

朝ドラ感の漂うオープニング(が個人的に好き…)   

オープニングから慌ただしい、朝の風景。家族や同居人に朝ご飯の支度をするジブリ顔の女の子を見ているだけで、主人公は誰でどういう人物なのか、特に何の説明もいらない空気が出来上がっていて安心して映画の中に入れました(この「冒頭でスッと映画の中に入れるかどうか」ってジブリ童貞がジブる時の最も重要な要素でして、毎回緊張するジブリポイントだったりします、どの映画にも言えることかもですが…)。

他の人物もわらわら~っと出てくるから「全員覚えなきゃ!」と身構えるんだけど、主人公が用意した朝ごはんを、誰がたくさん食べて、誰が必要としてないか、誰が目玉焼きに醤油をかけるか…そういう細かいやりとりが描かれているので、それだけで全員の関係性も見えてきて、スッとその場に入っていける臨場感に近い感覚が気持ち良かったです。

これって何かっぽいな…と思ったのですが、そう、朝ドラっぽいんですよね。朝ドラヒロインの幼少期・学生時代パートみたいな。大河ドラマとか朝ドラの幼少期パートってあんまりダラダラやられるといつもそこで挫折してしまうんですが、あれの上手くいってるパターンのやつ、幼少期パートが終わるのが惜しまれるやつってあるじゃないですか、今の「スカーレット」なんかがそうですが、あの面白さを感じたので、もうこれは「良ジブリ」でありがたジブリでした。

…ちなみにスーパー余談なんですが、皆さん「スカーレット」って観てます? 私なんかはですね、毎朝あのめちゃくちゃ丁寧な脚本術にテレビの前でシビれておるのですが(ビリビリ~ッと骨が見えるぐらいのシビレ)、人物の行動動機に何の破綻もなくてですね、登場人物全員に存在する意味があって、各自が進む道に全部伏線が複線が丁寧に張り巡らされていて、もしあの伏線群をピアノ線を使って視覚化したら、ミッションインポッシブルのトラップ的なやつを避けて芝居しないといけないから全員変な動きに…ってそれは大袈裟かもですが、この「コクリコ坂から」にも、冒頭からそんな張り巡らされた伏線を感じました。

オープニングから主人公メルが海に向かって象徴的に旗を掲げるシーンまでがあまりに良かったのでうっかり忘れていたんですが…これ、脚本は宮崎駿さんだけど、監督は息子の吾朗さんなんですよね。確かに宮崎駿っぽくないし、どっちかっていうと「耳をすませば」の近藤監督寄り…いや、でも誰に似てるとかじゃなく、同じボーイミーツガール系の話でも「耳をすませば」とはまた全然違った新型ジブリのスタイルを打ち立てたようにも感じるし、急にどうした? ってぐらい、宮崎吾朗監督が別人になっていました。

仮説:吾朗は駿系(はやおけい)の能力者ではなく、勲系(いさおけい)の能力者なのでは?

「ゲド戦記」ではお父さんみたいなことにチャレンジしてあんな感じの作品になっていましたが、コクリコ坂では全く一ミリもそんなゲドっぽさを思わせない名監督ぶり。もしかしたら吾朗監督は駿系(はやおけい)の能力者ではなく、勲系(いさおけい)の能力者だったのかもしれません。

HUNTER×HUNTERの水見式で言うならこんなイメージ      

そのあたりが気になったので、今回は奮発してこっちのディスクも買ってしまいました。

『ふたり コクリコ坂・父と子の300日戦争』  

…これ、いいですよ。なんでコクリコ坂のBlu-rayとセットにしなかったのか疑問に思うぐらい、コクリコ坂を「パーフェクトコクリコ坂(略してパフェコク)」にアップデートしてくれる、とても完成度の高いジブリドキュメンタリーでした。

勿論コクリコ坂だけでもめちゃめちゃ良いんですが、このドキュメンタリーディスクがあるのと無いのとじゃ、コクリコ坂の傾斜角度が全然違うんですよね。   

まず、宮崎駿監督の金言が出まくるのでそれだけで全然元は取れるんですが、とにかく父と息子がバチバチで、駿監督もずっと怒っててピリピリしてるし、ドキュメンタリーに一番必要な緊張感のスパイスがたまらないんですよ。

そんな中で、最初密着カメラを意識してニヤニヤしてた吾朗監督が、後半でクリエイターとして覚醒し、顔つきが変わってくる感じがこれまたとても良くて。

役者さんが前歯抜いて役作りしたっていうエピソードってたまに聞きますが、覚醒した吾朗監督は歯を食いしばり過ぎるからって途中で奥歯を抜いて絵コンテを描き始めるんですね。すごい覚悟(ただ単に歯医者さんの判断なのかもだけど)。

自分もいつか本気出してることをアピールしなきゃいけない時が来たら、とりあえず歯を抜いてみてそのことを主張してみようと思います。

で、このドキュメンタリーの冒頭で、吾朗監督が壁に貼り出した絵コンテを白い板で隠してから帰宅するんですが(板で隠すの普通に可愛い)、そこで「親父に見せると口出しされる、親父と同じことやってても駄目」って言うんですね。

いや、本当そうなんですよ! 何も父親と同じことなんてしないでいいんですよ! ほら、古谷一行さんの息子さんのkjも、金田一耕助とか失楽園を演じたりしないじゃないですか、ブレずにDragon Ashですよね。そのkjも息子にはバンドじゃなくカメラマンとかやらせたいって何かのインタビューで言ってたし(最近役者デビューしたみたいですが…)。    

私も自分の父が隠し持ってたエロビデオを見つけた時、そのほとんどが金髪美女が出てくる洋モノだったので、あぁ、国内の寝取られ人妻モノが好きな自分とは違うんだな~って思いましたもん。父と子って、なんかそういう、別のセンスを持ち合わせてるからこそお互いに無いもので影響を与え合うんだと思うんですよ。

朝ドラかと思ってたら、急に昼ドラ展開に

内容に戻ります。ヒロインの相手役、風間君の「まるで安いメロドラマだ」というセリフにもあるように、朝ドラっぽいなと思って観ていたら、途中から昼ドラみたいな展開になってちょっと意表を突かれます。せっかく出会ったヒロインと風間君でしたが、どうやら兄妹なんじゃないかってことが発覚するんですね。なんだかアニメで観てるとそれが妙に新鮮な展開で。

…いや、昼ドラっぽくもあるんだけど、ヒロインが毎朝横浜港に向かって旗をあげてるのは、朝鮮戦争で戦死したお父さんに向けたものだっていうのも、ちょっと探偵ナイトスクープっぽさもあって、地味ながらも物語に惹き込まれている自分に気づくんですよ。西田局長だったら、スタジオの床が涙でビチャビチャになってること請け合い。

この、朝ドラ感→昼ドラ感→探偵ナイトスクープの泣ける回っぽさへの展開(物語のうねり)は、個人的に過去ジブリで一番切ない気がしました。夜中に観てたんですが、二階で眠っている娘の将来のこととか考えちゃうぐらい。

恋人が兄妹だとわかった日の夜に見た夢が、まるで家族が死んだ時に見るような夢で、その空気感がまた良くて、好きになった人が好きになってはいけない人だったという特殊な状況が、そんな経験のない私にも妙に伝わってくるんですよね。あの夢のシーンだけでも白飯3杯はいける。

ひっかかったポイントと対処法

もう伝わっているかと思いますが、このコクリコ坂、個人的にかなりジブリランク上位に入るぐらい好きかもしれません。でも、ただ褒めちぎっていても嘘っぽいので、一応気になったポイントと、その対処法?を載せておくので、同じポイントでひっかかった人は参考にしてみてください。

①坂道×男女の自転車二人乗りってベタすぎでは…?
⇨カレーの肉を買いに行くだけなのでそんなロマンチックでもない、だから気にするな

そもそもボーイミーツガール話に飽きてくるというか、見てきた順番が悪いのか、ジブリばっかり見てるからいけないのか、新海誠や細田守がいけないのか、ちょっとガールがボーイにミーツしすぎている気がしないでもないです。

自分がガールにミーツすることよりも、自分の娘が成長して、どんなボーイにミーツするのかってことを考えがちでもありますが、あれですかね…いい年してこういうアニメばっかり観てると、なんだか死ぬ準備しなきゃいけないような気にになるので、ほどほどにしないとかもですね…。

②相手役の青年:風間俊という名前と、風間俊介の声優がややこしい
⇨もうやめよう、どの芸能人が誰の声やってるかとか気にしながらアニメ観るのは

ヒロインの相手役の風間俊君の声優は岡田准一、風間俊君の親友の生徒会長・水沼君の声優は風間俊介さんなんですよ。これが正直ややこしい。ただ、この「コクリコ坂から」の好きなポイントの一つで、OP&EDクレジットで声優さんの名前は表示されるものの、誰が何の役をやってるかは明示されないってのがあるんですよ。つまり、風間俊役は風間俊介じゃないの? とか言うのは野暮オブ野暮な指摘で、「ジャニーズの風間俊介君は出てるけど別に誰でもいいだろ、感じろよ」ってメッセージなんだと思うと、さほど気にならなくなります。

③ヒロインの名前が海(うみ)なのに、皆が「メル」って呼んでるのがややこしい
⇨ちびまる子ちゃんシステムだと思え

これもややこし案件なんですが、ジブリって「ラピュタ」や「千と千尋」でもありましたが、もう一つの名前で呼ぶの好きですから、ここはジブリらしさと思って受け入れるといいかもです。…え?お前ほどジブリ好きじゃねーからわかんねーよって?そしたらちびまる子ちゃんの「もも子」と「まる子」みたいなもんだと思えば問題無いと思いますよ。

④カルチェラタンの学生ノリがちょっと苦手かも…
⇨そのうち慣れるから気にするな

正直、おっさんになってから見る若者の群像描写、特にコクリコ坂の舞台となる文化系部室棟・カルチェラタン内のノリは、そのスカしたネーミングも含め、最初ちょっとキツいです。キツいんですが、2~3周も観れば、あの若者ノリが昨今の高校生ダンス部的なチャラチャラしてないものでないことに気付くことと思います(普通は1周目で気付きますし、高校生ダンス部がチャラチャラしてるように見えるのは私の偏見です)。

文化系の、ある種冴えない彼らが彼女らが、古き良き明治の建造物を残そうと集会したり合唱したりして汗水流す青春の様は、見れば見るほど羨ましく思えました。最近「若さ」には嫉妬しかしてなかったのに…ど、どうしたというのだ…(正義の心に目覚めた私は、この後勇者たち一行をかばって死にます)。

結論:誰が監督とかもどうでもよくなるぐらいのとても良きアニメ映画

全体的に地味な作品ではあるんですが、メルが風間君に「血が繋がっていても好き」と告白するシーン、若者を舐めないカッコイイ大人たちの存在等、地味だからこそキラキラと輝いて見えるシーンも多かったです。ボーッとソーダアイスを食べてたら思いがけずシュワシュワのラムネが出てきた時みたいな、あのトキメキ。

ラストでコクリコ坂からの景色と、船の甲板から見上げるコクリコ荘の景色が印象的に描かれてることでオープニングの情景に戻ってくるんですが、その高低差からドラマが生まれていることを、言葉じゃなく風景描写で実感させてくれるんですよね。手嶋葵さんの歌もズルいぐらいのタイミングで入ってくるので、西田局長じゃなくても泣いてしまいますよ。本当に。

ゲド戦記で監督を辞めずに、続けた吾朗監督に、ただただリスペクトですね…。才能って、何かと比べて語るものじゃないことを改めて思い知りました。素晴らしい。

余計なお世話だとも思ったのですが、もしまた創作の現場で父と子がピリつきそうになったとき用にこんなペーパークラフトをデザインしてみました。

切り抜いて色鉛筆で色を塗って作ってみよう!  

コクリコの舞台も、1964年東京オリンピックの前の年。世の中が古いものを壊し、新しいものを求めていた頃。今年はいよいよ東京オリンピック、このタイミングでコクをリコってみてはいかがでしょうか。