【遠藤光男の物申す!】トレーニング界の伝説が家族を語り尽くす<番外編>

昭和40年代、黎明期の日本ボディビル界に彗星の如く登場し、注目を集めた男がいた。その名は遠藤光男。 昭和41(1966)年、24歳の時にボディ・ビル・ミスター日本となり、世界大会にも出場。ドーピング三昧の海外選手を向こうに回して優秀な成績を残し、翌年、自身のジムを東京・錦糸町に開設。日本に於ける筋力トレーニング指導の第一人者としての地位を確立していくなかで、作家・三島由紀夫や俳優・高倉健らとも親交を持ったほか、相撲界とも関わりが深く、千代の富士、白鵬を始め7人の横綱を指導。また国際プロレスのリングではレフェリーとして活躍し、数々のレスラーにもトレーニング法を伝授したことも知られている。 そんなスポーツ界のご意見番・遠藤光男氏が、2020東京五輪を控えながら、ゴタゴタが続く日本スポーツ界に「物申す!」。最終回は、番外編というべき、家族への感謝を語る。 


ジム開設51年の思い

東京の錦糸町にジムを作って51年になります。今は、長男の克弘に社長兼トレーナーでやってもらってます。私たちがジムを開いたばかりの頃の指導の仕方とか接客の仕方とは、今は時代が違いますから。

今から思うと、あの頃は何でも、なあなあでやっていたように思いますけど、今はきちっとしたルールにのっとってやっていかないと、なかなか難しいんですね。私ができることは、口出ししないようにすることだと思ってます。頼まれたことはやるけれども、余計な口出しはしないように、今、してますね。それが一番の孝行だと思ってる。でも、つい癖で口出ししちゃうんだな。いけないなと思いつつも。反省してるところもあるんですけどね。

あの当時は、トレーニングやりたい人は、ジムを探して来たわけですよ。今、どこの町にも3軒も4軒もありますから。そうなると、利便性で選んだり、指導内容で選んだり、いろいろ選択の幅が広がっていますよね。うちのジムは、どっちかっていうと専門的な指導でやっていますので、見学に来る人は大体、下調べして来て、続けてやりたいという人が多いんです。

どんな人でも一応トレーニングする目標、目的を聞いて、あとは週に何回来られるかも聞いて、それにのっとったメニューをトレーナーが作って、そこで指導する。パーソナル受けたい人はパーソナル。自分でもできるっていう人は最初2、3回指導してあげて、それで自分でやりますというケースもあります。あと、パーソナル2、3ヵ月経て、あとは自分でやりますという人もいますね。

トレーニングの方法や目的の変化

ボディビルという観点からすると、それぞれの部位の筋肉を肥大化させて、大きく強くするというのが主たる目的だったんです。今の指導というのは、体の機能の向上だとか体のバランス。あとはスポーツに適した体力をつくる。それから、柔軟性を高める。そういうものをトレーニングの種目に入れてきています。昔みたいに重いバーベルを何度も上げたりするんじゃなくて、体幹も含めた運動の仕方やトレーニングの種目が随分変わってきてますね。

ボディビルも悪くないんですけど、ボディビルっていうのは動きが決まってるわけですよ。上腕二頭筋だったら、座ってやったり、寝てやったりする種目が多いんですけども、体の芯を使うような、例えばバーベル上げるんでも、椅子に座ってやるのと立ってやるのとでは効果が違うんですよね。

立ってやったほうが、体の中心部の筋肉も満遍なく使うんで、今の指導の観点からするといいわけです。椅子に座ったり、寄っかかってやると、下半身とかは一切使えなくなるんで、動きとしてはもったいない。あと、寝そべってても体幹を強化するための動きとか、同じ腹筋のやり方でも、昔のように腹筋台に座って「1、2」とかじゃなくて、床に寝て、自分の体をどううまく利用して腹筋や背筋を鍛えるかと。こういう種目に変わってきてますね。

やはり指導というのは、自分で継続してやってみて、これはいいっていうことを決めてからやるわけです。本とかだけで、見て教えてるわけじゃないのでね。自分が実践して効果を確認してから指導してるわけですから、その辺がとても大事だと思うんですよ。

酒の武勇伝と反省の弁

昔はお酒が強かったもんですから、バカ飲みしていました。酒の失敗はほとんどしてないんですが、よくいろんな人と飲んで、周りの人をおどろかしてましたね。若かったから、それが自慢になってたことがあったんですね。

「男として、酒に飲まれちゃ駄目だ」「大酒飲んでも知らん顔していられるか」なんて言って、ガブ飲みしたりなんかしましたけども。なんとか、体、悪くしないで今まで来られたんでね。最近はちょっと控えていますけど。

一緒にプロレスラーだの力士だのと飲みに行くでしょう? 一緒に行った連中が驚くんですよ。自分たちよりも飲んで、素面でいるから。モスクワ行ったときなんかも、ロシア人たち20人とウオッカで飲み比べやって、みんな倒したんです。

向こうは、ちっちゃいグラスにウオッカ入れて一気に飲むんですよ。「日ソ友好のため」とか、「何とかのため」とかって、何か一言挨拶して、ウォッカをコクンと飲む。それを順番に一回り二回りっていうふうに。飲んでて、みんなびっくりしていましたよ。日本人でこんなにウオッカ強いヤツは初めてだって。そんなエピソードもありましたけどね。

酒は、もちろん体にいいわけはなかったんでしょうが、その頃は勢いがあったからついつい。いや、本当によく飲みました。それでも練習だけは欠かしたことなかったですが、でも無駄なお金を随分使いました。反省してます。

女房には頭が上がらない

女房には、もう一切、頭が上がりません。過去も未来も、頭が上がりません。本当に、あんなにやってくれた素晴らしい女性はいないですよ。

自分の恥になることですが、若い頃は飲み歩いてて、よく車で迎えにきてもらいましたね、どこにいても。子育てもしているっていうのに。

ボディビルやアームレスリングの世界大会を日本で3回開きましたけど、ほとんど3日間ほど寝ないで、女房が成田の会場まで、毎日送り迎えしてくれました。私は、大会のためにジムを犠牲にしてやってたものですから、そういうときは半年ぐらいジムに顔出せなくて、コーチを雇ったりなんかして、なんとか私の穴は埋められたんですけどね。だから、本当に一切、頭が上がらないですね。やっぱり家族の協力、それがなければ全く私は何もできなかったです。

女房とは、ジムで知り合って結婚したんです。オープンした頃ですね。内助の功はもちろんのこと、私が一目も二目も置いているのは、現在に至っても凄くトレーニングしてることですね。74歳ですけど、たぶんあの年齢の女性で、今、日本一の体力持ってますね。懸垂を腕を伸ばして4、5回やるんですよ。腕立て伏せも10回ずつ5セット、びしっとやる。その他に体幹トレーニングから何から、1日2時間から2時間半、週に2日か3日やってる。すごいですよ。体重もいつも42キロを維持していますから。ハイヒール履いて走りますからね。体力は私以上にありますね。

すごいです、実際。普通の女性じゃないですね。肝が据わってるというか、「この年になると怖いものはない」って言いますから。私が、そうさしちゃったんですね。私がいけなかったです。最近は、恩返しする間がなくて、まだできてないんですけどね。できるかどうか分かりませんが。

30代の頃の家族写真。妻・繰子が抱っこしているのが、長女・まや。下は、長男・克弘(現エンドウジム・チーフトレーナー)

終わり」

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ext=まつあみ靖 Photograph=吉田タカユキ


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遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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