坂本龍一  がんになって考えたこと。

命には限りがある。与えられた時間には限りがある。そのことをがん体験によって強烈に再認識した作曲家の坂本龍一さんが新作を発表した。がん体験による音楽との向き合い方の変化を今、実感している。

「20年以上カラダに気を遣ってきて、まさか自分ががんになるなんて」

「完成した作品が愛おしくて、誰にも聴かせたくなくてね。発売日まで自分だけのものにしておきたかった。こんな気持ちになったのは初めてのことです」

坂本龍一さんの新作『async』は、一曲目の「andata」の最初の一音からピアノが情緒的に響く。3月29日のリリース日まで、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ネット......どのメディアにも内容の情報を提供しなかった。

事前プロモーションを行わないので、誰の称賛も、あるいは批判も、聞こえてこない。作品は完全に自分だけのものだった。

「このアルバムは2014年に準備は始めていたんです。ところが中咽頭(ちゅういんとう)がんで休養を余儀なくされ、制作を休止しました」

午前中はカラダのケア。午後は音楽制作

喉の腫瘍(しゅよう)は自分で見つけた。

「口を開くと見えるところに何かあるなあ、とね。ただ、それが腫瘍だとは思いませんでした。ところが異物は成長してきて。変だぞ、となった」

およそ半年間放置したころ、ドクターに相談した。

「検査をしたら中咽頭がんでした。油断していました。食べるものにはずっと気をつけていたし、定期的にカラダ全体の検診も受けていた。それでも、がんになるんですよ。まさか自分が、という思いがあったから、半年も手を施さずにいました。健康を過信していたんでしょうね」

坂本さんがカラダに気を遣うようになったのは、中高年といわれる40歳くらいから。

「もう25 年くらい、食事はずっとオーガニック中心です。整体や気功を組み合わせた、自分流のヨガも日課にしてきました。1セット1時間弱のゆっくりした動きですけれど、カラダを動かすと明らかに呼吸が深くなり、カラダも伸びます。50歳の時に煙草もやめました」

がんになった後は、さらに食事に気を遣っている。

「肉類は完全にやめました。ほぼ菜食生活で、朝食はフルーツとジュースです。リンゴ、レモン、ニンジン、生姜をミックスしたものを飲んでいます。昼と夜は野菜中心の日本食。根菜類を多く摂るようにして、最近は3日に一度は魚介類も食べます。年齢のせいかな......。お鮨がすごく食べたくなる時があってね。2週間に一度くらいは行きます。それから、理由はわかりませんけれど、ミョウガが食べたくてしかたがない。ところが、僕が暮らしているニューヨークで新鮮なものはなかなか手に入らないんです。それから、がんにいいといわれている沖縄のモズクは、日本から友人が送ってくれました」

起床は7時。就寝は23時。午前はカラダのケアに使い、音楽制作は午後から行っている。

「午前中に湯を張ったバスタブに30分浸かり、体温を上げます。その後ヨガをやって、昼食後に仕事を始める。カラダのために何をやるかは、すべて自分の勘で判断しています。ネットで見ると、数えきれないほどの健康法があるでしょ。しかも、いいことばかり書かれています。でも、アップされていないだけで、よくない事例も実はたくさんあるはず。健康法には向き不向きがあって、誰かにはよくても、別の誰かはダメージを受けているかもしれない。自分の感覚に委ねるしかありませんね」

仕事にも、休息にも、アロマオイルも活用している。

「アロマオイルは病気以前から。活動する昼間は気持ちを活性化させるためにローズマリーや免疫力を高めるフランキンセンス、休息する夜は心を落ち着かせて深い眠りを得るためにラベンダーの香りを味わっています」

このような生活で徐々に体調は改善し、音楽に対しても前向きな気持ちを取り戻していった。

誰の真似もしない。自分の真似もしない

「自分のアルバムの前に、映画音楽をやりました。まず、病気になる前に依頼されていた山田洋次監督の『母と暮せば』と李相日(リサンイル)監督の『怒り』です。そこからなだらかな傾斜で仕事を再開していけばいいかな、と。そうしたら、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『レヴェナント:蘇えりし者』の仕事も入ってきて、思いのほか忙しくなっちゃった。どれもいい手応えでした。それで自信を得て、2016年は自分の作品に集中することにしました」

新作は、ゼロからスタートすることに──。

「これからは、やりたい仕事、やるべき仕事を厳しく選ぶと思う」

「誰の真似もしないことはもちろん、自分の真似もしない。つまり、経験というか、これまで学習して得たことにも頼らずに音楽をつくりたかった。病気前のアイデアも音のスケッチも一度全部捨てて、真っ白いキャンバスに画を描くつもりで音を紡(つむ)いでいきました」

スタートして4カ月間、作業ははかどらなかった。

「試行錯誤の日々です。できるかできないか、誰にもわからない。でも、そんな作業がとても楽しくてね。贅沢な時間でした。やがて、5カ月目に入ったころこの方向でやろうと決めました」

病気前と病後、音楽との向き合い方に変化はあったのか──。

「病気で僕の音楽そのものが変わったかどうかはわかりません。ただ、間違いなく自分に対して厳しくなりました。一音一音への思いが強まり、音にOKを出すハードルは高くなった。年齢を重ねるにしたがい、人は時間の大切さが身に沁みますよね。その思いがより強くなった。与えられた限りある時間でつくる作品は、自分にできる最高のものにしたいじゃないですか」

アルバム『async』の音には、その思いが反映されている。

明らかに厳しくなった自分の音へのジャッジ

「『disintegratioin』という曲では、鍵盤ではなく、ピアノのボディーに収まっている弦を奏でました。でも、この曲をプレイバックした時、音色がどうも気に入らなくてね。ダメなレベルではない。OKにすることもできました。コンセプトや音の概念は気に入っていましたから。ただ、やはり納得はできない。迷ったけれど、最初からやり直しました。音楽の骨格はそのまま、音色を変えたんです。すると、格段によくなってね。そういう局面でのジャッジは、以前よりも厳しくなりました」

「disintegratioin」を直訳すると、「崩壊」「風化」。少ない楽器を使い、オーケストラのように立体的で、スケールを感じる音楽になっている。

「これからは、やりたい仕事、やるべき仕事をさらに厳しく選ぶと思います。そして、限られた時間とエネルギーを注いでいく。一方、やりたくないことに時間は使わないようにしたい。無駄だと感じる仕事はストレスがかかるでしょ。それはカラダによくないのでね」

病気を経て、聴く音楽にも変化が表れたそうだ。

「意外なことに、今まで興味の対象外だった音楽に心が反応します。キューバのシンガー、オマーラ・ポルトゥオンドとか。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに出ていた人です。実は、ああいう古いタイプのポピュラー音楽は、あまり興味はありませんでした。ところが、ふと耳に入ってね。声に心が反応して、号泣してしまった。その時に思ったんですよ。せっかくがんを体験したから、病後に心に響くようになった曲を列挙してみようと。オマーラのほかは、ビューティフルハミングバードの女性ボーカルの小池光子さん、カナダの先住民族の血を引く女性シンガーのタニヤ・タガクなどです。声に特別な何かがある人に対して感度が上がりました」

つくり手としても、聴き手としても、坂本さんは音楽とのかかわり方が変わり、今後も前例のない音を生み続けていく。

養生訓
1 自分流の健康法を見つける。
2 診断の結果を信用しすぎない。
3 今ある健康を過信しない。
4 質のいい音楽を聴く。
5 嫌な仕事は金輪際やらない。

Ryuichi Sakamoto
1952年東京都生まれ。78年ソロデビュー、YMO結成。『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞、『ラストエンペラー』でアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞受賞。現在は、森林保全活動「more trees」、脱原発啓蒙イベント「NO NUKES」、そして、「東北ユースオーケストラ」音楽監督での被災地復興活動など、社会的な問題にも携わる。


Text=神舘和典 Photograph=角田みどり Hair & Make-up=YOBOON

*本記事の内容は17年4月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)