ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの格言<愛と女性について>



いつも変わらなくてこそ、ほんとの愛だ。
一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ。 

(「四季」夏の部から)

お前の努力は愛の中にあれ、
お前の生活はおこないであれ。

(「旅の歌」から。「ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代」第三巻第一章、一八二一年)

いつも同じ花ばかりなので、花よりほかの何かをお送りすることができたら、と思います。
しかし、それは愛についてと同じことで、愛もまた単調なものです。

(シュタイン夫人へ、一七七九年五月二三日)


われわれはどこから生まれて来たか。
愛から。
われわれはいかにして滅ぶか。
愛なきため。
われわれは何によって自己に打ち克つか。
愛によって。
長い間泣かずに済むのは何によるか。
愛による。
われわれをたえず結びつけるのは何か。
愛である。 

(シュタイン夫人へ、一七八六年六月二八日)


ひとりの人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません。 
(「恋人のむら気」第五景、一七六八年)


空気と光と
そして友達の愛
これだけ残っていたら、
弱りきってしまうな。 

(一七七六年1月作詩)


自発的に頼るというのはこの上なく美しい状態である。そしてそれは愛なくして、どうして可能であろう!

(「親和力」第二部第五章から)


愛のないものだけが欠点を認める。したがって、欠点を看取するためには。愛をなくさねばならない。しかし、必要以上に愛をなくすべきでない。
 
(「格言と反省」から)


生き且つ愛さなければならない。命も愛も終わりがある。
運命の女神よ、この両者の糸を同時に切ってください

(「四季」夏の部から)


どんなことが真理とか寓話とか言って、
数千巻の本に現われて来ようと、
愛がくさびの役をしなかったら、
それは皆バベルの塔に過ぎない。 

(「温順なクセー二エン」第三集から)


性急にやらねばならぬこともたくさんありますが、
節度を保ち、不自由を忍ばねば、手に入れることのできぬものもあります。
徳はそれだと申します。
徳とは縁続きの愛も同様です。

(「タッソー」一一一九行以下)


人は愛するところのものだけを知る。知識がより深くなり、完全にならなければならないほど、愛、いな情熱は一そう強く、強力に、生き生きとならなければならない。

(ヤコービに、一八一二年五月一〇日)


女の流す涙が多かろうが、少なかろうが、それで海の水かさが増すわけではありません。でも、幾千人の女のなかでひとりでも救われるというのは悪くはありません。幾千人の男のなかに実のある人がひとりでもいるというのは、まんざらでもありません
。 
(「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」第四巻第二〇章から)


女が男のこの上なく美しい
半身として与えられもしたように、
夜はこの世のなかば、それも
この上なく美しいなかばなのに。 

(「フィリーネ」という詩、一七九五年作、から)


女というものはその本分どおり早くから仕えることを習うがよいのです。
仕えることによって始めてやがて治めることが、
また家の中で分相応の力を持つことが、できるようになるのです。
女兄弟は早くから男兄弟に仕え、両親に仕えます。
女の一生というものは、年じゅう絶え間なく行ったり来たり、
あげたり運んだり 他人のために支度したり間に合わしたりするものです。

(「ヘルマンとドロテーア」第七の歌から)


ふたりのしもべを使っている主人は、
よく世話をしてもらえない。
家に女がふたりいたら、
きれいに掃除ができないだろう。

(西東詩編「ことわざの書」から)


女を遇するには寛大になせ!
女が曲がれる肋骨もて作られたり。
神もそを真直ぐにはなし得ざりき。
そを曲げんとすれば折れ、
捨ておけば、なお曲がる。
汝、よきアダムよ、より悪しきことありや?
女を遇するには寛大になせ!
肋骨の折るるは、好ましからず。

(「西東詩編「観察の書」から」


人の人生のうちには、人の心を
喜びや悲しみでゆるがすような
大事な瞬間が幾度かあるものです。
そういう場合、男なら自分の身なりなど忘れて、
むぞうさに多ぜいの前に出ますが、
女はそういう時でもやはり皆の気に入ろうと、
えりぬきの衣裳や申しぶんない飾りを身につけて、
人前に出てうらやまれようとするものです。
 
(悲劇「私生の娘」一八〇三年作、大一幕第六場から)


物事を一々あまり几帳面にとらない
きれいな妻がほしい。
だが、どうしたら私の工合を一ばんよくすることができるか、
よく心得ている妻がほしい。
 
(「温順なクセーニエン」第四集から)

女たちが愛したり憎んだりすることに
われわれは反対すまい。
だが、女たちが判断や意見を出すとなると、
奇妙な観を呈することが多い。
 
(「温順なクセー二エン」遺稿から)

初恋が唯一の恋愛であると言われるのは、至言である。なぜなら、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。元来恋愛を高め、恋愛をして恋愛たらしめるところの永遠と無限の観念が、第二の恋愛では既に破壊され、一切の反復する現象と同様に一時的なものに見えるようになる。 
(「時と真実」第三部第一三巻から)

情熱は欠陥であるか、美徳であるかだ。ただどちらにしても度を超えているだけだ。大きな情熱は、望みのない病気である。それを癒し得るはずのものが、かえってそれを全く危険にする。 
(「親和力」第二部第四章から)


恋愛と情熱とは消え去ることがあっても、

好意は永久に勝利を告げるだろう。 
(「温順なクセー二エン」第三集から)


結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上である。それは乱暴者を穏やかにする。また高い教養のあるものにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消し得ないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数でもない。
(「親和力」第一部第九章から)


Johnn Wolfgang von Goethe
1749―1832年。ドイツの詩人、劇作家、小説家。世界的文豪にして、自然科学者、劇場監督、舞台美術家、政治家、法律家の多彩な顔を持つ。死ぬまで旅と女性を愛したことで知られる(73歳のときに18歳の女性にひと目惚れするも失恋)。代表作は小説『若きウェルテルの悩み』、詩劇『ファウスト』など。